ただの事務職がある日突然「PCR検査の現場に出れる?」と言われたら。
びっくりするよね。
私はとある医療機関に勤めていて、ポジションは労務専門。薬学の資格はあるけどメディカルなスキルは無い。コロナも盛んな4月頃、就業規則の見直しに頭を悩ませていたら、偉い人から後ろから肩を叩かれた。
「午後、時間ある?近隣で大規模クラスターがあって、うちもPCR検査を受け入れることになってね。何十人とくるから人手が無いくて。頼むよ~」
そんな突然の召集令状、笑いますやん。
令和2年4月頃を思い出して欲しい。マスクが不足、10万円の給付金。世の中が一番混乱をしていた時期で、コロナが「未知の敵」とされ医療現場でもガイドラインが成立していなかった時期だ。
今は医療関係者の感染や死亡例は殆どないが、当時はまだ実例が多かった。同じくPCRをする医療事務の課長は顔を見るなり「遺書は必要ないと思うよ」の一言
ホントかな???
有無を言わせず、施設から離れた急遽コロナ対応施設に作り変えた元物置に集まった。そこには感染専門家、検査の専門家、医療事務の専門家、施設管理の責任者、事務方のトップ。肩書は全て課長以上、オールスター。
で、一般市民の僕。
労働安全衛生が専門分野でもあるので「もしかして労災時のアリバイ作りなのでは」と疑い始める。感染専門家から「感染したら法的にどうなるの?」とか聞かれる。まぁ…状況的に労災認定されるんじゃないんすかね……。
じゃぁ防護服を着ようか!
ダンボールから登場する装備。印象は思ったよりガッツリじゃないんだなだった。貼り付けた記事と殆ど同じ。
装着したマスクは呼吸がほとんど出来ない。ブランケットと言われる保護服は軽いが通気性は無くて蒸れる。ゴム手袋も同じ。帽子の上から装着するフェイスシールドは時間とともに頭痛を生じる。不快な装備だった。特に呼吸がしにくいのはたまらない、これで動き回らないと行けない。
そして使い方を間違ったら死ぬ可能性があるという緊張感。日本でもまだ大規模対応の経験例が少なく、私が住む都道府県でも殆ど初。時系列的には東京で拡大をして地方に伝播。その第一発目なのだ。志村けんが死去した頃というと世相が分かりやすい。
専門家としても全員が手探り段階だった。
検査開始。
感染専門が説明や体調を確認し、検査の専門がサンプルをとる。インフルエンザの検査と要領は変わらない。他の人員は車の誘導をしつつ、本人確認をとる。事前に保健所から送られてきたリストを見て、健康保険証を写真で撮影して控えておく。
その場でお金の支払は行わない。金銭が汚染されている可能性もあるから、後日結果が判明してから頂く。説明をすると「そんな扱いなんだ」と検査を受ける側もショックを隠せない。
保健所も混乱をしているようで、リストにいるはずの人がいたり、逆もあったりする。家族での記載間違いが特に多い。もちろん我々も混乱をする。どこに行ったんだその人は?となるわけだから。
個人的には外国人の扱いが大変だった。日本語があまり通じないし、名前もリストと完全一致しなかったりする。一度、本当に間違えて取り違える一歩手前まで行った。
また、健康保険に加入してない人も一定数で現れる。外国人に多いが日本人でも勿論いる。クラスター発生での検査は保険適用されるが無料ではない。料金は頂く。医療事務の課長に聞いてみたら数千円ほどが、保険証が無いと1万円は超える。支払えないだの揉める場面もあった。
国民全員にPCR検査という夢物語
作業としては想定よりは早く進み、30人ほどなら1時間程度で対処出来るだろうという認識になった。その当時、マスメディアで国民全体にPCRを受けさせるべきという意見が強かった。自分としてはそれは無理だという確信を得た。
確かに今回は約7人しか参加してない。外野からすれば編成を増やせばドンドン出来るだろうと思うが、専門家は世の中に多くはいない。地方の平均的な医療機関は作れても2編成までで、それも継続は難しいハズだ。
対応が終わり控室に戻った我々は疲れ切ってイスにもたれかかって、みんな口数少なくぼーっとしていた。気温が思ったより高いし精神的に疲れていた。ただ、乗り切った安心感と、自分は貴重な経験を得ることが出来たという感情があった。
「貴重な経験」が仇となる。
経験をした人間がこの世界にひとつまみしかいない。そのひとつまみになってしまったのである。今回限りと思ったのが数日に1度声がかかり、自分専用の装備が用意され、最先端のコロナウイルスについての研修も受けることとなったのだ…。特別手当、欲しかったなぁ…?
風評被害の恐ろしさ。
この顛末は、不評被害を恐れてSNSには書くことが出来なかった。コロナを対応した医療関係者への迫害にも近い状況があったからだ。労務担当として対応もした。
保育園・託児所から医療関係者は利用を自粛してほしい。
実際にあった話だ。そうなると、その従業員は子供の対応で休まざるを得ない。純粋に戦力が失われる。その時の賃金の扱いはどうする必要があるかが問題があった。また、子供を自分たちの施設を利用して預かることが出来ないかなど課題は様々で、それに日々直面することにもなったのだ。
「ある日、突然、日常が戦場になる」
思い返すと、現場と社会の感覚の差が一番不思議だった。例えば、多くの戦争は兵士だけが戦っている。国民は母国で日常を送っている。兵士の苦しみ、緊張、混乱を国民は知ることが出来ない。好き勝手なことを言うし、兵士たちの犠牲を無視する行動を国民はとることさえある。
コロナの現場はまさにその状態だ。きっと今もそうだろう。前線の犠牲を国民は知ることは出来ない。医療現場の出来事は「ニュースで映る遠い異国の物語」だろう。コロナ感染者が自分か身内に発生して初めて自分のことになる。
ある日突然、戦場側になるのだ。自分はある日突然、肩を叩かれた。あなたはどうだろう。自分だけが撃たれないなんてことは、無い。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?