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ニュースの真実は誰にもわからないからこう乗っかれ!

これからは「ポスト・トゥルース」の時代だなんて言われている(なんかカッコいい!)。

SNSでフェイクニュースが出回ったり、AIで偽動画がつくられたり、何が真実かわからない。これからがそうなら、これまではどうだったのだろう? 

人々は真実にアクセスできていたのだろうか? そんなわけはない。いつの時代も支配者層に都合のいいストーリーが捏造されてきたし、ときに、面白いというだけで根も葉もないデマが広まった。

なんと、これまでもポスト・トゥルースだった。

だいたい、われわれが事実だと信じているものは、他人が言っているからそうだと思っているにすぎない。又聞きの又聞きの又聞き。

江戸時代はあったのか? 徳川家康は存在したのか? そのときに生きていた人は誰もいないのに。考えだすと、なんで自分は江戸時代があったと無条件に信じているんだろうと不思議な気分になってくる。

この辺の話は、京極夏彦の「姑獲鳥の夏」に長々と語られている(デビュー作なのにすごいよね)。

わたしが身近なポスト・トゥルースを考えるなら、気になるのはニュースで流れる街の人の声だ。新宿や新橋には、いくらでも人がいるのに、そのなかのひとりかふたりの声を切り取るのはさすがに無理があるのでは。

あくまでその人の個人的な意見のはずなのに、生の声は説得力があるから、国民の代表みたいな感じで聞こえてしまう。この手法を使えば、世論なんていくらでも操作できるのではないだろうか。

少数の誰かにとって都合のいい声が、いつの間にか大多数にとっての真実になっていることが、起こり得る。正しいものが真実なのではなくて、1000回繰り返して言われたことが真実になるのだ。

こう考えると、権力者が自分たちにとって都合のいい世界を構築しようとしているような、悪のストーリーを連想してしまうけれど、かならずしも、原動力が悪意だとは限らない。

わたしの家では、夕食時にラジオのN〇〇ニュースを流すことにしている。奥さんから「夕食時は何かおもしろいトークをしろ」と無茶ぶりをされ、わたしが途方に暮れた結果、なぜかN〇〇ニュースが流れることになった。

なにをどう折衷したらそうなるのか?
我が家の七不思議だ。

そのN〇〇ニュースで、インフレのニュースになり、八百屋のおっちゃんの声が流れた。野菜が値上がりして経営が厳しい。円安がどうこう。わたしは「またひとりの声を切り取っているよ」と思った。

奥さんが「またこの人だ」と言う。
「ん」わたしはまったく気づかないが、奥さんはけっこう声で人を認識することができる。
「物価の話になったときは、だいたいこのおっちゃんが出てくるんだよね。練馬の八百屋のおっちゃん」。

まさか……。
ひとりかふたりの声を切り取っているのではなく、まさかの同一人物。

N〇〇ニュースで流れているものは、国民の世論ではなく、少数の意見というわけでもなく、練馬のおっちゃん個人の意見なのだ。

わたしはわかった。これは、世論操作ではない。たんに取材がしやすいかどうかだ。

取材班にしたら、毎回、違う場所にインタビューをとりにいくのは手間がかかる。ちゃんと答えてくれるとも限らない。聞けば答えてくれるおっちゃんのところに出かけたほうが絶対に効率がいい。

ポスト・トゥルースの新たな側面だ。
意外と、取材しやすい人が真実をつくっているのかもしれない。

最後にわたしの考えるポスト・トゥルースの対処法。

ポスト・トゥルースなんてものは解決しようと思わない方がいい。作り話を信じてしまうのは、人間が人間であるための性質だ。事実であろうが、嘘であろうが、関係ないのだ。

大勢で協力するために、何かのストーリーを信じる。大勢で協力できるからこそ、こんなにも社会を発展させることができた。

他人と協力することがポスト・トゥルースの目的ならば、真実かどうかわからないストーリーを見るよりも、そのストーリーに属する集団のほうを見たほうがいい。

少しでも気持ちのいい人たち。自分のことばかり考えるのではなくて、他人のことも考えることができる。バランスのとれたものの見方ができる。

そういう人たちが信じるストーリーに属する。
ストーリーの真偽はわからない。だけど、そんなに悪いことにはならない気がしている。

読んでくれてありがとう!



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