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フットボールネーション

サッカー部と合唱部

絶妙なタイミングでこの漫画と出会ったと思う。

筋肉、特にインナーマッスルの使い方を通じて、日本がサッカー大国になるために主にフィジカル面から何が必要かを考えていくストーリー。

細かい内容については賛否両論あるようだが、例えば呼吸の際に横隔膜を360度膨らませる話、ピアノ線に吊られる感覚で基本の姿勢をとる話。
これ、高校の合唱部の時に全く同じことを教わった。
基本はどれも一緒なんだなあって。
どちらも体が資本だしね。

主役・沖千尋のいるチーム「東京クルセイド」は、世界基準のフィジカルセンスを持った選手で天皇杯を制し、日本サッカー界の目を覚ますという野望を持っている。

最新の15巻は、まさにその天皇杯決勝を戦っている最中で終わっている。

千尋のように親から逃げた自分

しかし、この漫画の僕にとっての真の醍醐味は別のところにある。

 沖千尋の父親が、サッカーを続けることに反対している。

さあ来た来た。なんとも人の琴線に触れる設定ではないか!

ここから俺のnoteらしさの本領発揮である。

このクソおやじ、こともあろうに

 スポーツは脳ミソが筋肉で出来てるバカがやるものだ

などと抜かしやがる。
常識で考えて人間の脳ミソが筋肉で出来てるわけねえじゃねえか。このヤブ医者め。
グーで殴るぞこの野郎。(実際には千尋が平手打ち食らった)

この糞ジジイ、医者の中でもそれなりの地位にいる人みたいで、二人の息子(兄・千春と弟・千尋)にも立派な医者になってほしいと願っている。

千尋はそれが嫌で、このアホ親父から逃れるため、徹底的に失望されるためにサッカー仲間(横浜Uの迅)の罪をかぶって少年院に入った。

 サッカーが出来ないなら… 死んだ方がマシだから

このシーン、あまりにもグッと来たのでスマホの壁紙にしてしまった。

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この後に手錠を掛けられたときの満ち足りた顔。
狂気と捉えられる方もいらっしゃるかもしれないが、僕にはこの気持ちが分かる。

サッカーのために、親から逃れる。

僕自身、就職するときに実行したことだ。


千尋は出所後も家には戻らずに、草サッカーの助っ人「ジョーカー」として収入を得ていた。馬鹿親父からの脱出に成功したのだ。

しかし、仮に傷害事件に巻き込まれなかったら、どうやってクソじじいの目を盗んでサッカーを続けるつもりだったんだろう?

その辺の「隠し設定」は気になるところである。

千春のようになっていたかもしれない自分

問題は兄・千春である。
父の期待に応えようと医学部にまで入ったのだが、ある日ふと自分が本当にやりたいことを自問し始めて…

それがないことに気づき、引きこもりになってしまった。

バカおやじの居ぬ間を狙って帰宅した千尋に対する、ドア越しの千春のセリフが切ない。

 サッカーに出会えたヒロが羨ましい。

それに対する千尋の返しが残酷極まりない

 気がついたらスクールでボール蹴ってたから、…

千春の叫びは、俺の叫びだ。

サッカーに出会う機会に恵まれた人の、なんと羨ましいことか。
出会える人は何の苦労もなく、物心ついたころにはボールと戯れている。

人生なんて、物心ついたころには大体の方向性が決まっているのだ。
そんな信念を補強するかの如く、忘れられないシーンだ。


考えてみれば、俺はよく引きこもりにならなかったと思う。

これは第二希望で惰性で続けていた鉄道趣味に救われたかもしれない。
乗り鉄なので「早く外に出たい」という願望が勝った。

今からでも遅くはない。
千春もサッカーに出会ってほしい。

出会い方は、一つじゃないはずだ。
それは俺自身が証明しようとしている。

親父のようなサッカー嫌いになっていたかもしれない自分

願わくば、トンチキ親父がスポーツを、サッカーを憎むようになった経緯も知りたい。

単なるスポーツ嫌いキャラで終わらせるのはもったいない。
サッカーにまつわる何か悲しい過去があったのかもしれない。

ことと次第によっては、俺だってこの父親のようになっていたかもしれないのだ。
幼いあの頃に、サッカーを忘れるために…サッカーを嫌いになることに成功していれば。

横浜で生まれ育った自分

この物語の舞台が「横浜」であることが、この作品に対する印象を決定的なものにした。

迅の通ってる架空の高校が「星川高校」とか、
ロシア人のイワンがいるのが鶴見区のブラジル人街とか。
もう身近過ぎて身近過ぎてワクワクしてしまう。

ちなみに千尋を少年院送りにした傷害事件の舞台は、我が家から徒歩10分もかからないはずである。

これで洋光台でも出てこようものなら卒倒する(笑)
たぶんないだろうけどね。

あらゆる面で自分の境遇に落とし込んで読める漫画だ。


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