レンガ倉庫研究ノート④_倉庫を分類してみた前編
書いているうちに長くなったので、2回に分けて投稿します。
4月30日、3度目のゼミ。
旧広島陸軍被服支廠倉庫をきっかけとした、日本陸軍の倉庫建築についての研究。
今回はひとまず、存在を確認した、22基の旧日本陸軍の倉庫について、形態の分類から行ってみます。
すると、研究方針の改善すべき点と、幾つかの気づきが現れました。
まずは方針の改善点から。
これまで、調査対象とする建築物の規準は、
「明治41年から大正12年までの期間に建設された、旧日本陸軍の倉庫建築」
としていました。この条件に該当する建築物は、それこそすべてを把握可能か怪しいほどたくさん存在するわけですが、収拾した事例を分類をしていると、あることに気が付きました。
「僕がここまで収集してきた事例、偶然にも50間倉庫が多いな。」
50間倉庫(ごじゅっけんそうこ)とは、僕の研究における造語です。
陸軍が建設してきた倉庫建築は数あれど、その大きさは、最大のもので全長が50間となるものが非常に多く見受けられます。50間とは、尺貫法による長さの表記で、メートル法で90900㎜、約91mです。全長約91mの倉庫がとても多いんです。
今回の調査対象である広島の倉庫も、有名な金沢の赤レンガ倉庫も、連続する赤煉瓦の壁は50間で切断されます。(広島は、1基だけ50間を越えるものがあり、金沢は1基だけ50間に満たない物がある。)
なぜ50間なのかはわからない。
分からないけど、そういう共通点は見いだせる。
何か核心へ続く、入り口な気もします。
そして正確に言えば、この50間という特徴は、実は当の昔に知っていました。ただあまりにも当たり前すぎて、これを共通点というか、特徴として見出していなかったのです。今回分類作業を行うにあたって、改めて、50間という長さは、陸軍の大規模倉庫に共通している特徴ではないか!、そんな視点に気が付きました。そんなわけで、調査対象の規準に修正を入れます。
「明治41年から大正12年までの期間に建設された旧日本陸軍の倉庫建築のうち、同一の設計によって建設された倉庫群の中に全長50間の規模を持つもの。」※1
さて、以上の事を踏まえ、ゼミ用にイラストを制作します。分類や先述したことを、わかりやすく伝えねばなりません。
これを描いているうちにも、善通寺の倉庫でもう1タイプ作れるな、とか、50間以前に47間倉庫が存在してた!?などなど、すぐに改訂版の必要に迫られます。しかし今回は時間が無いので、まあこんなもので。
では、満を持してとは言えませんが、次稿ではゼミ発表の結果について記します!
(20210509)
※1 ちなみに、設定している明治41年から大正12年までという建設期間についてですが、後者は、煉瓦の時代が終わる関東大震災のあった年、前者は、企業秘密とさせて下さい(笑)本来、結果の出ていない研究の研究ノートを、このようにネット上にばらまいていること自体、分野によってはかなり危険な行為です。このことについては、後日、きちんと考えをまとめようと思います。
☆研究ノートその① へのリンク