比嘉秀仁ガチギレ問題に学ぶ「一線」のこと
ラスばんわ、はねおかです。
今回は一部が震撼した比嘉秀仁ガチギレ事件(仮称)について考えたいと思います。
先に断っておきますが、この問題は当事者間で解決しており、今は何のわだかまりがない(ように見える)ので、今更蒸し返さなくていい話であるわけです。
ちなみに、見出し画像にすぺねこ氏が入っているのはNoteの見出し画像の縦横比が固定されてしまってるからで、他意はありません。
関係のない話です。
(6:22~)
問題を要約すると、協会所属のプロAさんとBさんが比嘉さんイジりをしていたが、比嘉さんは行き過ぎたと感じてブロックした、という事でした。
僕はAさんとBさんのツイートを見ていたので、「これのことか」と思いました。
内容自体は、まぁ、スラム街リスナーコメント欄では流れそうな程度のような感じでしたね。
つまり、問題なのは「誰が言ったか」ということです。
これを、例えば僕が言ったのでは、多分結果は違うものになったのかもと思います。
比嘉さんも「協会所属で、それなりに実績あるアナタが、そういうことをオープンの場で言うのは、アナタ自身も良くないでしょ?」と言っています。
やはり「誰が言ったか」が問題なのです。
これが、比嘉さんが引いたラインになります。
例えば、有象無象のリスナーでしかない僕らスラム街住民が言うのとは、また話が違ってきたでしょう。
これに関しては、正直なところ比嘉さんが正しく、Aさんは言うべきではなかった(もしくはもう少し程度を下げて言うべきだった)と思いました。
当該のやり取りは、既にAさんの謝罪とともに削除されています。
僕自身、スクショした訳ではないので、うろ覚えのまま書くわけにもいきませんので、内容は触れません。
前の記事で「イジられる側が許容するならそれは全てイジりです。そして、逆を言えば、許容しなければイジりではありません。その決定権を持つのは、配信者たる比嘉秀仁のみです。」と書きました。
仲がいい訳でもない相手から言われるから嫌なこと。
仲がいい相手だからこそ言われて嫌なこと。
仲がいい訳でもない相手から言われるから気にならないこと。
仲がいい相手だからこそ言われて気にならないこと。
誰にでもある「一線」です。
ある日、朝に配信していたところ、リスナー間で小競り合いになりかけたことがありました。
一人は抜けたので、とりあえずその場は収まりました。
今後、こういった問題は増えていくでしょう。
ただ、間違いなく、この問題にメスを入れられるのは、比嘉秀仁だけです。
お気持ちをどんどん発表していって、制約を設けるのは、これはもう仕方のない事になるでしょう。
ただっ広い道路があったとして。
制限速度も、中央線も、歩道もガードレールも追い越し禁止や路駐禁止もない。
そんな道路では運用できないでしょう。
この件は、珍しく「感情」という形で比嘉さんサイドから意思を示した事件であり、これ自体はむしろいい方向にいくような気がしています。
どんどんとお気持ちを表明していけば良い、と思っています。
そして我々スラム街リスナーも、ラインを引かれる覚悟はあるでしょうか?
○○のコメントは目に余るが俺はセーフ、なんて思っていないでしょうか?。
今後の運営はどうなるかは分からないが、そこにメスを入れる日は近いでしょう。
そんな気がしています。