僕が献血をする理由|雑想
僕はよく献血をする。大学に献血バスが来るとたいてい乗り込む。新宿や池袋の献血ルームにもときどき行く。たいていは突発的に。献血の看板を見て「あ、そうだ、献血をしよう」という感じで。
今日はふと、なぜ自分がよく献血をするのかを考えてみて、少し面白いことがわかったので書いてみます。
そもそも僕が献血をするということはかなり不可解なことである。なぜなら僕は注射がとても嫌いだからだ。病院のワクチン接種や血液検査でさえすごく怖くて、緊張して心臓バクバクである。まして献血や点滴の太い注射針ではなおさらだ。献血ルームでもあまりに怖がりすぎるのでいつも看護師さんに心配される。ではなぜ僕は衝動的に献血会場に足を運んでしまうのだろうか?
まず献血をするといいことをした気分になる。実際献血がいいことであるのはたぶん間違いない。いまの技術ではまだ人工的に血液を作ることはできないし、献血の量は足りていないらしいのでなるべく献血をするほうがいいと思う。そういうわけで献血をすると社会の役に立っていると感じられて気分がいい。
そして献血をすると色々な品物がもらえる。ジュースやお菓子はほぼ必ずもらえるし、場合によってはアイスも食べられる。カイロやモバイルバッテリーなどのおみやげがもらえることもある。これもとてもうれしい。
これらのことはもちろん僕が献血に行くモチベーションになっていると思う。ただ、今日改めて考えてみて、自分の中で他にも理由があるらしいことがわかった。
たぶん、僕は献血にまつわるあの時間が好きなのだ。
始まる前の待ち時間、横になって血液を採取される時間、終わった後しばらく安静にする時間。これらの時間はただ静かに過ごすことだけが求められる、何もしなくていい時間である。この何もしなくていい時間に、本を読んだりスマホをいじったりするのがとても心地よい。この落ち着いた時間(採血前はあまり落ち着かないが)を過ごしたくて、僕は献血をしているのかもしれない。
よく考えるとこういう何もしなくていい時間って意外と貴重ではないだろうか。これは別に多忙アピールでも何でもなく(僕は基本的に暇な人間だ)、我々の時間の過ごし方の根本的な性質であるような気がする。我々が何もしないで過ごしているとき、その時間は実はたいてい「何をしてもいい時間」であり、「何もしなくていい時間」とは本質的に異なっているのではなかろうか。
自宅などで生まれる空き時間に、我々はちょっとした家事や勉強、読書やその他のコンテンツ視聴など、様々な活動をすることができる。このような「何をしてもいい」環境では我々はたいてい「何かはしなければならない」という思考に陥ってしまい、何かをしようとしてしまう。いろいろな選択肢があるのでつい「何もしない」という選択肢を見落としてしまうのだろう。「何をしてもいい」が勝手に「何かしよう」になってしまうというわけだ。
対して献血ルームでは行動の自由度が低い。採血中はもちろん身動きがほとんど取れないし、その前後もあまり動くことはできない。採血前も意外と待ち時間があるし、採血後も安全のため一定時間座って待っている必要がある。そこでできることといえば、ぼーっと考えごとをしたり、もらったお菓子を食べたり、本を読んだりスマホを触ったりすることくらいである。
では、単に活動に制限があればよいのかというとそうではない。できることの自由度が低い状況でも「何もしなくてもいい」は実現されない場合がある。
例えば電車の中で本を読んだりスマホをいじったりすることは、献血ルームでそうするのと比べて質的な違いがある。電車の中ではすでに移動というタスクが進行中であり、それと並行してもう一つのタスクを進めたいというマルチタスク欲求がはたらいている。しかもこの背景にはカット不可かつ非生産的な移動時間をもっと有効に使いたいという考えがあり、そうすべきだという社会の雰囲気がある。ここに関しては異論があるかもしれないが、少なくとも僕はこうした雰囲気を感じているし、それに流されている気がする。
一方で献血の時間はマルチタスクになりえない。というのも献血は自分にとって必要なタスクでは全くないからだ。
さらに献血は究極的にカット可能な時間である。忙しいのならはじめから献血などしなければいいのだから。献血に行っている時点で、「せめてこの時間を有効化しよう」などという考えは原理的に起こりえないのである。
そういうわけで献血の時間はもとより無駄な時間であり、逆に言えばこの無駄な時間をあえて過ごすことが時間に対する心の余裕を生んでいるのではないだろうか。
これが献血が生み出す「何もしなくていい時間」の秘密だ!! なかなか心地よい時間なのでみなさんも体験してみてはいかがだろうか。
とまあ、こうしてゴチャゴチャ述べてきたが、普段からこうやって考えて献血に行っていたわけではない。献血ルームで過ごす時間に対してぼくが感じた独特な感覚をあえて言語化するならこうなるということに過ぎないので、色々ツッコミどころはあるかもしれませんが悪しからず。
献血ルームはタイパ時代のオアシスかもしれない。
終
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