編集者がいない!から見えること
イギリスの食研究とか、情報発信のサポート(アドバイス)とかもやっているけれど、私のキャリアのなかで一番長く、かつ今も続けているのが
編集者
という仕事です。
でもね、編集者(長)って仕事って、すごおくイメージしにくいんじゃないかって感じます。
映画でいうと監督、に該当するし、一般企業でいうと、プロジェクトリーダーといったところかな。
要は、ある企画(編集者の場合は、書籍や雑誌、ウェブサイトとか)の統括責任者ってこと。
企画力も大事だけれど、それよりもその企画の具現化、そのために俯瞰で眺めて、いろんな人たちをとりまとめる方が大事、かな〜。交渉して、頭を下げて、何かあったら責任をとるという尻拭い的なこともするし、大いなる裏方かもしれません。
私の場合、いちライターとして仕事を受けることもあるけれど、これ、編集者視点を持っているから、発注を受けることが多いんだと思っています。
編集者視点とは企画の意図を汲み、それを文章に落とし込む、ってこと。
この世知辛い世の中、ひょこひょこ生きているのは、編集者としての技術があるから、と確信しています。
世にフリーライターはとっても多い。
自称ライターからリライター(問題になった1円ライターがそれ)、そしてうわぁ、うまいなぁ、こういうのをプロって呼ぶんだなぁ、って人までいます。
http://ricorice.hatenablog.com/entry/2016/12/21/180000
一方で、フリー編集者は、というといないんだなぁ。
ときどき人が欲しいんだけど、訊かれるのですが、やっぱりいない。
このときの“人が欲しい”は、社員なりアルバイトなり、そこの事務所に常勤する人が欲しいって意味なので、独立して事務所を構えている人を紹介するわけにいかないし。
まあ、前提として、世の中が不況になって、出版社が新規採用を見送り、人材が育っていない、ってのもありますが(フリー編集者は、最初は出版社なり編集プロダクションなりに属していて、そこから独立するパターンが多いので)。
その理由を、編集の仕事は立ち上げから終わりまで携わり、手離れが悪く、かつ作業量も多いので、個人でやるのに向いていないから、だと思っていました。
だからチームで仕事をすべく事務所を構える、という構図になるんだ、と。
ある人は、全体を見渡すのが苦手、パニックになりそう、だから編集の仕事はしない、とも言っていました。
確かに、それは適性としてあるかもしれない。
でも、それよりももっと大きな理由があるんじゃあ、と最近感じるのです。
それは
・責任をとりたくない
・考えたくない
ってこと。
・責任をとりたくない
は、編集者は統括責任者であるので、クレーム処理を引き受ける役割です。
あっ、しまった!っていうこちらのミスもあるけれど、理不尽なことも多い。それをかわすのは、エネルギーを要します。ものすごいストレスだし。
でもね、責任を背負うことと、裁量を任せてもらえる、ってことは表裏一体で、私は、裁量を任せてもらえる、ってところが魅力なのですが、責任をとりたくない、って人、多いんだろうなぁ。
・考えたくない
企画そのものもそうだけど、それがスムーズに行くことなんて、まずなくって、常に微調整(ときに大ナタをふるう)を加え、全体を見渡し、関係者に連絡をとり、進める。
これって頭を使います。
目先のことをやってればいい、ってのとわけが違う。
目先も、少し先も、ゴールも見据えながら仕事を進めるわけで。
これも混乱するからやりたくない、与えられたものをやる方がラクって人、多いんだろうなぁ。
よく、考える力をつけて、っていうでしょ。
私、考える人って、今の時代であれば(近い将来はパーセンテージがぐっと高くなると思う)、全体の5%、もっというと3%もいれば十分だと思っています。
みんなが本気でいろんなことを考え動き始めたら、間違いなく今の社会は混乱する。
それに、何か問題が起こったら、それまでは言ってきた方が悪い、と責任を転嫁できたけれど、考えないお前も悪い、に変わっちゃうし。
何も考えず、黙々と従っている人が多い方がものごとはスムーズで、それが今の社会だと思っています。
ただ、同じ従うのであれば、誰につくかは見極めが必要、とは思うけどね。
編集者不足から透けて見えるのは、これからの社会では、
・自分で責任を負う
・自分で考える
ってことがサヴァイヴする能力になるのかもなぁ、ってことだったりします。
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