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マリみてSS「Ringing Bloom」

秋の深みが増す十月の半ば。
蓉子は温室へと来ていた。
「へえ…これが"ロサ・キネンシス"なのね」
「そう。四季咲きバラの祖。モダンローズの始まり」
蓉子は真紅の小ぶりなバラをしげしげと眺めた。恥ずかしながら、紅薔薇さまと呼ばれている立場になっていても、バラの方のロサ・キネンシスは見たことがなかったのだ。
「本当は四季咲きバラは、オールドブラッシュというバラから来ているんだけどね」
真紅のこのバラは、ロサ・キネンシス・センパフローレンスと言うらしい。ヨーロッパではピンク色のバラしかなかった時代に、中国に咲いていたこのバラが真紅という色をもたらしたのだと彼女は言った。
「詳しいのね」
「好きだから、ね」
彼女は蓉子のクラスメイトだった。私は卒業前に、温室の妖精の正体を知りたくなって、ふと温室にやってきたのだ。そこへ、制服が汚れないようエプロンをかけて、剪定鋏を持った彼女と出会ったのだ。
温室には妖精がいて、植物の世話をしている。それはリリアンではまことしやかに囁かれているおとぎ話。
とはいえ、温室の中では水やりもしなきゃいけないし、植物だって病気にもなる。人の手が入っていることは明らかな訳で。
だからといって、そのおとぎ話に無粋なツッコミを入れる気もない。
サンタクロースが実在しないと知ったって、プレゼントを用意してくれた両親の愛情が無くなることはないように。
温室の妖精が実在する人間だと知っても、蓉子は特別驚きもしなかった。
まさか、クラスメイトが世話をしていたとは思わなかったが。
「アジアのバラは、それまでのバラになかったものを与えたの」
オールドブラッシュは四季咲き性を。
センパフローレンスは真紅の色を。
ロサ・オドラータは紅茶の香りを。
ハマナシは耐寒性を。
ノイバラはたくさん花をつける性質を。
「ノイバラって、野原にある?」
「そう。ノイバラの房咲き性は、フロリバンダローズという系統を作り出したの」
モダンローズ―いわゆる現代バラは、主に4つに分けられるのだという。
一つは、一本の花枝に大きな花をつける、ハイブリッド・ティー・ローズ。
一つは、一本の花枝に無数の花をつける、フロリバンダローズ。
一つは、壁やフェンスを這う、クライミング・ローズ。
一つは、膝下丈のミニチュア・ローズ。
「まぁ、木立性バラとつる性バラの中間のシュラブローズとか、クラシカルな花に回帰したイングリッシュローズとかもあるんだけど」
彼女はそう言うと、今まさに咲いているバラを、枝の半分くらいの位置で、切り落とした。
「開花後剪定よ」
いわく、バラは咲いたらすぐ切ってあげたほうが、バラの生育に良いらしい。開花後も放って置くと花が実を実らせ、種を作る方にエネルギーを使ってしまうからだという。
女性が妊娠するようなもの、だと彼女は言った。あいにくとまだ妊娠の予定はない蓉子だったが、
そういえば、江利子が一時期学校に来なくなったのを「妊娠だからだ」というような噂が立ったっけ。
「私にも切らせてもらっていいかしら?」
興味本位で蓉子は言った。どうぞ、と剪定鋏を手渡される。想像以上に重く、ずしりとした感触が手に残った。
「逆よ。刃のある方を下に向けるの」
剪定鋏に向きがあるなんて初めて知った。なるほど、切る刃の方を下にして、刃を受ける部分を上にしないと、切り残された枝が潰れてしまう。
「勉強になったわ」
「いえいえ」
お互いに微笑む。
「紅薔薇さまに、ロサ・キネンシスを知ってもらえたから、私は満足」
「本当に」
何かを知ることは、楽しい。何かがあるということは、何かがあった結果、そうなっていて、そこには何かの意思のようなものがある気がして。
それに触れることは、一種のロマンのような気がして、蓉子は嫌いではなかった。
「それにしても、なんでロサ・キネンシスだけ四季咲きなのかしらね?」
先程聞いた説明では、ロサ・ギガンティアも、ロサ・フェティダも春にしか咲かない一季咲きだという。
「さあ…それは未だに解明されてないけど」
彼女は開花後剪定を終え、葉だけになったロサ・キネンシスを撫でながら言った。
「昔の人は、このバラに魅力を感じたのよ」
「魅力?」
「そう。バラの四季咲き性は劣性遺伝なのよ」
劣性遺伝。いわゆるメンデルの法則で、代々丸い実をつけるのが優性遺伝で、代々しわのある実をつけるのが劣性遺伝。それで、丸い実としわの実を交配させると優性遺伝である丸い実の性質が表に出て、それを交配させると丸い実としわの実が3対1で表れる、ってやつだ。
「モダンローズは四季咲き性なのよ」
だから、モダンローズは、四季咲き性を固定するために、まずはバラを交配させ、さらにそれを交配させて、4分の1の四季咲き性を持ったバラのみ市場に出回るのだと彼女は言った。
「面倒な話ね」
「それでも、その性質を人々が望んだから、こうして今も残ってるのよ」
新しい品種一つを作るのに、十年はかかるんだって。ご苦労な話だが、そのおかげで、私達は夏も秋もバラ楽しむことができるのだ。
「手のかかることね」
「でも、手がかかるからこそ、可愛いのよ」
蓉子はふと、妹である小笠原祥子を思い出した。我が儘で短気だけど、確かに可愛い私の妹だった。
「そうかもね」
日が沈んできた。彼女も道具を片付け、帰り支度をしていた。
「後は、冬剪定をして、私の役目はおしまい」
「冬剪定?」
「そう。冬を越すために、枝を切り落とすの」
「それでまた咲くの?」
「ええ。新しい芽が出て、新しい枝になって、それが花をつけるのよ」
次の世代へバトンを渡すように。そう、彼女は言った。
「なるほどね」
次のバトンを、もし私が託すのなら―

卒業式を明後日に控え、蓉子は校舎を歩いていた。
(多分この辺にいるはずだけど―)
リリアンの生徒は掃除をしていた。サボっている生徒など一人もいようはずもない。
(祐巳ちゃんに抱きつくと、リアクションが面白いんだよ)
悪びれもせず笑う悪友の顔が浮かんだ。
自分が最後、リリアンでやり残したことといえば―
目の前には、二つに分けた短い髪の毛。
「祐ー巳ちゃん」
そう言って、私は背後から抱きついた。

あとがき
本当は子羊たちのお茶会にかいめに出す予定でしたが、本にする前に印刷ミスで出せなくなってしまったのでここで供養します…
これは僕の趣味100%全開ですね。大好きな蓉子さまに大好きなバラの話をするという…
誰得?俺得です。

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