【子ども×サポート】子どもの成長をサポートするのに必要な考え方は「消極的干渉」である
けんすうさんのnoteがとってもおもしろくて、思うこともありましたので、忘れないうちに言語化しておきたいと思います。
「物語思考」 - 考え方を0から変えて人生をハックしちゃう方法|けんすう (kensuu.com)
人間は個で存在しているので基本的には「自分」と向き合っていればいいと思うのですが、子どもが生まれてきてくれたあたりから様子がおかしくなる。
もちろん、親という存在は「自分」の時間を切り分けて子どもを育てるため、子どもの人生についてあれこれ口を出す気持ちも分かります。
しかし、「先生」みたいな人間の成長にかかわる仕事になると、立ち位置が若干微妙になってくる。
「教えるべきことをおもしろおかしく教える」と自分の役割を設定してしまえばある意味ぶれないのですが、その関係性に「感情」が入り込むとたま~にお互いにとって居心地のわるい選択肢が出てきます。
しかし、そんな居心地のわるい関係性が不幸かと言われたら「その人による」というのが一番確かなのかなとも思います。
だからこそ、互いを尊重する、互いの幸せを考えるということは、「あまり自分軸で語りすぎない」ということに近いのかなと思うのです。
そんなことを考えながら子どもたちと接するようになってからというもの、「先生」と「子ども」の関係性で嫌な気分になることがめちゃくちゃ減ったのでおすすめでございます。
万が一、めちゃくちゃ共感してくださる方がいたのなら、共に新しい学校をつくりましょう。
と、宣伝をはさみつつ。
真面目な話。ぼくが人生をかけてコミットしている「子どもと大人が夢を共有する居場所づくり」は、ここまで書いてきたことと矛盾します。
だって、子どもの「居場所」をつくるのに、「子どもの人生に干渉しません」なんて言うのはどうしてもうさんくさい。
だからこそ、ぼくが大切にしていきたいと考えているのは、「消極的な干渉」です。もちろん、子どもの応援は盛大に行います。
「子どもの居場所として存在はしているんだけど、絶対に来ないとダメだなわけではない。でも、行ってみれば素敵なことがある」くらいのちょ~どよいバランスをねらっています。
ちょ~どいいと言いつつ、分かっているのです。
「来てくれている子どもたちのため!」とついつい熱く、積極的な過干渉になってしまうということに。
やっぱり、来てくれると嬉しいですからね。
子どもたちが帰るときには、「気が向いたら来てね~」なんて言いながら、心の中では、(絶対にね!)なんて思ってしまう自分もいる。
そんな隠れ熱血派のぼくが、子どもたちに必要以上の余計なお世話をしないために、絶対に見失っていけない「考え方」をここに書き留めておきます。
「考え方」なので、いつしか変わることを前提に書いております。
▼子どもの「人生」に干渉するために心に留めておきたい考え方
大大大前提として、「居場所」を利用してくれた子どもたちには、「幸せになってほしい」と思うのです。
ここで、「幸せとは…..。」と持ち出すと、話が終わらないので、深くは堀り進みません。
ぼくたちの「居場所」をつくってくれた子どもたちの人生が幸せであふれてもらえるよう、人生の一部分をサポートできれば最高です。
そんな理念を実現する上で常々考えていることを、まとまりませんが書いて行きます。
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