「壁はそこにあった」東北三部作上映会運営記録|エッセイ
何度か記事にも書いているが、僕は映画監督・濱口竜介氏の大ファンである。
先日行われた早稲田大学映画研究会主催「東北記録映画三部作」上映会というイベントも、僕が企画し運営を担当させてもらった。今回は上映会開催の経緯を書こうと思う。
昨年10月、新文芸坐で濱口監督の特集上映が行われた。上映作品は『親密さ』『ハッピーアワー』『ドライブ・マイ・カー』の3作。僕は高校生の時に地元の映画館で『ドライブ・マイ・カー』を見て衝撃を受けて以来濱口監督のことが気になっていたので、3作すべてのチケットを購入した。
1本目に見たのは『ハッピーアワー』。この作品は上映時間が5時間17分とかなり長いことで有名である。2回の休憩を含めると鑑賞するのに6時間以上かかる。こんなに長い映画を見るのは人生で初めてだったが、全然長いとは感じなかった。ただ、新文芸坐で映画を見るのも人生で初めてだったので、かなり前の席を取ってしまい首が痛くなった。新文芸坐はE列かF列がおすすめです。
2本目『親密さ』も4時間15分の大作である。この作品も本当にすごい。橋のシーンと電車のシーンは泣きます。3本目『ドライブ・マイ・カー』は2時間59分と短めだがとんでもない濃さである。なおチケットは全部一気に買ったので席は前側のままだ。『ハッピーアワー』での反省もむなしく首は毎回少し痛かった。
特集の3本を見て僕は完全にやられてしまった。濱口監督の映画を見ていると身体中に薬が回っているかのような多幸感と心地の良いしびれのような感覚を体験することになる(個人の感想です)。変態的な脚本、大胆な時間の使い方、強烈なカメラワーク、独特のセリフ回しときわめて統一感の高い演技。僕はすっかり濱口監督の虜になってしまった。
もっと濱口監督の映画が見たい!! そう思った僕は監督の作品を調べてみた。そこで見つけたのが「東北記録映画三部作」である。
東北記録映画三部作は東日本大震災の被災地・東北の人々の「言葉」を記録したドキュメンタリー作品であり、震災から半年後の被災地で撮影された『なみのおと』、1年後の『なみのこえ 気仙沼』『なみのこえ 新地町』、東北地方に伝わる民話を記録した『うたうひと』の4編からなる。
酒井耕氏とともに共同監督されたこの作品では被災の風景はほとんど写されず、被災者へのインタビューと民話の語りのみから構成されている。話すこと、聞くことに注目したこの映画は、被災の体験を「語り継いでいく」ことでその記憶を100年先まで伝えることを目指している。さらには鑑賞者が積極的に語りを「聞き」対話の中に入っていくことで、非被災者を含めた私たちと被災者である語り手との壁をなくしていくことも可能にしている。
僕はこのコンセプトを知って強い共感を覚え、ぜひこの映画を鑑賞したいと思った。しかも、この作品は『親密さ』『ハッピーアワー』『ドライブ・マイ・カー』といった後の濱口作品に影響を与えていると言われている。いち濱口ファンとしても、いち日本人としても見ておくべき作品であると感じた。
そこでこの三部作を見る方法を調べてみたが、サブスクの配信やDVDの販売は一切行っておらず、見る方法がなかなか見つからなかった。詳しい情報を求めて本作の配給を行っている会社のホームページを調べていると、
自主上映会をご希望の方
という表示があった。クリックしてみると1本につき20人2万円から上映会を行えるとのことだった。
やるしかない。僕は急いで映画研究会というサークルに入会し準備を始めた。
当初はなんとか20人くらい集めて行おうと考えていたが、ことが進むにつれてあれよあれよと話が大きくなり、キャパ200人の小野記念講堂での開催を目指すことになった。
企画を進めている頃、学部の同級生であるNさまが濱口好きであったことが判明し話が盛り上がったので、上映会をやりたいと思っていることを伝えると、
「その作品のプロデューサー、うちの母だよ」
こんなことってあるだろうか。世間は狭い。なんと監督とは濱ちゃんNちゃんの関係だとか。うらやましい。僕もそれを聞いてから濱口監督のことは濱ちゃんと呼んでいる。
色々決まってきたところで配給会社に問い合わせをすると、案の定Nさまのお母様から返事が来た。
時は飛んで3月中旬ごろ、僕は「GIFT」を鑑賞しに行った。「GIFT」は濱口監督の新作『悪は存在しない』と同時に制作されたコンサート用映像であり(制作経緯の詳細は『悪は』のウェブサイトや劇場パンフレットを参照のこと)、コンサートでは音楽家・石橋英子氏の演奏の後に石橋氏、濱口監督によるトークショーが行われた。
二人により制作中の思い出等が語られた後、質疑応答の時間になった。
ここで、宣伝しなければ・・・! 僕は瞬間的にそう思った。
だが、ここで宣伝ばかりをしてお客さん全員の時間を奪うのはマナー違反が過ぎる。東北三部作に関係があり、かつ少しくらい宣伝をしても許されるようなレベルの高い質問を考えなければ・・・!!
1人目の質問者の発言中、僕は頭をフル回転させて質問を考えた。後で聞いたことには1人目に質問したのは有名なアーティストだったらしいのだが、僕はそれに全然気が付かなかった。
無事質問をまとめられた僕は2人目の質問者として当てていただくことができ、とんでもない心臓の鼓動を感じながら濱口監督に、「三部作」や『ハッピーアワー』などと『悪は存在しない』の共通点と相違点について質問した。そして最後に「ちなみに三部作は今度早稲田大学で・・・」と一言宣伝させていただいた。すると濱口監督がポツリ、
「君だったのか」
実は今回の上映会にあたり当初、濱口監督にトークショーをお願いできないかと一度連絡を差し上げていたのだ。残念ながら監督は大変お忙しいのでお越しになれなかったが、覚えていてくれたとは・・・。
その宣伝の甲斐あり当日中に数人の申し込みがあった。さらに、シモキタエキマエシネマK2様がご連絡をくださり、4月下旬の濱口監督特集の期間にチラシを置いていただけることになった。
若者だからギリギリ許されたような乱暴なやり方ではあったが、終演後数時間激しい胃痛に襲われるほど緊張した甲斐はあった。
上映会開催が決まったときから3月下旬ごろまでに、僕はサイトの準備、チラシの作成、SNS投稿用の画像作成を行った。制作物はMotionGallery様のサイトや早大映研のSNSで見られるので是非見てほしい。今回自分は意外にデザインが得意だということに気づいた。かなりいい感じにできてます。
チラシは1000枚印刷し、新歓期間に配布した。僕はサークルに入ったばかりで映研のことはよく知らないし、新入生に話せることもないので歓誘側に立つのも変だとは思ったが、新入生に上映会の宣伝をせねばと考え、4月1日の入学式の日から活動に参加した。
参加した、と言うより主動したと言う方が正しいだろう。入学式の2日間は、同時稼働は僕を含めてほぼ3人体制という厳しい状況であった。僕は声をからしてチラシを配りまくった。
4月3日のアリーナEXPO(合同説明会)の時もチラシをブースに持って行った。僕は映研の新歓チラシの横に上映会のチラシを置いて、部室に物を取りに行った。そして音声機材を持ってアリーナに戻って来た僕は、上映会のチラシが機材の下じきになっているのを目の当たりにした。
おい!! 僕は映研幹事長にこの冷遇の抗議をした。
「なんで僕のチラシが一番下なんですか!!」
怒っている風に言ったがもちろん冗談である。すると、
「えー、赤字とか無いんでしょ、じゃあいいじゃん」
幹事長のこの言葉も冗談であることを祈る……
学内での配布に限界を感じ、新たな配布先を検討しているとき、上映会の運営チームに入ってくれていた他大の学生に声をかけてみた。早大映研はインカレサークルなので、都内を中心にいろいろな大学の学生が所属している。チーム唯一の他大生だった彼女に構内でチラシを貼ったり配ったりできるとこは無いかとたずねてみると、
「慶應なので早稲田のビラは配りづらいです……」
壁はそこにあった。
被災者と非被災者の壁を取り除こうとしている上映会ではあったが、こんな身近なところに壁が立ちはだかったていたとは。早慶の壁は想像よりも大きい……
結局慶應大ではほとんど宣伝を行えなかった。
4月の下旬、僕は非常に複雑な気持ちだった。なんとK2様の濱口監督特集で「東北三部作」の上映が決まったのである。
特集は濱口監督の初期の作品が中心であり、監督の学生時代の作品も含まれていた。どれも見たことのない作品だったのでとてもうれしかったが、問題は「三部作」を見に行くかどうかである。
今や上映会の構想は当初よりはるかに大規模になり、幅広い層の方々と一緒に災害や対話、伝承について考える機会を作れればという思いで僕は準備を進めている。ただ、一番最初の事の起こりは、なかなか見られないこの映画を「僕が見たい」という動機によるものである。ここで見てしまったら、なんというか、僕の行動の「土台」となっている部分が崩れてしまうのではないか? 僕はかなり迷ったうえで事前に見ておくことを選んだ。当日では忙しくてしっかり見られないかもしれないし、事前に見ておけば上映後に行う予定のプロデューサーのお二人とのトークショーの進行もよりよいものになるだろう。僕は7日間の特集上映のチケットをすべて買うことにした。
4日分ほど買ったところでこんな表示が出た。
ボックスにチェックを入れてください。
□私はロボットではありません
一人の人間が普通は買わない枚数のチケットを買ってしまったようだ。
特集上映2日目、この日は『何食わぬ顔』という作品の上映があった。『何食わぬ顔』は濱口監督が東京大学映画研究会時代に作った最初期の作品であり、今回の上映はかなり貴重な鑑賞の機会だった。
しかし、この日は僕が住んでいる寮の新入生歓迎会があった。いつもは優しい寮母さんが「全員参加」を強調していた。だが僕もここは譲れないぞ。僕は何食わぬ顔で歓迎会を欠席し、8mmフィルムで撮られた静かなる衝撃作を鑑賞した。
上映会2日前、僕は焦りながらすごく縦に長いデータを作成していた。当日に設置する立て看板に貼り付ける紙を作っていたのである。
はじめ縦2m以上もあるあの紙をどうやって作ったらいいのか全然検討がつかなかったが、2日前になって、早稲田大学ドキュメントセンターというところで印刷してもらえるという情報が入ってきた。
次の日、僕はドキュメントセンターに画像データを持って行った。そしてダメ元で翌日午前中までに印刷できるか相談してみた。すると特急料金なら間に合うとのことだった。そこで急いでPDFデータを書き出し担当の方にお渡しした。
当日朝、僕は小野講堂でチェックインをした後スクールバスで理工キャンパスに向かった。そして品物を受け取ってすぐ小野講堂に戻り、ある作業を済ませたうえで紙を看板に貼り付け、会場前に設置した。
ある作業というのは、紙の一部を修正テープで消すことだ。実はデザインを大急ぎで作ったせいで、東北記録映画の「記」の文字の8画目のところに「段落テキストを入力」という全く関係ない文字列が入ってしまっていたのである。小さくてほとんど見えないと思うが、僕のインスタグラムには修正していないデータが上がっているので、気になる人は拡大してみてください。
当日はとにかくスタッフが足りていなかった。人員集めが遅くなった僕の責任ではあるが、直前期にサークルのグループラインで切実なお願いをしたにもかかわらずなかなか人が集まらず苦労した。最後はサークルメンバーをジュースで釣ることになってしまった。
そこまでしても人員の状況は非常に厳しく、2日目の中盤でスタッフが一時僕一人になるという事態まで起きた。
ただ、協力してくれた少数精鋭のサークルメンバーたちが大変な働きをしてくれたため特に大きな問題無しに上映会は進行し、無事に終了させることができた。
この映画が持つ力が上映会の成功に最も寄与しているのは言うまでもないが、トークショーで貴重なお話を聞かせてくださったプロデューサーのお二人や、上映会にお越しくださった皆様、ご支援くださった皆様をはじめ、イベントに関わってくれた全ての皆様のおかげで、大変すばらしい上映会にすることができたと確信している。本当にありがとうございました。
お礼のジュースはもう少し待ってください……