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島津由乃と有馬菜々を考えてみたお話「Cope de Coeur」

https://twitter.com/cusinada000/status/1458073689866444813?t=PIeW7Pr6unaOvWiNUJk0aQ&s=19

きっかけはこちらのツイート。

僕自身は、有馬菜々というキャラクターは(SSでの利用価値において)かなり高く評価している。
熟年夫婦として成熟しきった関係性だった黄薔薇姉妹に、新鮮な風を送り込んでくれるキャラクターは、書いていてとても楽しいからだ。

しかし、キャラクターへの理解度、という点ではどうだろうか?
ここに、僕が「妹オーディション」から続く島津由乃と有馬菜々を見た結論を書きたいと思う。

由乃と菜々の出会いは、妹オーディションである。
結局、約束の日(剣道大会当日)までに妹を用意することができなかった由乃。
切羽詰まった末に、突然出会った菜々に口裏を合わせるよう頼む。
菜々が中等部の生徒であり、その場しのぎの嘘であることまで見抜き、その上でどうなるのかを楽しみにして江利子は去る。
その事実を知らされて愕然とする、というオチ。

結論から言うと、この時点で菜々はもう落ちている。一目惚れだ。

最初に「話を合わせて」と言われた時点で、その話に乗るか乗らないかは菜々に委ねられた。
当然、乗らない選択肢はあっただろう。
しかし、アドベンチャー好きの好奇心や、由乃の制服からリリアン女学園高等部つまり上級生であることから断りづらい、この時点では乗ったとしても不利益がなく不利益が生じ始めた時点で切り捨てるという選択肢も残しておけるなど、話に乗る条件は揃っている。

当初僕はそういう打算的な面から考えていたが、後々のやりとりを読み込んで全くの見当違いだと気付いたのだ。

1.妹オーディション

「紹介しますわ。彼女が、私が妹にしたいと思っている子です」
「そう」
名前を聞かれる前に少女が自己紹介したので、正直由乃は助かった。
「有馬菜々と申します。初めまして」

妹オーディション  P.194

「私の目の前で儀式をしてくれるんじゃなかったの?」
〜中略
「それは……、いろいろと事情がありまして」
「事情?」
江利子さまは、今度は由乃ではなく有馬菜々の顔を見た。すると、菜々が言った。
「申し訳ありません。私の方の事情で、今すぐロザリオをお受けすることができないんです」

妹オーディション  P.194

この一連のやり取りで、菜々はリリアン女学園高等部独特の伝統である姉妹制度を理解していることが分かる。
姉妹制度を理解していなければ「妹にしたいと思っている」といきなり言われても意味が分からない(「いもうと」にせよ「プティ・スール」にせよ、である)はずだ。
また、姉妹の契約にはロザリオの授受を行う、ということも理解しているのが分かる。

「中等部の生徒でありながら、高等部の姉妹制度に憧れている」という生徒がいることは、短編「ショコラとポートレート」で描写がされている。
菜々が憧れていたかは分からないが、そういう情報は中等部の生徒間でも共有があるのだろうということが推察できる。
事実、菜々は姉妹制度を理解している。

となると、話の進展如何ではロザリオをかけられてしまう展開も十分に考えられるはずだ。
切り札である「自分は中等部の生徒であるが故に姉妹にはなれない」というのも、姉妹制度を知っているものならロザリオをかけられる重さは知っているだろう。
当然、ロザリオをかけられそうになってから言い出す、という選択肢はあるだろう。
ぱっと出会った相手に口裏を合わせてと急に頼まれたにしては、よく付き合った方だ。

ただ、そうではないと気付いた。
菜々の側には「ロザリオをかけられても良しとする」という気持ちがあったのではないだろうか。

去り際の「あなたの妹は、そのロザリオをもらえるんですか」の一言もそうだが、後々の発言からも読み取れる。

2.薔薇のミルフィーユ

舞台は代わり「黄薔薇パニック(「薔薇のミルフィーユ」収録)」に移る。
妹オーディションの結果、妹候補が全滅。唯一残った菜々に狙いを定め、由乃は親睦を深めようとお礼がてら食事に誘う、というお話。

「また何かお手伝いできることでもできましたか」
菜々が訪ねてきた。困ったことがなければ、由乃が会いにくるとは思わないようだ。
「先日のお礼がまだだったから。それと、ちょっとお話したいと思って」
「お礼だなんて、結構です」
ただ口裏を合わせただけだから、と菜々。

薔薇のミルフィーユ  P.20

最初のセリフから、僕は当初二通りのパターンを考えていた。
一つは「また何かお手伝いできることでもできましたか(呆れ)」
二人の唯一の接点は、由乃が苦し紛れに菜々を頼ったことだけである。
それ故に、菜々は由乃をトラブルメーカーと捉え、またなにかやらかしたのか?また自分を頼るのか?というもの。
印象としては最悪である。
「お礼なんて、結構です」というセリフは、ほぼ拒絶に近いセリフになる。
「他人から頼られるのは嫌ではないが、アテにされるのは嫌いだ」とは、どこぞのアニメキャラが言っていたセリフだが、これは大体の人間がそうではないだろうか。
とはいえ、ほぼ初対面と大差ない、ましてや上級生に対する態度としては有り得ないだろうし、そこまで悪印象をいだかれていたなら、流石に反応で由乃も気付くだろう。

もう一つは、「また何かお手伝いできることでもできましたか(歓喜)」である。
中等部の生徒と高等部の生徒。ましてや相手はその中でも格の違う「山百合会のメンバー」である。そうそうお近づきになれるものではない。
このパターンは、前に言った仮説と比べると好印象だ。
この場合、「お礼なんて、結構です」というセリフも意味合いが変わってくる。
つまり、礼などされてしまうと、あの出来事の貸し借りが帳消しになってしまう。つまり、唯一の接点がなくなってしまうのだ。
事実、菜々は女の子にとって水戸黄門の印籠と同価値(と由乃は思っている)ケーキセットのご馳走を出されても、首を縦に振らない。それも、当日に予定が入っている訳ではないにも関わらず、である。

この二つの仮説のうち、前者が成立しないのは、別れ際に菜々が由乃に手を振っている=悪印象は抱いていない、という事からも明確である。

その後は、「大好きな令ちゃんがお見合いする」と聞いて取り乱した由乃と一緒にカチコミに繰り出す、というのは御存知の通り。
この時点では、まだ由乃の心は”令ちゃん>>>>>>菜々”である。
「黄薔薇注意報」において、剣道部への入部か支倉令との姉妹解消かの二択を迫られた由乃は、こう言っている。

由乃は、令ちゃんの両肩を掴んで迫った。
今、まさかの事態に直面して、すごく動揺していたを剣道部に入っただけで、どうして令ちゃんを失わなければならないのだ。
剣道と令ちゃん、どちらを選ぶかと問われれば、由乃は迷わず令ちゃんをとるだろう。同じ秤にのせるのが不可能なほど、令ちゃんの方が遥かに重い。なのになぜ、って混乱していた。

レイニーブルー  P.138

この時点では。いや、この時点においても、支倉令という存在に釣り合う存在などないという事になる。

当日は「面白そうだから」と、由乃の行動に付き合った菜々。
「あ。バタバタして菜々のこと令ちゃんに紹介していなかった」
「そうですよ。待っていたのに」
〜中略
「でも、何て紹介したらいいのかな?」
江利子さまを騙すのに口裏を合わせてくれた中等部の三年生?
去年と今年、令ちゃんが交流試合で対戦した田中さんの妹?
冒険好きで、令ちゃんとケーキの趣味が一緒で、一見しっかり者に見えるのに詰めが甘い女の子?
それとも。
来年度、由乃がもしかしたら妹にするかもしれない子―?
菜々は言った。
「令さまとお手合わせしたがっている中等部の生徒、って言ってください」
「えっ!?」
〜中略
「必ず伝えてくださいね」
そう言ったきり静かになったと思ったら、菜々はもう隣で寝息をたてている。

薔薇のミルフィーユ「黄薔薇パニック」P.77

  谷中少年の由乃さんへの宣戦布告があったりと色々あってのシーン。
この「有馬菜々を支倉令へ紹介する」というのは、今後も色々とキーになってくる。

さて、この菜々の「令さまと(剣道で)お手合わせしたがっている中等部の生徒、って言ってください」というセリフ。
これは決して口からでまかせを言っているわけではないが、理由付けとしてはどうだろうか。
そのまま受け取る事もできるだろう。
僕自身の話で恐縮だが、かつてトレーディングカードゲームのプレイヤーだった頃、腕試しとして色々なカードショップの大会に道場破りのごとく殴り込んだものである。
闘争本能とも異なる、勝てる勝てないでは測ることのできない勝負への熱。
これが女性に備わっているのかは分からないが、ある種の勝負の世界に身を置くものとしては、理解できない気持ちではない。
ただ、これは「由乃への助け舟」であり、「菜々と由乃を繋ぐ次の一手」と読み取れるのではないだろうか。

先程、交流試合でのお礼をされると、関係性が途絶えてしまうために菜々が難色を示した、と書いた。
事実、ケーキを奢るというイベントは無事消化されたし、谷中少年が菜々と関係性のない人間だと分かったとしても、今後それが何か関係してくるわけではない。
となると、由乃との貸し借りはナシとなった。
一緒にお出かけした分だけ先輩後輩として、浅い関係ではなくなってはいるが、それだけである。
由乃は、菜々をどう紹介するものかと悩んでいた。
しかし、菜々にとってはどうだろうか。
口裏合わせに乗ってくれた中等部の生徒として紹介されても、交流試合で対戦した田中の妹として紹介されても、ケーキの趣味が合う生徒として紹介されても、「だからなんだ?」である。
後にも先にも、由乃が菜々を他人に紹介したのは唯一つ。
「妹にしたいと思っている子」ただそれだけである。
菜々は、それを待っているのではないだろうか?

「じゃ、もしかしてK駅でケーキセット食べておしゃべりするという、当初の予定よりよかったのかな」
「たぶん。でも、それはそれなりに面白くなったと思いますよ」
「そう?」
「ええ。だって、由乃さまは予想以上に面白かったから」
「……面白い」

薔薇のミルフィーユ「黄薔薇パニック」P.64

もし。
想定通りにケーキセットを食べておしゃべりしていたら。
由乃は猫を被り、他愛もない無難な一日で過ぎ去ったのではないだろうか。
しかしこの時は、由乃は猫を被る余裕もなく、比較的素に近い状態だったのではないか。
そしてそれは、菜々にとっては「面白い」という。
この「面白い」という評価は、初めて菜々の口から出た由乃への高評価のセリフである。
もう、この時点で相性ピッタリなのではないか。この二人は。

口裏わせの件の貸し借りが帳消しとなった今、菜々が由乃と接点を持てるとしたら、それはもう剣道しか残っていないのだ。
妹候補である、という事を除けば―
これはもう、菜々からの告白と言っていいだろう。
あなたとまだ繋がっていたいのだ、と。

3.未来の白地図

この菜々からの「せっつき」が決め手となったか、薔薇の館のクリスマス会に菜々を招待することになった。
これがまた悶着の種になったりもしたが、とにかく菜々の山百合会メンバーへの初お目見えはこれで適ったわけだ。
「だから、私はある下級生をパーティーに呼ぶことにしているわけよ」
「はい」
〜中略
乃梨子はそこでやっとわかった。由乃さまは、妹にしたい生徒ができたから、それとなくみんなに紹介したいと思ったのだ。そのためには、他にもゲストを呼んで、その存在をできるだけ目立たなくしたい、そういうことだろう。
「おめでとうございます……でいいんでしょうか、この場合の受け答えは」

引用:未来の白地図 P.75

乃梨子がこのように受け答えしている以上、クリスマス会に呼ぶ下級生、イコール妹候補とつながるのは不自然なことではない。
ましてや妹もおらず、妹を持つように言われている(由乃は直接言われてはいないが、大々的に妹オーディションまで開催した後である)側が招待するのだ。無関係とは言わせない。
確かに去年と比べて人数が二人減ってはいる。しかし、写真撮影要員として呼ばれている蔦子はともかく、呼ぶメンバーは山百合会に無関係の人間なわけがない。
そのための瞳子と可南子である。「特別でないただの一日」で劇をやった仲の二人なら、山百合会に無縁ではない。
菜々はどうだろうか。関係性を知れば令は存在は認識しそうではあるが、全くの無名のダークホース。
自己紹介では「ひょんな事から知り合った」と説明したが、その「ひょんな事」とはなんだろうか。
クリスマス・イブに。家族と過ごすことよりも山百合会メンバーといることを優先する人物が、ただのお友達でいいわけがないだろう。

「可南子ちゃんたち、じき来るの?それじゃ、私も」
なんて、そわそわしながら部屋を出ていく。たぶん、有馬菜々さんを迎えにいくのだ。
「ふう」
何だか、祐巳は他人事ながらドキドキした。そうしたら、ちょっと離れた所で、やはりため息が聞こえてきた。
「……由乃のやつ」
令さまはテーブルに手をついたまま、もう一度大きく息を吐いたのだった。

引用:未来の白地図 P.94

当たり前だが、ただのお友達を呼び出しに行くだけなら、そわそわする必要はない。
そわそわするのが、それがそわそわしてしまう相手であり、相応の理由があると考えるのが自然である。
ましてや従姉妹として長い時間を共にした令なら、由乃の変化に気付いただろう。

先程は、口裏合わせの件は貸し借り無しとなった、と書いたが、どうやら由乃の側はそうとも思っていないようだ。
宿敵鳥居江利子からの窮地を助けてくれた恩は深いということだろうか。
由乃の菜々への態度は、彼女の性格を考えても煮えきらない印象を受ける。
話は前後するが、「ハローグッバイ」では、中等部である菜々にロザリオを渡している。つまり、中等部の生徒=妹候補にはならない、というのは破綻している。菜々も中等部を卒業して、令さまと江利子さまを招待できて、というタイミングはここしかないのだが、いくらエスカレーター式のリリアンとはいえグレーゾーンではないだろうか。中等部の生徒ではないが、まだ高等部の生徒でもないのだから。
その割には、さっさと「菜々は妹候補である」と宣言しない。
本人はその理由を「令ちゃんがショックを受けるから」と言っていたが、本心はこの関係が壊れてしまうことを危惧してのものではないだろうか。
ショックを受けることを心配するなら、紹介した時点でショックはショックではないだろうか。
この時期、妹がいない山百合会幹部が、後輩を内々の会に招待するのだ。先も書いたが、それを無関係の他人と片付けるのは苦しい。誰でも邪推(?)するだろう。三奈子さまでなくとも、「スクープ!黄薔薇のつぼみの妹候補は中等部生徒!」と見出しを書く。
踏ん切りがつかないのは、”大好きな令ちゃん”のことではなく、由乃自身にあるわけだ。
「いつもイケイケ、青信号」が信条の由乃が、菜々に対してのみ、こうも尻込みしているのは、普段の彼女からは解せない。
これは、裏を返せば「壊れてしまいかねない関係性では内弁慶」ということだろう。

「私って、どう見えるかしら」
鞄にノートをしまう手を休めて、由乃さんはつぶやいた。
「由乃さんのこと?」
「そう。祐巳さんの目から見た、私のイメージ」
〜中略
「少し病弱で、守ってあげたいタイプ?」
〜中略
「女の子だなぁ、って感じ。人当たりがやわらかくて、穏やかで、可愛くて。うちの弟なんか、きっと好きなタイプ。……あれ?」
〜中略
女の子が「女の子らしいもの」と思い込んでいるイメージって、あまり変わらないのかもしれない。少なくとも由乃さんとはその点一致して、大いに盛り上がってしまった。
「でも、はずれ。私、全然そんな女の子じゃないの」
由乃さんは言った。
「そうなの?」
「そう思われがちなのよね」

黄薔薇革命 P.60

「令ちゃんと私のアンケート。二枚あったんだけれ、二枚目が全部入れ違っているの」
〜中略
令さまが少女小説読んでて、由乃さんはお侍さんが人をバッタバッタ斬る小説読んでいるなんて。絶対に絶対にイメージが合わない。
すると由乃さんは、証拠とばかりに積んであった文庫本を取り上げて、カバーを外して祐巳に見せた。「……池波正太郎」

黄薔薇革命  P.147

ともすれば自分のイメージが崩壊してしまいかねない趣味を、祐巳には公にした由乃。
これは、作中ですでに「この程度の事を言っても祐巳は友達でいてくれる」という確証があってのことだろう。
実際、次作「いばらの森」では祐巳の前で存分に内弁慶ぶりを見せているし、「ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」では、恋敵田沼ちさとに悪態をつく(未遂)始末。
崩壊してもいい関係とそうではない関係。
黄薔薇革命の祐巳は後者だが、崩壊しないという確信あっての。田沼ちさとに関しては前者の。それぞれ関係性の差を見せてくれた。
さて、菜々はどうだろうか。
恐らく、由乃にとって初めての「壊れてしまいかねない脆さを秘めた、壊したくない関係」だったのではないだろうか。

「行こうか」
「はい」
菜々は、手袋を取ってコートを脱いだ。
「あー、ドキドキする」
言ったのは由乃の方である。菜々ではない。
「なぜ、由乃さまがドキドキを?」
私ならともかく、と菜々は首を傾げる。プレッシャーに耐えきれず、思わず口走ってしまった言葉を、聞き逃してはくれなかった。
「えっ。だって、あの、やっぱり私が菜々を連れていくわけだし。みんなに何て言って紹介したら……とかね」
「それって、そんなに難しいものなんですか?」

未来の白地図   P.100

菜々の一言「それって、そんなに難しいものなんですか?」には驚いた。
というのも、これはつまり「私達の関係は簡単に説明できるだろう」ということである。だからこそ「そんなに難しいものなんですか?」である。
当たり前だが、「交流試合で令ちゃんと対戦した田中姉妹の四女で、訳あって有馬の姓となっていて、江利子さまの前で嘘の口裏合わせに付き合ってもらって、お見合いの日には一緒に付き合ってもらった中等部の生徒」なんて説明するより、「妹にしたいと思っている子です」と説明したほうが簡潔である。
そして、そう紹介されても構わないから「それって、そんなに難しいものなんですか?」と言っているのだ。
これはもう、事実上の告白と言っていい。
しかしここまで来てもなお、由乃は及び腰なのだ。

例えば由乃と菜々の間に、将来姉妹になるという約束がされているなら話は簡単なのだ。妹として、皆さんにお披露目すればいいだけのことだから、
けれど、何だこの関係。
菜々は、中等部の中で由乃が一番気になっている生徒かもしれないけれど、他に二人の関係を簡潔に表せる単語が探せない。
ドキドキするのは、みんながどう反応するかがわからないから。
ドキドキするのは、菜々がどういうつもりでいるかわからないから。

未来の白地図   P.100

外野である僕達読者はともかくとして、由乃にとっては、簡潔な単語で説明できない、初めての人間関係が現れたのだ。
祐巳は”親友”、令ちゃんは”姉妹”で”従姉妹”で”大好きな人”、山百合会のメンバーは”仲間”、田沼ちさとは”恋敵”
それらのどれでもない簡潔な言葉で言い表せない存在を前に、完全に怖気づいている。

対して菜々はどうだろうか。
ノープレッシャーと由乃に評されてはいるが、その実は違うのではないだろうか。

何のプレッシャーもない菜々が、由乃にはうらやましくも憎たらしくもあった。だって、ドキドキしないということは、軽い気持ちで薔薇の館のパーティーに出向くという意味に他ならないから。
だから試験休み中、さんざん迷ってやっとかけた電話で「パーティーに来ない?」と告げた時、よく考えもしないで「行きます」と返事をしてしまえたのだろう。由乃なんて、眼中にないのかもしれない。
菜々にとって、薔薇の館でのクリスマスパーティーは、きっと彼女の言うところの、アドベンチャーの一つでしかないのだ。

未来の白地図   P.101

僕はこれについて、二つ異を唱えたいと思う。
まずは、クリスマスパーティーへの参加を即答したこと。これは、菜々に当日予定があったかは定かではないが、それらを差し置いてでも参加したいという意思表示ではないだろうか。
そう捉えると、由乃のことなど眼中にない、というのは真逆である。むしろ、由乃のことしか見えていない、というのは言い過ぎだろうか。
もう一つは、クリスマスパーティーなどアドベンチャーでしかない、という点。
菜々は行動原理にアドベンチャーであるかどうか。これを非常に大きな要素であると考えているキャラクターだ。だとすれば、アドベンチャーであるこのクリスマスパーティーは、非常に良いことであるということではないだろうか。
そりゃあ、由乃の側からすれば、清水の舞台から飛び降りる気持ちで投げかけたオファーをアドベンチャーと片付けられるのは不本意だろうが、菜々からすれば最大級の最優先事項である。
「価値観の違い」と言ってしまえばそれまでだが、それを含めての人間関係であり、姉妹関係とも言える。

「令ちゃん、令ちゃん」
菜々の腕を引っ張りながら、令ちゃんの側まで歩いていく。
「菜々がね。いつか令ちゃんとお手合わせしたいんだって」
令ちゃんはちょっと顔を上げて、意外なほど早く回答をした。
「いいよ。剣道で?」
なぜだ。
編み物とも、ケーキ作りとも、コスモス文庫の早読みとも勘違いすることなく、どうして令ちゃんは正しく回答を導き出せるのだ。
「冬休みにでも、うちに遊びにおいで。小さいけれど道場があるから」
そして、どうしてそんなにやすやすと、よく知らない女の子を迎え入れる?

仮面のアクトレス   P.142

流石に混乱し過ぎやしていないだろうか。
客観的に眺めれば、令と菜々は剣道以外に共通項がない。
そして、編み物やケーキ作りを「お手合わせ」なんて言わないし、令の趣味が編み物やお菓子作りというのは、黄薔薇革命では全校生徒が気が付かなかったほどのことである。
菜々がそんな令の趣味を知っている訳ないのであるから、そんな勝負を言い出すわけがない。
ついには「よく知らない生徒を迎え入れられる?」とは。
これについては、菜々をよく知っているのは自分だけ、という自負というか、負い目にも近い感情があったんじゃないかと思う。
実際、山百合会幹部の一部にしか伝えていないトップシークレット。当日まで菜々を見た人間に至っては、令ただ一人であり、令には伝えていない。
この後、この約束を先延ばしにしようと必死な由乃が、令がリリアン以外の大学に進学するという衝撃の事実を知ることになる。
この件は、菜々と由乃のみの関係性に絞った今回は外させてもらう。
由乃の妹、つまり令にとっては孫になる関係なら、大好きな令ちゃんと親しくなってもいいが、そうでない(まだ確定していない)生徒では近付けたくもないのだろう。
この時点では、まだ菜々と令では、令のほうが比重が大きいようだ。

そして、この比重が崩れ去るのが、「黄薔薇、真剣勝負」である。

4.黄薔薇、真剣勝負

恒例行事となった小笠原邸での新年会は、いつもの「妾のところに男共が出払って寂しくなる小笠原家を賑やかしにいく」という名目ではなく、「クリスマスに姉妹の申し出を瞳子に断られた祐巳を励ます会」に趣旨が変わることとなった。

それは今回は関係ないので置いておくとして、作中で由乃が自覚しているように、二人の立ち会いを受け入れがたい事柄として処理しているのがわかる。

恐らく「菜々は負ける」という考えが、由乃の中にあったんだと推察する。

もう自分が何をしようと間に合わないし変えられない。でも確実にその日はやって来る。裁きが下るとか、救われるとか、直接自分に何かがふりかかるというような心配じゃなくて、菜々と令ちゃんが練習とはいえ戦うことで、私の中で世界がガラリと変わる。そんな予感があった。
令ちゃんが試合をする姿は、何度も見た。だから「今更」なわけだけれど、今回だけは違うようだ。
相手が菜々だから。
実力だってわからない。いや、たとえ菜々の腕がどれほどのものかわかっていようと、同じことだ。
相手が菜々だから。だから―

仮面のアクトレス  P20

仮面のアクトレス   P.20

他にも、令ちゃんが負けるはずがないという信頼感や、勝敗よりも戦うこと自体が嫌であるといった感情が読み取れる。

勝負事である以上、勝者と敗者が存在してしまう。
そのどちらにも、自分の大切な人がなってほしくない。
もし相手が菜々ではなく関係ない人間ならば、令が勝ったら気分良くいられるだろうし、令が負けたら悔しさの感情を相手に向ければ良い。
しかし今回の相手は菜々であるから、令が勝っても気持ちよくならないし、令が負けて負の感情をぶつけたくないのだろう。
当然、令が勝っても、負の感情を令に向けることなどしたくないはずだ。

今回のお手合わせについては、三者三様の感情を抱いていて、比較してみると面白い。

「由乃」
令ちゃんは目を開けて言った。
「手出しも口出しもしちゃだめだよ」
「え?」
「約束できないなら、道場から出てもらうから」
「でも、だって」
菜々は私が連れてきたんだよ?そりゃ、まだ姉妹になってはいないから、令ちゃんが菜々と竹刀を交えるのに私の許可なんていらないだろうけれど。でも、でも菜々は私が気に入って紹介した子だよ?今日の約束だって私が間に入って―
「菜々ちゃんがどういうつもりで私と立ち合いたいと言ってきたのか、本当のところはわからない。でも、一旦竹刀を向けて構えたのなら、それは真剣勝負だ」

仮面のアクトレス   P.36

最後の一言は、由乃に説明するようにも、自分に言い聞かせようとしているようにもとれる。「真剣勝負だよ」なら、説明だけになるのだが。

「菜々は」
「は?」
「何で令ちゃんと手合わせをしたいの」
私は尋ねた。その目的が知りたかった。
「さあ」
返ってきたのは、微笑と少し首を傾げるような仕草。
「はぐらかしているの?言えないこと?」
「そう見えますか?」
「わからないから、聞いているの」
ちょっとだけ、イライラした。ほんのちょっと。イライラのイラ、くらい。それを察したのか。菜々がフォローするように言った。
「すみません。私の言い方、お気に障りましたか?でも、わからないんです、私も。だから、何でと問われても、答えようがないというか」
「わからないの?」
「ええ。お手合わせしたい、と思ったからそう言っただけで。なぜお手合わせをしたいと思ったかという分析は、まだできていません」

仮面のアクトレス   P.40

由乃は自分の気持ちに蓋をして。
令と菜々は真意を明らかにしないまま。
勝負の時を迎える。

令は、相手が誰であれ竹刀を向ければ戦う、と宣言した。
菜々は、お手合わせしたいと思った、と語る。
一応、理由にはなっている。
真意を知りたいのは、由乃だけである。
今回の件の、自分の心の拠り所を探しているかのように思えた。
なにも真剣で果たし合いをするわけではないのだから、どちらが勝者に、また敗者になったとして、本来はどうでもいいはずなのだ。

真意を明かさない、というのは、建前の他に真意があって成り立つものだ。
例えば菜々の立場からすれば、剣道有段者の上級生、ましてや普段手合わせする相手とは違う存在。それと対戦して得られる経験値は多いだろう。
だから、お手合わせしたいと思った、だけで理由としては充分なはずなのだ。
その上で、「なぜお手合わせをしたいと思ったかは分析できていない」と回答しているのは、まるでその他の理由の必要性を裏付けてはいないだろうか。
令も「菜々がどういうつもりで私と立ち合いたいと思ったかはわからない」と言っており、なにかしらの意図の存在を匂わせている。
別に、”同じ剣道を志すリリアンの後輩に稽古をつける”でいいのである。しかし、これは真剣勝負であると言う。
菜々に理由を尋ねた由乃も、その”別の真意”がないかと探し求めている。
はたして、真意はあるのだろうか。

令は、由乃に覚悟を問うていたのではないだろうか。
菜々が由乃にとって特別な存在であることは、先のやり取りでもう疑いようのない事実になっている。
「口出し無用」と言ったことに口を出したあの時点で、それをもう認めているようなものだからだ。
だからこそ、由乃が口を出すという事を予想して、先回りして釘を差した。
年齢や段位、剣道歴が必ずしも勝利を呼び込むものではないだろうが、それでも令が有利であることは間違いない。
事実、有段者の令に対して、菜々は段を持っていないことが本人の口から明かされた。

「菜々は強いの?」
私は尋ねた。菜々がどれくらいの腕をもっているかなんて、知らない。令ちゃんと手合わせしたいと言うからには、相応の実力があると判断できなくもない。
「いいえ」
菜々はサラリと答えた。謙遜している風ではなかった。事実をありのままに伝える、そんな感じ。例えば1+1の答えは2である、とでも言うように。だから本当は滅茶苦茶強いのかもしれないけれど、少なくとも自分ではそうは思っていないのだろう。
「でも有段者なんでしょ」
「段はもっていません」
「そうなの?」
「ええ。そんなにおかしいですか?」
「おかしいっていうか」

仮面のアクトレス   P.42

剣道の段位は、取得には結構手間がかかるようで。

剣道の段級位制(Wikipediaより)から、段を一つ上げるにせよ、相応の時間がかかるようだ。
黄薔薇革命の交流試合で、段位がひとつ上の相手と戦わなければならない令を絶望視していた祥子のシーンがあるが、単純に数年単位で修業年数の差があるとするならば、そりゃあ絶望視もしたくなるものである。

それも、全ては相手より上に立つ―つまりは、勝つという視点から捉えた場合、である。
菜々の態度から、勝敗に重きを置いていないのがわかるだろう。
今は養女となったが、交流試合に負けた姉の敵討ちでもなく。
有段者を相手に互角稽古を提案して。
勝ちたいならば、自分が不利になる要素を含める必要がなく、そもそも手合わせ自体しなければ負けることはない。
「姉たちは姉たち。人それぞれ」と言った菜々の言葉をそのまま解釈するなら、やはり姉の敵討ちの線は消えることになる。

菜々は自分の心理を「まだ分析できていない」と答えた。
しかし僕は思うのだ。
分析する気はあったのか、と。

分からない、と答えるには「分析してみたが分からない」「分かってはいるが分からないと答える」そして「分析していない」の三択になるだろう。
道場に到着した時点で由乃の怪我(自転車に乗る練習の副産物)に気付くほど頭の回る菜々が、分析してみたが分からないとはならないだろう。そうでないと、その描写を入れる必要性がなくなってしまうからだ。
分かっているが分からないと答えたなら、曖昧な表現となり由乃を苛立たせたことに気付きながらも明かさなかったこととなり、これも違和感がある。
分析していないのなら、話は簡単である。
菜々は手合わせしたいと思った。お互いに剣道の心得がある。日時も調整した。場所もある。それなら、もう理由は必要ない。手合わせしたいと思った時点で、それが叶ったならそれ以上理由を考える必要がなくなるからだ。

「由乃さまは、着替えられないのですか」
「私?」
何を今更言っているんだろう、って思った。菜々は令ちゃんとお手合わせしたい、って言ったんじゃない。そう言った時には、私のことなんてこれっぽっちも頭の中に浮かんでなかったくせして。
「私は口も手も出しちゃいけない、って言われているから」
この件については、ノータッチ。だから、道着も着ないし、竹刀も握らない。
「令さまが、そうおっしゃったのですか?」
「ええ」
私はうなずいてから、今度こそ菜々を残して廊下に出た。
「そうですか」
後ろ手に扉を閉めた時、菜々の独り言にも聞こえる小さな声が、かすかに耳に届いた。

仮面のアクトレス  P.46

三人のうち、唯一私服で参加しているのが由乃である。
なぜ着替えないのか。これについては、「道場に道着を着ていない人間が入ることを咎める」という考え方もできる。
しかし、今回の舞台は支倉家の道場であり、支倉の側に由乃が属しているようなものであり、それを支倉の側である令が許可した(もしくはそうさせた)時点で、部外者の菜々が言うべきではないだろう。
これについては、「由乃が明確に蚊帳の外に追いやられた事への寂しさ」が言わせたのではないかと推察する。
そもそも、この互角稽古自体、黄薔薇パニックでの帰り道に菜々が突然言い出したことが発端である。
菜々に前々から支倉令と戦ってみたいと思っていたかどうかは分からないが、あの時は睡魔に襲われながら、ふと出た言葉である。
リリアンの剣道部で名を知らしめている支倉令と試合をしたい、と前々から菜々が思っていたなら、由乃に手合わせの理由を聞かれた時点でそう答えればよかったのだ。
つまり、菜々にとって支倉令と竹刀を交えること自体には、そこまで意味がないとも捉えられないだろうか。
僕があの発言を「由乃との付き合いを継続したくて咄嗟に言った」としたのは、ここに理由があるのだ。

その上で、あえて菜々側の理由を見つけるなら「支倉令とのコミュニケーション」と言えるかもしれない。

道場には令と菜々、そして部外者に置かれた由乃だけであり、審判はいない。この状況で客観的に勝敗をつけるのは不可能である。
それらを理解した上で、ハンデなしの互角稽古を提案した菜々。
稽古は経験でも体格でも段位でも上回る令の一方的なものとなる。
しかし、菜々の咄嗟の引き面が令の頭上をわずかにかすめた事をきっかけとして終了することとなったのは、ご存知のとおりである。

「菜々っ」
私は駆け寄って抱き上げた。面がねの間から顔を覗き込むと、ぱっちりと開いた瞳が見えた。気絶しているのではない。ただ、疲れて立ち上がれないだけだ。
「やっぱり、支倉令には敵いません」
菜々は抱きつくように身体を預けると、私にだけ聞こえる声で言った。
「大きい人ですね」

仮面のアクトレス  P.58

「大きい人」というのが、同年代の平均女子より背丈の高い令の身長を指しているわけではない、とまで書いてしまうのは無粋の極みだろう。
段を持たない自分に対して、互角稽古を承知してくれたこと。そんな自分に対しても全力で竹刀を向けてくれたこと。最後の引き面を評価してくれたこと。などなど。
心や器の大きさであることは明白であるといえる。

こうして令は由乃の気持ちを。由乃は自分の心の中を。
それぞれが気付いたところで、「黄薔薇、真剣勝負」の幕は閉じるのだった。

5.総評:Coupe de Coeur

以上が、僕が「黄薔薇、真剣勝負」までを読んだ見解である。
由乃は自分の心をはっきりと自覚し、令はその事実を指摘した。
菜々側に大きな理由が見つからなかったが、この件については由乃、菜々、令にとっては大きなイベントとなったことだろう。
なんせ、黄薔薇注意報のときには何よりも令が大事であると言ってのけた由乃が、初めて令より重たい天秤を自覚したのだから。

その後、「ハロー  グッバイ」において、姉妹の契りを交わすに至った二人ではあるが、僕は前々からこの姉妹がいつのまにそこまで親密になったのかと思っていた。
黄薔薇パニックでのアドベンチャーは、たしかに二人の距離を縮めただろう。
黄薔薇、真剣勝負では、由乃が自分の心に気付いた契機だろう。
菜々はどうだろうか。
僕は今回読み直すに当たって、一つの答えを得た。

菜々は、最初に緑のロザリオを見た時点で、由乃に一目惚れをしていたのだ。

「私」
菜々が口を開いた。
「初めてそのロザリオに触れた時、あまりにもきれいで、とてもひかれました。それはもう、そのまま返したくなかったくらい。人の持ち物を欲しがるようなこと、今まで一度もなかったのに。なのに、それが欲しくて欲しくて。だから、不躾にあんなことを聞いてしまったんです」
〜中略
「先日、それにそっくりのロザリオをお店で見つけました。試しに手に取らせてもらったのですが、なぜだか全然欲しいと思わなかった。どうしてでしょう。本当にそっくりなのに。それで私、趣味が変わったのだと思ったんです。欲しかったのはあの時だけ。自分の気持ちの中だけでも流行ってあるんだな、って」
〜中略
「でも今、そのロザリオはとても欲しいんです」

ハロー  グッバイ  P.189

今更説明するまでもなく、これは菜々からのOKの返事であり、晴れて新生黄薔薇姉妹が誕生したこととなった。

妹オーディションでの「あなたの妹は、そのロザリオをもらえるんですか」という一言は、ひとえに「あなたの妹になってもいい」という意思表示に他ならない。

あの時点で、すでに答えは出ていたことになる。

Cope de Coeur。
フランス語で「一目惚れ」という言葉である。

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