ジーニアスラジオから考える「罰ゲームと真剣さの担保とは?」

ラスばんは、はねおかです。
今回はいつもの比嘉秀仁の超えていけチャンネルではない記事になります。

39:33~
二人はそれぞれの罰ゲームが用意されました。
比嘉秀仁プロはスクワット、メカZは語尾に「にゃ」をつける+恥ずかしい話をする、というものになりました。

動画においては、罰ゲームの必要性が訴えられています。

43:35~

メカZ「やっぱ罰ゲームあったほうがいいかな、って僕は思うんですけど、どうなんですかね?みんなもう求めてないのかなあ?」
比嘉「どういう風に罰ゲームを見せるかが問題かな、と」
―中略
メカZ「友人戦だけだと、”ちゃんとやるかの保証がないな”っていうのが…本気でやるかの保証がないじゃないですか。”ちゃんとやりますよ、負けたらこうなるから本気でやるでしょ”みたいな」

麻雀は、真剣さが伝わらないゲーム、という部分もあるとおもいます。
例えば、ホンイツっぽい副露と捨て牌をしている人に、その色で放銃した人がいたとしましょう。
それが不真面目な(もしくはヌルい)打牌なのか、勝負したが故の打牌なのかは、第三者には分かりません。
リーのみの二向聴からでも「俺は勝負だと思った」と言われては、誰も何も言えないでしょう。

みさき千夏さんは罰ゲームなしでもいいと仰っていたそうです。
これは僕の勝手な推測なのですが、「真剣さを担保せずとも真剣に打つ」というよりも、「楽しくやろう」という思いがあったのかもしれません。

楽しくやる。
いわゆるエンジョイ勢、というやつでしょうか。

エンジョイ勢とガチ勢は思考からして違います。
別に「エンジョイ勢は真剣さが足りない」とか「ガチ勢はただ陰湿すぎる」とか、そういう事を言いたいわけではなく、ただ方向性が違うというだけのことです。

かくいう僕も、思考はエンジョイ勢寄りです。

今は「ただ疑問に思っただけの打牌意図の指摘」が「誹謗中傷」と捉えられかねない時代。
批判も糧とするメカZ氏や比嘉秀仁プロのような存在が異端とされる時代になったのでしょう。

真剣さの担保などなくても真剣にやる。
これについては、どちらも心に持っているものだとは思います。

さて、真剣さの担保。
必要だと思いますか?

そういえば、雀魂で「にゃん国無双」なるイベントが開催されていますね。
僕もとりあえず動く雀卓まではゲットした。

うごく雀卓ゲット!

このイベント攻略には、三麻をやるといいらしいので、大会戦の三麻モードをプレイしまくった。

放銃によるポイント喪失はないので、ひたすら全ツ。
アガることだけがイベント報酬につながるのですからね。
おそらく他のプレイヤーもイベントのためにやっているのでしょうから、放銃は相手の得にこそなれ、僕の損にはなりません。
流局して時間だけかかるなら、さっさと放銃して終わらせてしまう方が時間効率が良いですしね。

さて、その結果は…?

三麻スタッツ

真剣みのない麻雀になれば、そう(ひどい戦績に)なりますわな。

真剣にやる、というのは大事ですよ。

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