バラの歴史からみたマリア様がみてる「いとしき歳月(前編)」と「エリナ」
ごきげんよう、はねおかです。
先日、神奈川県にあるバラ園「生田緑地ばら苑」に行ってまいりました。
いいバラ園でした。
そこでボランティアの人のバラのガイドを聞いていたら、無性にバラに触りたくなって、荒川区のボランティアであるバラの会に入会しちゃいました。
これからは僕の培ってきたバラ栽培技術を披露しちゃうゾ☆
さて、今回は「いとしき歳月(前編)」です。
要約すると、麗しの黄薔薇さまが、日夜別々の男性とお付き合いしている―通称「イエローローズ事件」がリリアンに広まって…?というような内容です。
バラの歴史におけるイエローローズ事件といえば、ソレイユ・ドールの誕生に言及しなければならないでしょう。
時は1900年代。
バラの色といえば、赤、ピンク、白だった時代―
オレンジ色のバラ、ソレイユ・ドールはバラ界に衝撃を与えました。
それでは、当時の人々の反応をご覧下さい。
1906年、園芸家のヴィヴィアン・モレルが「ソレイユ・ドール」の反応をまとめたものです。
この賛否両論こそが、ソレイユ・ドールのもたらした衝撃の証左と言えるでしょう。
凡庸なバラには凡庸な反応しか返ってきません。
事実、アメリカバラ会(ARS)はバラの分類において、ペルネの作出したバラのためだけに「ハイブリッド・フェティダ(HFt)」という項目を設けました。
ソレイユ・ドールはオレンジ色のバラです。
では、人工交配による黄色いバラの第一号はなんでしょうか?
これは、アマチュアながらもバラの著書を書き上げたキングスリー女史が、初めて「レイヨン・ドール」を見た時の様子です。
このレイヨン・ドールは、1974年に絶滅したという報告がなされています。
歴史的なバラは、今もなお熱心なオールド・ローズ愛好家によって遺されています。
初のハイブリッド・ティー・ローズ「ラ・フランス」、戦争をも生き延びた「ピース」
これほどまでに見た人に衝撃を与えたバラであるレイヨン・ドールが生き残ってないのは不思議です。
なぜレイヨン・ドールは今見ることができないのでしょうか?
1974年の報告には、こう記されています。
「貧弱で、おそらくは絶滅した。あらゆる手を尽くして追跡調査をしたが、いまだ発見されていない」
そうです。
黄色いバラの弱点。
それは、貧弱であること―
僕自身、一重のフェティダである、ロサ・フェティダ・ルテアを育てたことがありますが、屋外に置けば黒星病で葉が落ち、温室に入れればハダニが葉の裏に取り付き、とてもじゃないですが強健さとは縁遠いバラでした。
ここからが本題です。
エリナの登場です。
エリナ(Elina)
分類:ハイブリッド・ティー
作出:ディクソン(英)
エリナは画期的な黄薔薇でした。
それは、黄薔薇なのに強健であることです。
エリナは1984年(1983~1985年と諸説あり)に作出されました。
そして1987年にADRという賞を受賞します。
ADR(Allgemeine Deutsche Rosenneuheitenprüfung:共通ドイツバラ新品種試験)は、その名の通りドイツのバラの品種試験で、3年の間、無農薬で露地栽培をされた後に、花の美しさや耐病性、耐寒性などを品評します。
欧州では、その辺の街路樹の感覚でバラが植えられているそうです。
そうなると気になるのが耐病性です。
欧州では条例で薬剤散布を禁止されている国も多いそうです。
このADR認証を受けたバラは、耐病性については「折り紙付き」と言えます。
そして2006年、世界バラ会連合は大阪大会でエリナを殿堂入りのバラに認定しました。
これは、黄薔薇としては初の快挙で、2024年現在も唯一のものです。
作出は不可能だ
色合いが落ち着かない
樹勢が弱い
これまでに散々言われ尽くしてきた黄薔薇の評価を、エリナは覆してみせました。
そして、黄薔薇はバラの色としてその存在を認められました。
ADRに認証された黄薔薇も増えています。レモン・フィズ、レヨン・ドゥ・ソレイユ、イルミナーレ…
マリア様がみてるでも、江利子さまは最後に大どんでん返しをかましてくれました。不純異性交遊の女子高生という評価を覆して―
―というわけで、黄薔薇の系譜は現在もつつがなく進行中である。我がnote「バラの歴史からみたマリア様がみてる」はこの投稿にて「イエローローズ事件」における騒動の顛末を記すものである。
なんて、三奈子さまなら書くでしょうかね。