#beat12 仕事が暇すぎて妖怪戦争が勃発しました
これは草食系ブラック企業(職場)のリアルなドキュメンタリーだ。草食系ブラックは社員の能力・やる気・成長機会を根こそぎ奪い、廃人同然にしてしまう。まるでこの世の果てのような理外の空間には、様々な怪現象が現れる。
【登場人物】ひろし:部長(※別名「怪鳥」)、仕事をしない。たつお:課長、仕事をしない。のぞみ:中堅社員(n.nozomi)。トシ:中堅社員(j.yabuki)。
◇ ◇ ◇
「高須なんてぜんぜんたいしたことねえんだよ」
ひろしはことあるごとに言い続けた。
当初トシは、そうなんですかと、とりあえず聞いた。自慢話をするひろしの相槌を打ちながら、本当に優秀な人間は、自分のことを優秀だと言ったりはしないはずだと考えた。それにこの人は、同じことを何度も言う。より基礎的な部分を怪しんだ。
のぞみも聞かされた。彼はトシに比べるとまだ真っすぐなところがある。そうなんだと、ひと月くらいの間は思った。たつおに対して、ひろしはその話をしない。ペンタの古株は皆、高須のことを知っている。
「高須はなあ、相手と適当に合わせてうまくやるのが得意なだけなんだよ。ひとりじゃ何にもできねえ。そのへんが海外じゃばれなかったんだろうな。本社から、こそこそ逃げまわってたみたいです。だから日本に戻ってきてから、立場がないんですよ、へへへ」
高須が行動しだすと、今度はこう言う。
「昔からちょっとおかしかったんだよなあ。今だって、他の部署に訳わかんねえこと言って回ってるみたいじゃん。あんなプロジェクトうまくいくわけねえよ。絶対、失敗する。わたしくらいの年代は、みんな高須のことを知っているから、相手にしないんです。それで彼は、なにも知らない若手を使ってるんですよ。くじ運のなかった若いやつらは可哀想です、へへへ」
すべて自分のこと。人は、自分の姿を他人のなかに映し出すものらしい。
向こうの業推が社長賞をとってから、ひろしは高須についてコメントをしなくなった。垂れ流した中傷を訂正することもせず、知らん顔をしている。
昨年までは、高須部長から、ひろし宛てにちょくちょく電話がかかってきた。ひろしがあまりに何もしないためだ。高須の掲げる業務改革は、業務の標準化が切り離せない。そこに手をつける前に、一応はこちらの業推を立てて、筋を通そうとしているのだ。他のメンバーは耳を大きくして、会話の内容をキャッチする。
「ええ、ええ」やけに通る声。まったく内容が分かってないくせに、相槌だけははっきりと打つ。
ひとしきり相槌を打ったあと、「そっちでやっていただいてけっこうっスよ」結局、最後はそう答える。
毎回そのやりとりを続け、最終的には仕事をぜんぶ手放してしまった。
「あいつ、ワケわかんねえことで、いちいち聞いてきやがる」
ワケわかんねえのは、おまえだ。
ひろしは強かった。なにもしないに関して右に出るものはいない。たいがい何もしないたつおでさえ、「あのオッサンすげえな。よくあんだけ何もしなくて平気でいられるよな」と、感心する。
ひろしはまた、なにもしないの神様に愛されている。とてつもなく運が強い。異動のたび、目立たない場所、目立たない場所へと飛び移り、そしてついには、組織の端の端にあるような、何をしているのか社員の誰にも分からない部署へと辿り着いた。
業務標準化推進室。通称、〈業推〉。外からはニセ業推と呼ばれている。部長であるひろしすら、何をするところなのか分かっていない。
だれか仕事してくれないかなあ。
席に座り、エサを待つひな鳥のように、上を向いて口をポカンと開けている。
――かと思えば、ときに恐るべき攻めを見せる。
上司だけは選べない。これは世の中の鉄則である。
ひろしは、この鉄の壁を打ち破った。業推は組織上、どこの部署の下についているわけでもない中途半端な存在である。本来、本社機能の役員がひろしの上司になるはずなのだが、ここでも、彼の、認知の歪曲機能が大きく活躍した。
ひろしは、おじいちゃんのような見た目をした、総務部の形だけの部長を勝手に上司だと思い込んだ。役員は怖い。おじいちゃんはいつも席で茶をすすっている。怖くない。
ひろしは、ことあるごとにその人を選んで報告にいった。
悪質な訪問業者のような語り口。おじいちゃんは、適当に「そうか」と言った。「この人はだれだろう?」
ひろしは実年齢よりも十歳は老けて見える。白髪の多く混じった頭は、全体的に煤けた灰色をしており、顔が大きいためか、額と口のまわりの皺がとても目立つ。傍から見れば、おじいちゃんとたいして年齢は変わらない。
それでもひろしは甘える。俺の上司はこのおじいちゃん。
「あの馬鹿、自分の上司が誰かもわからないのか!」のぞみは声を荒げたものだ。
ところが――、繰り返すうちにそれはまかり通る。
「思考は現実する」ナポレオン・ヒルの、著書のタイトルだ。怪鳥の思い込みの強さは、人のそれを超えている。まさに超人的。ついにひろしは、おじいちゃんを上司に仕立て上げてしまった。
「あの馬鹿、上司を勝ち取りやがった!」トシは叫んだ。
ひろしの上司(62)は、こうして誕生したのだった。
「今月の報告です、へっへっへ」
その後、じじいがじじいを騙すの図がずっと続いている。
◇ ◇ ◇
なにもしない部署。なんの中身もない部署。
ひろしはそれでいいだろうが、巻き込まれる人間はたまったものじゃない。怪鳥の下についた人間は、ただのオブジェである。怪鳥が仕事している体を演出するためのエキストラだ。
俺の人生を返せ!
中途の二人はそう叫ぶ。
なんら大げさではない。30歳前後の数年間は、キャリア形成のため、人として成長するため、とても大切な期間だ。
h.nozomi《俺たちの仕事は、老人介護か!》
j.yabuki《怪鳥の飼育係りです》
そこで勃発したのが、怪鳥討伐のための妖怪戦争である。当時の業推には、トシとのぞみの他に、課長の宗則がいた。現在の課長であるたつおはその頃、別の建屋にて必死に眠気とたたかっている。
宗則は、線の細い男であり、怪鳥より入社が一年遅い。決して危ない橋を渡るタイプではない。だが、このまま業推が機能しなければ、いずれは組織自体が消えてしまうことが目に見えている。
近年の急激な景気の悪化を受け、彼は年齢的にもリストラの対象になり得ていた。危機感を抱いていたのは、当然のことだろう。
まともに仕事をしたい――そう願う若手の二人と利害が一致した。
「俺もあの人のこと、よく知ってるわけじゃないんだ。でも話してみるよ」
「僕たちも協力します。充分勉強する時間がありましたからね。OKさえ出れば、すぐにアクションを起こせます」
第一次妖怪戦争の勃発。
「部長、ちゃんと計画を立てましょうよ」
「社内の新しい試みなんですから、教育会を開かないと、他部署の協力はとりつけられないと思うんです」
三人は必死にひろしを説得した。話せばわかる。少なくとも、それら言葉の意味は通じると思っていた。
「やっても意味ねーだろ」ひろしは一喝した。
そのころの怪鳥には、出所不明の威厳があった。「なぜ?」とは思う。だが彼らにしても、ひろしのキャラクターを分かっているわけではない。その場は退かざるを得なかった。
タイミングを計りながら、地道に説得を続けてゆく。
そのうち、ひろしがおかしなことを言い出した。「言っておいたから」
「は」
「だから他の部長に言っておいたから。仕事進めていいよ」
「えっと、すいません。それはどういう――」いつ、だれに、なにを、どうのようにして?
結局、意図するところが分からない。
宗則から細かく聞かれたひろしは、宗則の悪口を言うようになった。「なんでそんなことが分かんねえんだよ、あいつは馬鹿だ」
しまいにひろしは、宗則は仕事が早い、と怒るようになった。本人のいないところで、トシやのぞみに言う。「そんな早く仕事ができるわけねえだろ、なっ、なっ」
えっ、イカレてんの?
一次戦争は、怪鳥の姿を浮き彫りにした。
ハリボテ――、何もない。何も考えていなければ、何も理解できていない。
三人はホログラムを相手に戦っていたのだと知った。つまりは幻に敗れる。
◇ ◇ ◇
そして第二次戦争。
それは去年の今頃の話であり、やはり暑い夏であった。日本列島に吹き荒れる台風のごとく、大規模リストラに関する噂が社内を駆け巡っていた。
第二次戦争の作戦は、三人で議論をし尽くした末の、最後の策というべきものであった。
――ハリボテでけっこう。仕事はすべてこちらでコントロールする。
三人は、怪鳥のいないときに会議を行った。怪鳥はよく会社を休むため、そのチャンスは多かった。彼は会社に一本も連絡を入れない。
業推のある場所が、元会議室であったため、壁際のホワイトボードを使ってその場で打ち合わせをすることができた。三人は真剣である。役割分担を決め、各自が資料にまとめる。業推が設立されて以来、もっとも活気のある時期だった。
怪鳥が出社しているときは、別の会議室を予約した。打ち合わせに気づかれないように、各々、時間をずらして集合する。
この件に限らず、業推ではオフィシャルな会議ができない。デスクで三人だけで話せば、怪鳥がへそを曲げる。会議に参加させればさせたで台無しにする。その存在、百害あって一利なしだ。
会議室に三人揃っていられるのは、せいぜい10分がいいところ。手早く課題を整理し、またバラバラに席へと戻る。
怪鳥はといえば、人の気も知らず、相変わらず信者を呼んでは与太話をしている。「昨日ですか? お休みです。こう忙しいと、体調も崩しますよ、へっへっへ」
部下たちは歯を食いしばった。もう少し、あと少し。
そして秋も深まった頃、ようやく実行プランは完成した。三ヶ月を要しただけあり、目的と背景にはじまり、現在の課題、段階を踏んだ実行スケジュール、各部門の役割が、余すところなく具体的に提示されている。別途、教育資料等、必要な資料も準備してある。役員に向けた説明用の原稿まで用意した。
あとは部長がそれを承認するだけ。それですべてが進行する。怪鳥は、その後なにもする必要がない。
ポイントはそこだ! 怪鳥の性格を踏まえた上で、餌をぶらさげた。
自分は何もしなくていいのだ。部下が勝手に仕事を進めてくれて、その上、自分の評価まで上がるのだから、食いつかない理由がない。
――はずが、
怪鳥の答えは、前のものと同じ、「やっても意味ねーだろ」だった。
本当に資料を読んだのだろうか? 怪鳥は何もしなくていい旨も、直接的ではないにせよ、伝えたはずだ。
ただ、想定済みといえば、想定済みであった。彼にはおおよそ読解力というものがない。内容を理解できないがゆえの拒絶ということは充分あり得る。
宗則が口頭で説明する。加えて、このままでは、私もあなたも、管理職はリストラされてしまう旨も伝えた。今、何もしないことが最も危険なのだ、と。
怪鳥は神妙な顔をして、「わかった。検討する」とだけ答えた。プライドだけは人一倍高い男だ。すぐにはイエスと言えないのだろう。怪鳥が、資料を大事そうに引き出しにしまうのを見て、三人は安堵した。
その晩、三人は、はじめて仕事の打ち上げに出かけた。これでようやく話が先に進む。ひと仕事終えたあとの酒は格別で、怪鳥の話をしては盛り上がり、これまでの努力が報われることを、ただ喜んだ。
翌週、怪鳥からの回答は――、宗則の戦力外通告だった。リストラ。
じじいがじじいを騙すの図は続いていた。
実はですねえ、私が見る限りですよ、彼……、頭がおかしくなったみたいなんですよ。前に一度ご報告さし上げたじゃないですかあ。あれから注意して見てたんです。やっぱり、おかしいです。――いや、注意しました。何度も注意しました。日本語が通じないんですよ、へへへ。これじゃあ、さすがの私も無理です。若手もですねえ、悪い影響を受けてるみたいなんですよ。彼らのためにも――、
普通は言えない。簡単に他人のことを、頭がおかしいだなんて。いい大人がそう口にできるものではない。
だからこそ……、説得力があったのかもしれない。
怪鳥の報告を聞いて、相手は「そうか」と言った。
人事課は、総務部の下に位置している。おじいちゃんは立場上、人事課長の上司でもあるのだ。現在会社は、絶賛リストラ実施中である。リストラされても仕方のない人間はウェルカムだ。
「なぜ私なんですか」宗則は、総務部長に詰め寄った。
「君は何もしていないそうじゃないか。若手と遊んでばかりいると聞いているが」
宗則は絶句する。声がふるえた。「部長こそ、あの人こそ何もしてませんよ!」
「いや、彼はしっかり問題意識を持っているんだ」
おじいちゃんが見せられた数枚のレポート。それは、三人がつくったプランの一部を切り取ったものだった。
怪鳥の完全勝利――。
なにをしても無駄。
ここに、『仕事中はなにもしてはいけない』という業推の絶対ルールが完成した。
仕事があまりにも暇なのでバンドをはじめました
「ロックスターになりてえなぁ」プロジェクト
【作者コメント】
実話です。