俺の家に聖火が一時的に安置されることになって半年が過ぎた
俺の家に聖火が一時的に安置されることになって半年が過ぎた。一時的にと言いつつ、当面は元いたところ、これからゆくべき所に向かう気配もなく、気がつけば聖火と暮らしてもう半年。ややもすれば年の瀬である。こうなると物を預かっているというよりは、一時的に捨て猫を保護したらそのまま居着かれた感覚に近い。
我が家にやってきたのは俺の兄夫婦に頼まれた、というか押し付けられたためである。小春日和の昼下がり、今は都内で所帯を持つ兄がトーチを持ってきたその日から、我々一家と聖火の奇妙な暮らしが始まった。
一日の初めに、聖火の様子を見に行くのは決まって母である。起床して、テレビをつけ、それをぼんやり見ながら歯を磨き、うがいをする。洗顔をし、今日の回収はプラだっけ、紙だっけ、と収集カレンダーを眺める。それからようやく庭に出て、聖火の置かれた台座に向かう。この時の足音で、父は目を覚ますらしい。 自分が起きるのはもう少し後のことになる。
聖火の世話といっても簡単なものだ。燃料が切れていないか、火が他所に燃え移っていないかを日に何度か確認するだけ。トーチや台座が汚れてしまったら拭く。トーチはガス式なので台風でも来ない限り消える心配はないし、そうした天候不順の際は業者が一旦引き取りに来るので問題ない。ガスも週に一度、また別の業者が大量に置いていく。注入口から吹き込むだけなので、教われば誰でもできる。こういうガスを扱う上で、合法なのかはわからない。
平日は両親ともに仕事があるが、俺は在宅勤務なので、昼間の世話は専ら俺ということになる。夜は父である。休日はまあ、手が空いている人が見る。
臭いと煙と煤のほかは、近隣にも大した迷惑はかからない。かかっていたとしても、曲がりなりにも行政から委託されている『おつとめ』だから、表立って文句を言いに来る人はまだいない。
◆ ◆ ◆
あの日、五月の半ばだったろうか、兄からの電話を受けたのは俺だった。金曜の夜だったと思う。普段高圧的なところのある彼が妙に低姿勢で「頼みがあるのだが、父さんに代わってくれないか」と言ってきた時点で碌なことにならない予感はしていた。電話で長い話を終えた父は、テレビを観ながら飯を食っていた俺と母のところへ戻ってくるなり、神妙な顔でこう言った。
「明日、聖火来るから」
テレビの液晶には、報道番組の一場面が映し出されていた。ちょうど『五輪 開催時期またも白紙に』という特集の最中であった。母は箸を置いて、静かに言った。
「うちでは面倒見切れません。断ってちょうだい」
俺はその遣り取りを聞いて、仔犬引き取るみたいな言い方すんな、と思った。
翌日、俺は用事のために早くから家を空けていたのだが、夜遅くに帰宅したらもう聖火が庭に置いてあった。その周囲だけやたら明るいので嫌でも気づく。近づいてみると、トーチはメディアで喧伝されていたほど立派なものではなかった。むしろ随分チープに見える。トーチの突き立てられた台座のほうが余程どっしりとして高級感がある。ちょっとやそっとでは倒れないだろう。
と、背後に気配を感じて振り向くと、父が庭に面した大きな窓を開けてこちらを見ていた。まだ寝間着ではないので、今まで起きていたらしい。
「おかえり」
「ただいま」
「どうだ、聖火」
どうだと問われても答えに困る。少し悩んで、思ったままを言うことにした。
「予想より安っぽいな。トーチ」
父は笑って、これはレプリカなんだと言った。どうやら目の前にある火はオリンピア遺跡で採られた「そのもの」ではなく、聖火のバックアップとして灯された兄弟というか、複製《レプリカ》らしい。オリジナルは国だか都だかのちゃんとしたところで保管してあるが、万一の場合に備えての措置だという。そもそも火の区別なんか誰もつかないのにバックアップも糞もあるか、区別できる奴がいるならギリシャからでも連れてこいという感じなのだが、父に言っても仕方ないことだ。言うとしたら兄にであろう。
兄夫婦は都の職員で、オリンピックなんたら委員会だか言う組織で出会って結婚した。二人とも狂信的な五輪信者である。兄は大学生の頃そういう、人のたくさん集まる催しを誰より嫌っていて、オタクのくせにコミケすら唾棄すべきものと軽蔑して憚らなかったのだが、五輪と今の奥様に出会って人が変わってしまった。実家に残っている俺と両親は当時、洗脳かなにか受けたのでは、と本気で心配していたのだが、そんな我々を他所に彼らはさっさと籍を入れた。一応円満ではあるらしい。
そんな彼ら夫婦が五輪延期を受け、レプリカを保管する一組として組織内の抽選で選ばれたのが今年の四月頃だった。年始にも「オリンピックの準備で忙しい」「コロナ対策でてんやわんや」だのほざいて顔を見せなかった兄が久々に実家に連絡してきたと思ったら、あの聖火にこんな形で関われるなんて素敵だろ、聖火だぞ聖火、だのなんだの散々自慢してきたらしい。折しも父は、母と週に一度の晩酌を愉しんでいるところだった。母が一五分も付き合わされた頃、普段気の長い父の怒りが爆発したそうで、彼の「ええかげんにせえ」という怒号は、二階の自室でスマホをいじっていた俺の耳にも届くほどだった。
「親父」
呼びかけを聞いた父が、閉めかけていた窓を再び開けてこちらを見た。
「親父さ、なんでこれ、引き取ろうと思ったの」
父は俺の問いに、時間をたっぷりかけて、ぽつぽつと答えた。
「……子どもができたんだと。赤ん坊が生まれるのに、火は置いとけないと。謝ってきた。珍しく」
俺はその時の、父の何とも言い難い表情を忘れないだろう。
◆ ◆ ◆
俺の家に聖火が一時的に安置されることになって半年が過ぎた。今のところ、日本国民が夢にまで見たという(俺は見た覚えがないが)東京オリンピックはいつ開催されるのか、決まってすらいないらしい。国からも兄からも、いつ引き取りに行きますという連絡はない。まだ当分このままということだ。
当たり前だが、聖火は名の通り火だ。もし家に燃え移ったりなんかしたら保険が下りるのかもわからない。そもそも、いつ近隣から「煙い」と苦情が来てもおかしくないのだ。万が一それで訴訟沙汰になったとして、我が家の過失になるのか、というかそんな案件を引き受けてくれる弁護士さんがいるのかすら不明である。
しかしまあ、来年になればなんとかなるだろうという気がする。一年近く経ってもコロナ禍は完全に終息したとは言えないし、なんなら冬の到来で再流行の兆しすらあるが、それでも何とかなってくれないと困るのだ。年が明ければ、兄夫婦に第一子が生まれる。両親にとっては待望の初孫である。畢竟、俺も叔父になってしまう。新しい家族を迎えるのだから、一族みなが健やかでなければしょうがない。
今、俺は、庭の芝生にぺたんと尻をついて、聖火をぼーっと見つめている。肌寒いのでコートを着て、右手には半分ほど減ったハイボールの缶を握りしめている。駄目な叔父さんである。生まれてくる甥がこんな姿を見たら笑うだろうか。それとも泣くだろうか。兄夫婦は眉を顰めるだろう。両親は泣くかもしれない。
しかしまさに今、俺はいつになく真剣に火に祈っているのだ。俺の、父と母の、兄夫婦の、そして未だ見ぬ甥の末永い無病息災を祈っている。酒も古来、神と通ずるための神聖な飲み物とされているし。
眼前にあるのは腐っても聖火、遥かオリンピアの神殿で太陽の熱を分け与えられた聖なる火である。毎日世話してやっているのだから、それくらいの利益があっていいだろう。レプリカだろうが関係ない。どうせ全部、神様しか知らないことだ。