マリみてSS「Evening Primrose」
お題:フリー(2022/09/14)
「あなた、変わっているわね」
「はい?」
突然の、無遠慮な質問。
「自分のこと『僕』って言うの」
確かに、誰もそんな言い方をする生徒は、ここリリアンには存在しないだろう。しかし、十四年もの間をこの言い方で過ごしてしまった以上、今更変えられない。
「悪かったですね」
文庫本から目を上げることなく、僕は言った。
「ううん、そんな事ないよ」
ここで初めて、僕は声の主の顔を見た。
色素の薄い髪、ニカっと笑った顔。
「すごく、いいよ」
多分、彼女は僕とは違うのだ。
世界に溶け込み笑顔を振りまく事のできる彼女と、世界に馴染めず拒絶することしかない僕とでは。
それでも、彼女は。
僕には輝いて見えた。
―それが、僕と待宵との、最初の出会いだった。
放課後。
僕と待宵が会える、ただ唯一の時間。
あの日以降、待宵は僕をいろいろな所に連れ出すようになった。
そして僕も、それが段々と心地よくなっていった。
無味乾燥とした教師の授業も、ただただ苦痛でしかないクラスメイトのお喋りも。
全てはこの夕方のために我慢する時間だった。
「お、字美、来たね」
待宵は、いつも僕を笑顔で迎えてくれる。
それだけが、僕の生きがいだった。
ある日の放課後、待宵が切り出した。
「ねえ、字美」
「なに?」
「高等部になったら、姉妹制度っていうのがあるんだよね?」
姉妹制度の話は、中等部であっても耳にする。
僕たちは、高等部に進学したら、姉妹になる。
それだけは、漠然と思っていた。
だから、待宵のこの問いも、姉妹になるかという質問だと思っていた。
しかし、待宵から、姉妹の言葉は出てこなかった。
「もし地球最後の夜になっても、私の隣にいてくれる?」
突然投げかけられた質問。
待宵の意図は分からない。
でも、僕の答えは決まっていた。
「もし地球最後の夜になっても、僕は待宵の隣にいるよ」
僕の言葉を聞くと、待宵は満足そうに、いつものニカっとした笑顔を向けた。
―それが、僕と待宵の交わした最後の言葉だった。
あの日以降、待宵が僕の前に姿を表すことはなかった。
家庭の都合、などというのを、風の噂で聞いた。
しかし、僕には解せなかった。
なぜ、去るなら去ると言ってくれなかったのか。
なぜ、あんな問いをしてきたのか。
自問自答を繰り返しても、答えが出ることはなく。
こんな思いをするくらいなら、誰とも交わらなくても構わない。
僕は、今日から誰との関わりをも避けた。
待宵以外の関係なんて、必要ない。
僕は高等部に上がった。
待宵は僕の前には現れなかった。
それは分かってはいたが、待宵を覚えているこのリリアンから、僕は離れることができなかった。
最後の一年。
最後のクラス。
「千城紫音です。紫の音、と書いて紫音です。趣味は喫茶店巡りです。よろしくお願いします」
隣の席の生徒は、明るくそう言うと、着席した。
どことなく、待宵に似た子だな、と思った。
(なにを、今更―)
僕はこの一年をただただ終え、リリアンを去っていく。
ただ、それだけだ。
自己紹介は、いつの間にか僕の番になっていた。
僕は名前だけを告げ、着席した。