#beat11 仕事が忙しすぎて充実感でいっぱいです
これは草食系ブラック企業(職場)のリアルなドキュメンタリーだ。草食系ブラックは社員の能力・やる気・成長機会を根こそぎ奪い、廃人同然にしてしまう。まるでこの世の果てのような理外の空間には、様々な怪現象が現れる。
【登場人物】ひろし:部長(※別名「怪鳥」)、仕事をしない。たつお:課長、仕事をしない。のぞみ:中堅社員(n.nozomi)。トシ:中堅社員(j.yabuki)。
◇ ◇ ◇
――業務標準化推進室、通称〈業推〉。
業務の標準化は、企業にとって必須の課題だ。重要な、さまざまな規格がある。ペンタはそれらを別々の部門で対応していたが、本来、もっと効率化が可能なはずなのだ。
そこで、われらの「業務標準化推進室」が誕生する。景気が良く、会社に余裕があった数年前の話だ。業推が活躍するチャンスは、多分にあった。逆に言えば、この組織は間接部門の最たるものであり、成果を残せなければ、社員から早々に忘れられてしまう宿命にある。
部長ひろし。五十三歳。勤続三十年。
人は彼をこう呼ぶ――ステルス戦闘機、と。
結成早々、業推は完全に気配を断った。その結果として現在、社員どころか、つくった社長からも、その存在を忘れられている気がする。よって、機能はしていないが存続はしているという、恐るべきパラドックスが成立している。
業推の四人がデスクで、仕事をしている感のデッドヒートを繰り広げていた時、その事件は起きた。
業推の、電話が鳴ったのだ!
それは、寄せ集めた机の、ちょうど中央に置かれている。いかにも業務用といった趣の灰色のものだ。何週間ぶりだろう。
勇ましく、不吉に、大きな音で電話は鳴り響く。鳴り響く。まだ鳴り響く。四人は誰も出ない。呼び出し音は、いい加減に切れてしまいそうであった。仕方なく、たつおが受話器に手を伸ばす。やつは評価を気にしている。
「――ええ、ええ」たつおの声に注目が集まる。「それは、業務改革推進室のほうですね。――えっと、内線は226です。はいはい」たつおは受話器を置いた。
「へへへっ」怪鳥の、すり潰したような笑い声。
笑ってんじゃねえよ。トシは苛立つ。間違い電話しかかかってこねえじゃねえか。
ややあって、PC画面の右下が光った。
チャットソフトがメッセージを受信したときの合図である。
h.nozomi《たまに間違い電話があるよね。俺もまえ電話に出たとき、改革なんとかってとこと間違えられたよ》
j.yabuki《ああ、業務改革推進室。去年できたとこだよ。この会社って部署を略号で呼ぶじゃない。だから同じ〈業推〉になるんだよね》
h.nozomi《なんでかぶってんの? 会社に同じ略号があったらだめでしょ》
j.yabuki《うん、一般的にはそうなんだけど、特に困らないってことじゃないかな》
h.nozomi《なるほど! ウチに用のある社員はいませんからな》
j.yabuki《できたのは、こっちのほうが先なんだけどね……》
また、空虚な時間が流れる。怪鳥が長時間離席したときには、ここが居酒屋状態になることもあるが、全体として見れば、一日の95%はこの状態なのである。怪鳥は、妖怪戦争の後、まったく会社を休まない。
のぞみと時々、チャットをする。それが唯一の感情の捌け口。しかし今日は様子がすこし違う。
j.yabuki《また、かずやさん現われた!》
h.nozomi《ああ、いますね》
のぞみの反応が、とても鈍いのだ。
j.yabuki《なんでそんな平気なの?》
h.nozomi《もう慣れましたよ》
たしかに、かつてほどの刺激は感じない。たつおは、一日に何回か、かずやさんの顔になる。かずやさんについての情報は、あれからもう少し集まった。その人は、たつおの双子の兄で、十八年前に風邪をこじらせたことが原因となり、この世を去ったらしい。生前は、たいへん優秀であったようだ。
聞いた当初こそ驚きもした。それが今は、だからなに? だ。この場にいると、すべてのことがどうでもよくなる。
時間を空けて、のぞみにまたメッセージを送ってみた。
j.yabuki《なにしてるの? 元気なさそうだね》
h.nozomi《ギターを見ています》
j.yabuki《例の楽器屋のサイト? 飽きないの?》
h.nozomi《毎日、更新されるんですよ。レスポールは一本一本趣が違います》
j.yabuki《木目のこと?》
h.nozomi《ええ、わたしは木目を眺め続ける毎日です》
j.yabuki《それってさ、盆栽を愛でる心境に近くない?》
h.nozomi《ひょっとしたら、これがそうなのかもしれませんね。心が無になるっていうんでしょうか。なんだかすべてのことが許せそうです》
ああ、のぞみが老熟化してゆく……。
◇ ◇ ◇
その頃、もともと活気づいている部署が、さらに活気づいていた。
業務改革推進室、通称〈業推〉である。
はじめはプロジェクトだった。経営企画部の長、高須を筆頭に、社の精鋭が選り抜かれた。
高須は、ペンタに入社後、海外営業部に配属される。その後、海外現地法人を渡り歩き、持ち前のリーダーシップを遺憾なく発揮することになる。年次、出身校、終業後の付き合い、仕事の能力には何の関係もない。しがらみのない国外の土壌が、彼の肌には合ったようだ。
目標達成のために、多くの関係者を巻き込むことを好む。正確には、そこにもたらされる一体感が好きなのだ。また、彼自身も含め、一個人の限界をも知っている。シナジー効果という言葉があるように、組織とは、個々の足し算ではなく、化学反応だ。自らが触媒となることで、その力を何倍にもできることを彼は学んできた。
五十三歳、その感性は若い。しっかりと櫛の通ったオールバックには、多くはないが、白髪も混じっている。だが、あえて染めることはしない。彼は、彼の哲学を持っているのだ。信念がある。見る側はどうだろう――貫禄としか感じない。
プロジェクトは、高須部長の強い主張により、一過性のものではなく、社長直轄の部門として独立した。そのミッションはあらゆる部門の垣根を越えた、クロスセクショナルな業務革新。
業推を立ち上げる際に、高須部長は若い人材を活用しようと考えた。肩書きだけの人間、要領だけ、口だけの人間は、一利なしと考えている。実際、高須部長が、社内公募により引き抜いた若手は優秀だ。よく見ている。
彼は、学生時代に遊んでいない人間は信用しない。勉強なんてそっちのけ、趣味に、恋愛に、精一杯はめを外し、青春を謳歌した者だけが、真に社会に出て通用する人間だと考えている。
業推の仕事は楽ではない。当然だ。古くからある既存のものを変える仕事なのだから。彼ら若手には、社内的な権限はない。だが、高須部長が後ろに控えている、シメるところではシメてくれる、そう思えるからこそ、前に進める。立ち向かえる。
新しい試みに対して、当然、社内からは反発があった。易々とは従えない。自分たちはこれまでこうやって会社を支えてきたんだ。相手にもプライドがある。
それでも高須の掲げた構想は、部下たちの粘り強い交渉により、徐々にではあるが、浸透した。各部署にて、ひとり、またひとりと、キーパーソンを突き崩した。その積み重ねにより、最終的には全社的に受け入れられるものとなる。
喧嘩もした。しかしそれは、お互い真剣であるがゆえのこと。その分、あとで仲良くなる。結果的に、感謝される。業推のメンバーは、社内で人気者として慕われ、若い女子社員にいたっては、ちょっとしたアイドル扱いだ。
ここにいたるまで、メンバーは皆、終電で帰る日が続いていた。もちろん、強制ではない。だれも好んで嫌なことなどしたくないだろう。ただ、皆でひとつとなる一体感が心地よかったのだ。
ついに山を越えた。社内の誰もが業推を認めている。
にもかかわらず、社長賞をもらった後の祝賀会が寂しかったくらい、代えがたい一体感がそこにはあった。酒宴ではお互いを讃え合った。苦楽をともにした仲間と飲む酒。彼らは、本当の酒のうまさを知った。一番うまい酒を飲んだのは、高須部長であることは言うまでもない。
多忙のあまり、彼らはこれまで、仕事以外の接点を持つことはあまりなかった。だが、もともとは遊び心のある連中だ。祝賀会で出た話題が発端となり、ちょっとした企画が持ち上がった。
Interview with フィッシャーズ
《ギターボーカル》高須。「ロックですか? 好きでしたねえ。昔はこれでもやんちゃだったんですよ(笑)。え、そうだな、ミックジャガーかなあ。――若い奴と、またやってみたくなりました」
《キーボード》ひかる。「音楽大好きです! 部長には、公私とも教わることばっかり。でも音楽なら負けません。キーボードでしっかりバックアップしちゃいますよ」
《ベース》ジュン。「中学からずっとバンドやってました。社交辞令とか抜きで言っちゃいますけど、このバンドで演奏するのが一番ワクワクするんです」
《ドラム》アツシ。「いい仲間と巡り会えて、俺、ほんとうに幸せです。やってやるぜえ、って感じですかね(笑)」
仕事があまりにも暇なのでバンドをはじめました
「ロックスターになりてえなぁ」プロジェクト
【作者コメント】
主人公たちがあまりにもバンドをはじめないので、別バンドが出てきてしまいました……。どっちが主役?