マリみてSS「Chaleur」

お題:「仮面のアクトレス」より「素面のひととき」(2022/02/23)

「あれ、一人?」
すらりとした肢体の三つ編みの少女が、扉を開けて顔を出した。
「さっきまで乃梨子ちゃんがいたんだけれどー」
書類を片付ける手を止めて、祐巳は答える。
「何やら急いででかけていったよ。一階にいた私に気付かなかったくらいだし」
「なるほど。察するに、目指すは志摩子さんのところかしら」
「多分ね」
選挙期間中は、自分が側にいて志摩子さんにパワーをあげるんだ、と言っていたから。
「祐巳さん…もしかして、この前のことを気にしているの?」
「え?」
この前。
ささいなことが原因で、祥子さまとケンカした。普通だったら聞き流してもいいような言葉なのに、その日だけは何故か食い下がってしまった。
「それだけじゃないんだけど」
祥子さまと何かあるたびに、どうして自分は水野蓉子さまのように余裕をもって祥子さまに接することができないのかと、落ち込んできたのだ。何も、この前に限ったことではない。
「あれは、妹の当然の権利よ」
「権利?」
「そう。四月になったら祥子さまは卒業なさるのだから、それまでは甘えたっていいんだから」
ー卒業。
昨日まで一緒だった祥子さまが、突然目の前からいなくなる。
「でも、それは」
何も祐巳だけに限ったものではない。
「令ちゃんだって卒業するけど、私には菜々がいるし、志摩子さんには乃梨子ちゃんがいるわ」
「…うん」
確かに。
大切な仲間はいるけれど、それは祥子さまではない。福沢祐巳における小笠原祥子という存在は、特別なものだった。
「甘えておきなよ。そりゃ、将来のことを考えて、独り立ちのために距離を取るのも一つの手ではあるけど」
「…それは、難しいね」
祐巳は、もう祥子さまのぬくもりを知ってしまった。あの優しい笑顔を。あの温かい手を。生涯忘れることはないだろう。
でも、卒業は逃れられない運命だ。
これまで返せないほどたくさんのぬくもりを、祥子さまからもらっていたはずなのに。
それを、今になって「物足りない」だなんて。
「ダメだな、私」
ため息をつく祐巳を、をうんざりした表情で由乃さんが眺める。
「何言ってんのよ。祥子さまはお姉さまなんだから。祐巳さんが甘えたいなら甘えさせてあげるのが役目なのよ。もっと欲しいなら欲しがっていいんだから」
力のこもった熱弁に「そうかな」と尋ねれば「そうよ」と力強い答えが返ってくる。
「ありがとう」
由乃さんにそう言ってもらえただけで、少し心の中が軽くなった。

お姉さまのいない午後。
「時には、そうやって祥子さまのぬくもりを感じたほうがいいのよ」
由乃さんが言った。
「ぬくもり?」
「ケンカするほど仲がいい、ってやつよ」
「ふうん」
仲良し姉妹を十何年もしてきた由乃さんが言うんだから間違いないのだろう。
もう少しは、ぬくもりを欲しがる迷惑な妹でいようと思った。
もう少し。
祥子さまが、リリアンを卒業されるまでは。

あとがき
シャルール。フランス語で「温もり」という意味だそうで。
本編と意識して似せました。
この頃には紅薔薇さまとしての貫禄がでてきた祐巳ですが、最初の頃の甘えん坊な祐巳というのを出したかったのでこうなりました。

シャルール
分類:フロリバンダローズ
作出:木村卓功(ロサ・オリエンティス・プログレッシオ)


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