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で、なんでカタツムリ?
こちら、神戸は中央市場前の大輪田橋。
まず初めに専門的なことを書くと、日本最大の運河である兵庫運河の、新川運河に進入して最初に現れるのがこの橋。運河内に停泊されている漁船たちにとって、自宅の門に入ってから、玄関をくぐるような位置でしょうか。
架橋は関東大震災の翌年、大正13年。欄干には流行のゼツェッシオン風の装飾と共に、雷紋、または卍崩しのような中華趣味が入り込んでいるところがオツ。
「大輪田橋」で検索してみると、この橋は1924年に架橋され、戦災、震災を経験してきた橋である、ということが書かれています。どのサイトにも。
神戸空襲や阪神淡路大震災での出来事は、確かにこの橋にとって、また多くの神戸市民にとって、書き添えざるを得ない、重要な歴史であることに疑いはありません。今後とも語り継いで行くべきでしょう。
でも、
でもね、
僕はそれどころじゃない。
なんで、カタツムリの存在に触れるサイトは無いの??
ぼくは、こういうのにかなり弱い。
このカタツムリたち、まるっこくて、ゆるくて、見れば見るほどかわいい。
もうかわいすぎて、僕は軟体動物のようにトロけそうです♡
子供っぽい小さなやつがいる演出も憎い。
かたつむりをマイマイと呼び始めた最初の人間の気持ちがわかります。
お気づきかと思いますが、写真の柱には、おそらく戦時中の金属供出の痕と思われる傷が、錆(さび)を流しながら生々しく残されています。また全体がすすけているのは、神戸空襲時の焼痕だそうです。
さらに柱頭には冬の星座があしらわれていますが、これは空襲(3.17)と地震(1.17)のあった冬を意味する、後年に付け足されたモニュメント。
つまり、橋とマイマイたちの関係が、まったく、見えてこないんです。
仮に架橋時からあったとして、なんでマイマイは金属供出を免れてるの?
伊藤博文像も、忠犬ハチ公も、金属として、お国のために出征したのに(笑)
仮に後年に付け足されたとしても、なんでマイマイ?
罹災者が求めた、水の象徴?いや、もっと他にあるよね、水の象徴。
ひょっとして、マイマイじゃなくて、エスカルゴ?(食料説)
冗談はさておき、今のところ僕の説は、マイマイたちは後年になって、その通り道が濡れることから、柱に残された戦災や震災の傷跡を治癒するような意味を込めて、星座と共に付けられたのではないか、というもの。
そう聞くと、マイマイたちは傷を癒しながら、星座が描かれた空(未来)に向かって進んでいるように見えませんか?しらんけど。
どなたか正確なこと、教えてくれ~~
しかしながらこのマイマイたちのたまらないかわいさは何なのか。
そんなことを考えながら背後の水門に目をやると、、、あ、ゆるキャ(察し)
(20210410)
大輪田橋