比嘉秀仁noteから考える「本名問題と麻雀の公平性」
ごきげんよう、はねおかです。
「今年は雀聖になってやるぜ!」と意気込んだ雀魂は1位2位4位でプラマイゼロ、「三麻で八段になってやるぜ!」と意気込んだ麻雀一番街は負け越してポイントを溶かし、まぁ上手くいかないものですね、と。
さて、先日我らが比嘉秀仁プロがnoteを書きました。
元を辿れば、このポストが発端です。
ということで、今回も比嘉秀仁プロのnoteをネタにしていきたいと思います。
・麻雀の公平性
さて、公平性という面から考えると、そもそも麻雀というゲーム自体が公平にできていません。
例えば、僕の主戦場である玉東の間は、平均配牌シャンテン数は3.482だそうです。
そして玉座の間では平均配牌シャンテン数は3.483だそうです。
その誤差は0.001なので、「段位が高いから配牌が良い」なんてことはないわけですね。
しかし、実際にはどうでしょうか?
「(打つかどうかは別として)ダブリーの配牌」や「ドラの役牌暗刻」、逆に「9種も狙えないようなクズ手」なんかがバンバン入ります。
「じゃあネット麻雀は積み込みをしているのか?」というと、そういう訳ではなくて、単純に確率の偏りが起きているだけのことですね。
ネット麻雀であろうとリアル麻雀であろうと、牌はランダムに撹拌されます。
ランダムに撹拌されるというのは、均一化とイコールではありません。
この2枚の点が描写されている図を見ると、一見「右の方が均一なのでランダムである」と思いがちですが、真にランダムに点を描写したのが左の図で、右の図は意図的に描かれた画像です。
ですので、流れ論で考えたとしても、数学的な面から考えたとしても「牌は偏る」わけですね。
・「秘匿する」ということ
インターネットの歴史は長いものがありますが、とりわけ、日本のインターネット社会は匿名であることが多いです。
とはいえ、「匿名だから言いたい放題で、実名ならそうはならない」なんて単純な話ではありませんで、例えば「日刊ベストストア」は、韓国のインターネットというのはサイトの利用者登録が必要とされるらしいのでほぼ「実名制」でありながらも、日本のアングラインターネットコミュニティに匹敵するレベルでの誹謗中傷が飛び交うそうです。
まぁ、この辺りは「国民性」というのもありますので、一緒にはできませんが…
匿名とはいえ、ハンドルネームは個人特定のキッカケになるため、匿名であれど好き放題はできません。
少し前には、パイレーツカップという天鳳の大会で不正した優勝者がいて、特定されてはアカウントを消して失踪しました。
彼は自分の行きつけの雀荘とか自分の顔写真を晒していたようで。
今はどうしているかは知りませんが、もう表舞台の光を浴びることはできませんね。
とはいえ、比嘉プロ自身も匿名のインターネットだから得られたものもあるようで、自分の書籍ではこのように振り返っています。
麻雀の打ち方というのは無数にあって、それぞれメリットデメリットを併せ持つもので、打ち手はそれぞれを比較検討していく必要があります。
打っている時というのは「自分はこの選択こそが一番正しい」と思って打っているわけなので、他の打牌が候補に挙がることはありません。(まぁ、一応別の一打というのも検討するはしますが、打牌の制限時間もありますし、結局はどちらかの一打というのを決定せねばなりません)
なので、外部の意見を取り入れるには、やはり「意見の数」というものを集めなければなりません。
そういう点では、”匿名である”が故に”忌憚のない意見が集まる”とか”言いやすいので数が集まる”という匿名インターネットコミュニティの存在は貴重です。
「意見の質」というのは、これは自分が精査していくしかないのですが、「意見の数」を集めるという点では、インターネットコミュニティは大切です。
秘匿することのメリットの一つに、「安全性が確保される」というのがありました。比嘉プロはともかく、女流プロなら、それは大事なことです。
比嘉プロが性的暴行被害に遭う可能性はなくはないですが、それは女流プロよりはるかに低い確率であることは間違いないでしょう。
いくら本名で活動しているからって、プライバシーや家庭のこと、本人への嫌がらせは許されるものではありません。
とはいえ、パイレーツカップで不正した人が実質もう麻雀界に関われなくなったように、匿名の方の名前でも知れ渡ってしまえば、実質もうその人は界隈から絶縁されたに等しいわけです。
いわゆる「炎上」ですね。
実名であってもハンドルネームであっても、「その個人を表すユニーク(唯一)な名前」であったなら、それはもう身バレに等しい行為です。
麻雀界から話は離れますが、アーティストの「Ado」氏や「yama」氏は、素顔を公開することなく創作活動をされていて、現代日本においては素顔を隠していることと作品の評価というのは、切り離されて受け止められて評価をされています。
僕の元にも「顔を隠して声優活動をしませんか?」という旨のWeb広告が出てくることもあり、現代社会では「匿名であること」というのは、もはや特別な意味がないのかもしれません。
僕自身は、あまり人と話すのは得意な方ではないのですが、「そんな性格では今後就職活動をする上では困る」と一念発起して、専門学生だった頃に居酒屋のホールスタッフのアルバイトに応募しました。
そこは「威勢の良さ」というのもアピールポイントになっていて、新人だった僕は恥も外聞もかなぐり捨てて大きな声を出し、それが社員に気に入られて「積極的に大声を出す姿勢を他店舗に行って見せてこい」と、都内や神奈川の店舗にヘルプするようになりました。
今でも誰かと話すときは「会話をするスイッチ」をオンにしているのですが、そういう意味では僕は「植物とリーチが大好きな『はねおか』というキャラクターを演じている」のかもしれませんね。
・不正について
匿名と不正。
これについては、「匿名でないから不正をしない」ということにはなりません。
上記のnoteで、比嘉さん自身がリアル麻雀でのイカサマ体験を語っています。
究極のところ、「不正をするやつはする」し、「不正をしないやつはしない」ということですね。
僕自身はトレーディングカードゲームを十数年間プレイしていて、一度も不正をしなかったんですが、これは「不正で勝っても面白くない」とか「人道に反する」というのもそうなんですけど、単純に「イカサマするだけの腕も度胸もなかった」というのもありますね。
(まぁ、「自分は徹底的に受け身に徹して、相手のデッキから強いカードのコントロールを奪って勝つ」という、クソみたいなデッキで関東大会を勝ち進みましたが、これはルール上は適正なのでね…)
とはいえ、匿名というのは、不正を行うことへのハードルが下がることは間違いないと思います。
雀魂では、度々不正アカウントのBANが行われています。
「バレなきゃいいし、バレたらまたアカウントを再取得するだけ」と考えたら、不正というのは「やり得」になってしまいます。
AIによる不正といえば、将棋ソフト不正使用疑惑が挙がりますね。
麻雀では対局途中に長時間の離席はできないので、打牌の進行をAIの検討にかけるというのはできない訳ですが、麻雀アプリケーションによる対局ではAIに打たせるということが不可能な訳ではありません。
・女流枠について
さて、比嘉さんはnoteの中で、女流枠に言及しています。
例えば、フィジカルスポーツの世界においては、男女の体格差というのは到底埋められるものではありません。
頭脳競技である将棋の世界では、女性プロ棋士というのは歴史上存在しないようで、2025年1月9日現在では西山朋佳女流三冠が「次回勝てば史上初の女性プロ棋士」という、まさに「王手をかけた」状態です。
負けが許されないので、そういう意味では「王手をかけられた」とも言えますが、是非頑張ってもらいたいですね。
では、麻雀の世界での女性はどうでしょうか?
麻雀最強戦2021では、宮内こずえプロがオーラスまでトップの位置にいて、「瀬戸熊直樹プロの裏ドラが乗らなければ最強位の称号を手にしていた」という、女性の中では最も最強位に近付いた人ではないでしょうか。
日本プロ麻雀連盟のA1リーグでは、2024シーズンは和久津晶プロが99.3ptで総合4位でフィニッシュしました。
日本プロ麻雀協会では、御崎千結プロが2025年からA2リーグに昇格するそうで。
三麻ですが、初の女性天鳳位として名を知らしめたのが「おかあさん」です。
https://x.com/mr_wakeup/status/1862099610233434123
他にも、女流雀王を4度獲得した逢川恵夢プロや、女流桜花を4度獲得している仲田加南プロや魚谷侑未プロを「弱い」なんて言う人はいないでしょう。
麻雀に男女の差はありません。平等に(もしくは不平等に)良い手が来たり、クズ配牌が配られたりします。男性だから配牌がいいとか、女性だからツモがいいということはありません。
よく言われるのが、「男性は論理的に思考をし、女性は感情的に思考をする」というものがあります。
インターネットの世界では、いわゆる「ツイフェミ」という人が、ネット上で騒いでは呆れられていますね。
とはいえ、男性でも頓珍漢な発言をしたら吊し上げられ叩かれます。
そう考えると、「男性だから論理的、女性だから感情的」とは言えず、ただ単純に個人の思考力の問題であり、それは結局のところ個人の問題(マトモな教育を受けてないなどの家庭的要因はあるとしても)な気がします。
論理的に物事を捉え、思考する。
それは、男性であれ女性であれ求められる能力であって、足りないなら訓練を積んで満たしていけばいいわけです。
自分の感情だけを爆発させてギャーギャー喚く人は、リアルでもネットでも相手にされません。
現在、Mリーガーに選ばれるための条件の一つである「麻雀プロの主要五団体」では、女流プロ限定のリーグやタイトル戦があります。
・日本プロ麻雀連盟:女流桜花など
・最高位戦日本プロ麻雀協会:女流最高位決定戦など
・日本プロ麻雀協会:女流雀王など
・RMU:女流令昭位決定戦など
・麻将連合:将妃戦など
フィジカルスポーツでは、男女の体格差というのは埋められるものではないので、男性部門と女性部門は分けたほうがいいと思います。
では、頭脳と運の競技である麻雀においては、男女は分けたほうがいいのでしょうか?
Mリーグ発足時の2018~2019年のシーズンでは、別に女性プロが露骨に外されていた訳ではありませんでして、ドラフト指名1位の女性プロには魚谷侑未プロや二階堂亜樹プロがいます。
2019~2020年のシーズンでは「チームは女性を最低一人は入れること」がレギュレーションで定められました。
この時は、魚谷侑未プロが個人スコア451.4ptでMVPを獲得しました。
また、2021~2022年のシーズンでは、瑞原明奈プロと沢崎誠プロがMVP争いを繰り広げ、試合後の握手はスポーツマンシップであるとして両名に惜しみない賞賛が贈られました。
ですので、麻雀においては「男女間で差はない」と言っていいでしょう。
もちろん、麻雀の試合数と、実力・運のブレという点においては、少ない試合数ではあるものの、Mリーグは普通の週一回程度行われるリーグ戦よりも多い試合数ですし、魚谷侑未プロの27半荘や瑞原明奈プロの21半荘でのMVPは「運だけ」では獲得できるものではありません。
ただ、女性プロの「華やかさ」という点に関して言えば、これは男性プロが束になっても敵いません。比嘉プロみたいなオッサンがスーツをキメても女性から黄色い声援が贈られることはないでしょうしね。
例えば、シンデレラファイトという女流リーグでは、女性プロ達が華やかな衣装を着て麻雀を打っています。
麻雀においては「男女だと実力差がありすぎるので、男女の区分を設けた」のではなく、男性プロにはない華やかさを求められているから女流限定リーグがある、ということだと思います。
とはいえ、麻雀最強戦2023では「最強ハンサム決戦」という、イケメン限定枠があったので、「顔がいい」というのも男性プロに求められているのかもしれません。
これを差別的だと思うかは置いておくとしても、「最強ブサメン決定戦」という枠は作られないでしょう。
そっちの方がよっぽど差別的ですね。
・秘匿することでの「公平性」の損失
麻雀プロは顔で仕事をするわけではありません。
麻雀プロは性別で仕事をするわけではありません。
ですので「顔が悪いから」だの「女に生まれたから」というのは、麻雀においては関係がありません。
先程フィジカルスポーツの話を挙げましたが、いわゆるトランスジェンダーの人が女性に混じって参加するのが問題になっています。
男女の体格差というのは、トレーニングや技術を磨く程度では超えられる壁ではありません。
日本で「性同一性障害」について取り上げた作品といえば、三年B組金八先生(2001年度シリーズ)ではないでしょうか。
上戸彩演じる鶴本直が、性同一性障害に悩む様子が描かれていましたね。
当時としては斬新だったと思います。
性自認というのは、2~4歳で決まるそうです。
そう考えると、高校生なので18歳になるまで、つまり14~16年もの間悩み続けた鶴本の心労たるや、察するにあまるものがあります。
日本では「すとぷり症候群」と呼ばれるものがあります。
簡単に言うと、配信者がトランスジェンダーで、トランス手術を受けたのを公表した際に、視聴者である若い女性が「自分もトランスジェンダーかも」と影響を受けてしまうことです。
かなりセンシティブなモノなので、例えばWikipediaにはこの用語を解説したページはありませんし、pixiv百科事典ではこの記事は過去には存在したようですが現在では白紙化された模様です。
思春期の子供というのは(将来を見据えた)正しい判断ができず、また他人に影響をされやすいので、「自分は本当にトランスジェンダーなのか?」というのがキチンと検討されないわけですね。
日本人というのは、かなり他人に影響されやすい民族です。
古くは「心中モノ」という浄瑠璃の演目が流行ると、それに感化された江戸の市民の心中が社会問題になり、幕府は心中モノの演目を中止にさせたり、心中を図ったものの死ぬことができなかった市民には厳罰を下したそうです。
僕自身は百合心中エンド(ゲーム「アカイイト」の赤い維斗エンドなど)は大好きなんですが、フィクションの作品を楽しむことと、実際に人が死んでしまうことは全く別の問題です。
また、NHK連続テレビ小説「おしん」が爆発的なヒットになると、貧困な家庭を演じていたおしんやその母を演じた役者の元に白米や現金を送ったり、悪役に描かれた役者に石を投げつけたりする人もいたそうです。
他にも、初代水戸黄門を演じた東野英治郎氏に、黄門様のイメージが定着した氏の前で土下座をした老人もいたとか。
令和となった今でも、ネットの一言に「これは正確な情報なのか?」といった考えをせずに、脊髄反射で非論理的な投稿をする人は後を断ちません。
実際に自分の性自認と実際の性が一致しない性同一性障害に悩む人がいたら、それが差別になったりしてはいけないでしょう。
一方で、その「性同一性障害の人を受け入れよう」という緩和を悪用したのが、トランスジェンダーによるスポーツ参加ですね。
女性プロ雀士は、男性限定リーグというのはありませんから、悪く言ってしまえば得をしているということになります。
なので「自分は性自認は女性なんだ」と言い張って、男性を含むリーグでは芽が出なかった男性プロ雀士が女流リーグに加わる、というケースが有り得てしまいます。
また、新人王というタイトルも、「タイトルが取れないほど年月が経ってしまったら自分の過去を隠して精算し、また新人王戦に挑む」といったことも有り得てしまいます。
例えば、M-1グランプリの参加資格は「結成15年まで」だそうです。
あくまでコンビの結成年度だけの縛りなので、本人の芸歴とは無関係なようです。事実「錦鯉」というコンビは、芸歴で言えば20年を超えていますが、参加していました。
とはいえ、「M-1に出たいがためにコンビ歴をリセットするため解散した芸人」というのは、軽く調べたところ存在しませんでした。ですが、今後そういう芸人が出てこないとも限りません。
現実を生きている我々人間には人生という残り時間がありますから、そう何度も「人生のやり直し」というのは出来ないわけですが、例えば現在行われているVPL(V-pro League)だと話が変わってきます。
予め断っておきますが、VPLの参加選手が不正をしていると言いたい訳ではありませんし、比嘉プロもそう言いたい訳ではないでしょう。
VTuberには、自らの姿を消してやり直す、いわゆる「転生」ができてしまいます。
姿は新しく描き直せばいい。
声はボイスチャンジャーでどうとでもなる。
こうなってしまうと、もう不正は完全に「やり得」です。
・結局比嘉秀仁プロは何を言いたかったのか?
これは僕の推察になってしまうのですが、比嘉プロの思いとしては「麻雀というゲームは不公平なゲームだからこそ、我々麻雀に関わる者は公平性を求め続けなければならない」という事ではないでしょうか。
麻雀というゲームは不公平で、不平等で、リアルだろうとゲームだろうと不正ができてしまうという、最低最悪なバランスの上に成り立っているゲームです。
例えば、誰かが「ロン」と言って牌を倒したとしましょう。それに対して「ロンの声が聞こえなかった」とイチャモンをつける事は一応可能です。
どれだけハッキリと発声していても「聞こえなかった」と言い張ってしまえばいいのです。
このゴネ得、どれくらい通用するは分かりませんが、数%の確率で放銃が無効になるならば、イチャモンをつけた方が得だと言えてしまうのです。
トレーディングカードゲームの元祖たるマジックザギャザリングでは、熱狂のイフリートというカードがあります。
まあクリーチャーの質が向上した現在では使うことはないでしょうが、除去を打たれても「どうせ除去られるんだから50%の確率に賭けてテキストを使えばいい。デメリットはないのだから」ということで、このカードのテキストを使わないのはただ単に損なだけです。
麻雀でいえば、「どうせ放銃することは変わりがないのだから、『発声が聞こえなかった』とイチャモンをつけて、話が通って放銃が無効になればそれでよし、通らなくても放銃する結果は変わらないので、ここはゴネ得」という手法がまかり通ってしまいます。
当たり前ですが、そんな事ばかりやっていたら周りの人からは総スカン。店によっては出禁処分を言い渡されるでしょう。
先程、将棋界のスキャンダルである、将棋ソフト不正使用疑惑を挙げました。
僕は将棋界の事は知りませんが、この事件は将棋界に影を落としたようでございます。
そんな落ち込んでいた将棋界を復活に導いたのが、もはや説明不要のプロ棋士、藤井聡太プロです。
彼の活躍は社会現象を巻き起こし、将棋界に明るい光を照らしました。
麻雀は不公平なゲームです。配牌でプレイヤー間に格差が生まれますが、トレーディングカードゲームでいうところのマリガンのような「手が悪いから引き直しをする」という行動は取れません。(まあ九種九牌が似たようなルールでしょうか。これはプロの対局や雀荘によっては採用されていなかったりしますので、麻雀においては「配牌のやり直し」というのはない、と言ってしまっていいでしょう)
不平等な手牌を配られても、それを解決する手段は存在しません。
麻雀は不正を行えるゲームです。ですが、自動卓が登場して「千鳥」「元禄」「ドラ爆」「2の2の天和」といった積み込み技は使えなくなりました。
とはいえ、比嘉さんのイカサマnoteにもあったような「ぶっこ抜き」や、他人や自分の捨てた牌をかすめ取る「拾い」というイカサマはリアル麻雀でも可能です。
また、点数申告をわざと多く申告しておいて、例えば3000-6000を4000-8000と言って、ツッコミを受けたら「すみません間違えました」と謝ればその場は揉めませんし、多い点数申告が通れば儲け物です。つまりは「やり得」な訳です。
「緊張や不慣れによるミス」と「悪意のある故意の行為」の区別、その判別というのは究極のところ出来ません。
不公平で不平等で不完全な麻雀というゲームにおいては、我々麻雀に携わる者が誠実でなければ、もうどうしようもないのです。
寛容さ、というのは、業界の門戸を広げるには大事なことです。
とはいえ、それを悪用する人間というのも存在する、ということは忘れてはいけません。
不公平で不平等で不完全なゲームである麻雀だからこそ、まずはプロが、そして自分が、麻雀界に生きる人々が、それぞれ誠実でなければいけないのです。
それを示していくことが、我々麻雀界に生きる人間の努めなのです。
誠実さ。
これこそが、麻雀をゲームとして楽しむための、唯一残された公平性なのではないでしょうか。