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レンガ倉庫研究ノート⑤_倉庫を分類してみた後編

前回の稿では、標本として集めた22件の倉庫たちを、形態を元に分類してみました。

そこから得ることができる仮の「私見」(論文のオリジナリティとなる、新たな知見や説)を携えて、研究室のゼミで発表し、指導教員から評価やアドバイスを受けることが理想です。
しかしこの「私見」を立てることがそう簡単ではなく、無理やり新しい私見を見出そうとすると、それは歴史の捏造になってしまいます。自分に都合のよい空想を進めることは、研究にとって禁物です。

今回、僕はそれを犯しました笑
犯してしまったものはしょうがない。
失敗を指摘してもらえて良かったと思うべきでしょう。

前回も投稿したイラストとともに、ご覧下さい。

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このイラストを描き終え、僕は図の右列、建物の妻側(屋根の三角形が現れている面。ここでは建物の短い辺)に注目しました。なんだか、ヨーロッパの古い教会や礼拝堂に見えないことも無いな。

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↑古い教会や礼拝堂(ゴシック以前)のイメージ。(画像は神戸栄光教会)

特に上3つは左右対称で3廊式と同様の平面構成ですし、教会と似ています。礼拝堂の元になったバシリカ平面と、日本の陸軍の倉庫建築は、意匠として元にする構成が同じ部分があるのではないか、そう思えました。で、時代が下るにつれて左右非対称な倉庫が出てきた。それはつまり、バシリカ平面を元にした倉庫ではなく、倉庫のために倉庫が建設されるようになった、その走りなのではないか。

早とちりな僕は、とりあえずその考えをゼミで口に出してみます。

で、先生からの一言。「そんなことは無い。」

はい、自分に都合のよい空想でした。

仮にもしそうだとしても、ヨーロッパのバシリカ式平面や修道院の建築は、倉庫に限らず様々なビルディングタイプの元となっています。倉庫がその元になっていたとしても、それはそんな多くの事例の1つであって、むしろ当然と言えば当然な、必要十分条件を満たさない話です。先生のおっしゃった「そんなことは無い」は、そういった、学説としてそんなことははない、という意味も含まれたものだったと思います。

さて、先生からのその他のコメントは以下の通り。というかむしろこちらの方が重要。

・煉瓦造で倉庫という建築は、ほぼ構造がそのまま意匠となる面がある。つまり構造/意匠というより、構法から構成されていると言えるのでは?
・レンガ倉庫が明治に輸入されて以来、普通に考えると近代化によって装飾等は少なくなり、機能的な骨格だけが残っていきそうな気がするが、果たして本当にそうなのか。
・倉庫史の中で、陸軍とは何だったのか?それ以前の倉庫との関係は?「標準設計」として用いられた設計は、「陸軍型」とでも言えるような設計だったのか?もし言えるなら、その特徴は?

やはり、先生は「当たり前の視点」を改めて指摘してくださいます。何か説を出さないと、何か見つけないと、、そんな、はやる気持ちで調査を進めていては、やはり当然の視点が見えずらくなっていきます。そして気が付いたら明後日の方向に向かっていた、、、と。未だ自分の未熟さを痛感するとともに、ゼミでは恥じること無く、積極的に考えていることを言っていこう、そして指摘を頂こう、と気持ちを新たにした次第です。未熟で許される内は。

(20210512)


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