185系が登場したころの時代の雰囲気
東京と伊豆を結ぶ特急列車「踊り子」号に使用されてきた車両「185系」が先日のダイヤ改正でついに引退しました。登場が1981年ですから、約40年と予想以上に長生きしたことになります。
もう遠い昔のことですが、185系が世に姿を現したころの世間の反応など、今でもはっきりと覚えています。
型破り
当時の国鉄と言えばお堅い組織の象徴のようなもので、電車の色も規定にのっとって厳格に管理されていました。
そんなところに、緑のラインを斜めにまとった車両が忽然と姿を現したわけですから勢い世間の目を引きました。当時の国鉄としては精一杯のおしゃれだったのです。
当時、東京と伊豆を結ぶ列車は特急「あまぎ」と急行「伊豆」がありました。185系は1981年春からまずこの「伊豆」で使用されることになります。
通常の急行列車は4人で向かい合って座る「ボックスシート」ですが、この185系は2人掛けで前を向いて座れる「転換クロスシート」だったので、斬新な外観と相まって評判は上々でした。
「伊豆」号は伊豆急下田行きと修善寺行きがあり、途中の熱海で分割併合するので、その片方にだけ185系が使用されることもありました。タイトル画が古い急行車両と連結しているところです。当然、すべてが185系に置き換えられるまでの暫定的な措置ですから貴重な光景です。撮っておいてよかった。下手だけど(笑)
見難いですが、ヘッドマークに「急行 伊豆」と書かれています。
これが特急?
しかし185系には不審な点がありました。
急行で使っているのに、特急型を名乗っているのです。
通常、十の位が「8」なのは特急型と決まっています。急行に使っているのに、なぜそんな形式名を付けたのか?分かる人には分かる不吉な予感は果たして的中します。
1981年秋のダイヤ改正で、
特急「あまぎ」と急行「伊豆」を特急「踊り子」に一本化
すわ、鉄道趣味界は割と天地がひっくり返ったような騒ぎになりました。
185系は急行としてみれば良い車両ですが、「転換クロス、窓が開く…」などは明らかに当時の特急としてワンランク劣るものです。これでは実質値上げではないかと相当叩かれていたのを覚えています。
特急型なのに窓が開くのは、当時のサザエさんでもネタになったほどです。
特急は普通車でもリクライニングシートが普及しつつある時代でしたし、そもそも転換クロスというのは、同じころ関西でデビューした新快速117系と同じものです。同じ座席を関西では特急料金なしで利用できるわけですから、踊り子はぼったくりではないかという厳しい意見も聞かれました。
185系と同じ座席を備えた新快速用117系(奈良線転属後の姿)
当時の特急と言えばまだ「特別な急行」であり、格上感と希少価値を兼ね備えた存在という認識も強かったのです。185系の踊り子は、そうした特急の価値を貶めるものだという批判も多く聞かれました。
しかし、当時の国鉄の財政難も相まって、急行の特急格上げは強力に推し進められていきます。現在、JRグループで急行の定期列車は走っていません。イベント性の高い臨時列車として時折設定されるくらいです。
※他社乗り入れ先で急行になるものを除きます。
こうした「特急の大衆化」の口火を切ったのが185系だったのです。
それでも目玉商品
当時の国鉄本社で次世代車両のPRコーナー設けられ、たまたま訪れる機会を得ましたので185系に関する展示をご紹介します。
斜めのラインを引っ張るに至るまでにも、さまざまなデザイン案が検討されていたことがわかります。
また、「あまぎ」「伊豆」と「踊り子」の停車駅と所要時間比較表も掲げられていました。「踊り子」は特急でありながら急行「伊豆」の停車駅をほとんど踏襲していたことがわかります。
それでいて、「あまぎ」よりは遅いものの「伊豆」と比較して10数分のスピードアップを実現したのですから、一生懸命走っていたことがわかります。
その後の展開
185系はその後、東北・上越方面の比較的近距離向けの「新特急」、そして東海道線では踊り子の合間を利用して通勤客向けの「湘南ライナー」で使用されるなど、一貫して東京近郊の優等列車として活躍を続けてきました。
特急型としては批判の強かった転換クロスは、やがて他の特急型と同水準のリクライニングシートに取り替えられました。
やがて「ムーンライトながら」として遠く大垣まで足を延ばすようになりますが、近年はそれらの運用から徐々に撤退し、最後は185系のルーツともいえる「踊り子」で有終の美を飾ることになります。
もちろん「踊り子」号自体はなくなるわけではなく、新しい車両に置き換えられたわけですが、湘南ライナーについては置き換えと同時に特急「湘南」にまたしても格上げされてしまいました。
新車置き換えに伴い種別格上げ…歴史は繰り返すものですね。