見出し画像

Xとnoteの違い(デザイン思考はいらない)

皆さま、いつも応援ありがとうございます! ずっと気になっていることがありまして、ここnoteではフォロワーさんが450人を超えて順調です。いっぽうXは100人程度……。
(※ドラフト作成時の数値なので、今は状況が変わっております)

Xのほうがユーザー数が圧倒的に多いので、普通はX>noteになるはずなのにおかしい! これは不当だ、などと思い続けていました。

「noteのほうが力が入っているから」かなとか、「Xの作法がわかってないから」かなとか、思いつくのはそれくらいでしたが、もう少し根本的なところに原因があるような気がしてきました。

わたしは普段から、デザイン思考マシーンのようなところがあります。デザイン思考とは、わたしの解釈では、課題を深堀りして解決するための思考です。

通常、相手(クライアント、消費者など)は、自分が何をしたいのか、するべきなのか課題がはっきりと見えていません。いろいろな角度から地面を掘り返して、地中深くから課題を発掘したうえで、それをどうやって「あるべき姿」にもっていくかを考えます。

非常にクリエイティブな作業ですが、あくまで特定の課題を解決するための実用的なアプローチです。

いっぽう、アート思考という言葉もよく聞くと思いますが、それは、「これも課題ではないですか?」と誰も課題だと思ってないところから、無理やり課題を創り出すアプローチです。土を掘り起こすのではなく、宇宙から謎の物質をつかまえてきたようなイメージです。

アート思考の使い手なら、けっこう恰好いい気もするのですが、残念ながらわたしはデザイン思考の人間です。それもデザイン思考が常態化しているタイプ。ビジネスの世界ではそれが評価されてきましたし、noteの記事もナチュラルにデザイン思考になっていると思います。

そう考えたときに、noteユーザーは解決型の記事を求める傾向がある、だから受け入れられているのか! と納得がいった次第です。いっぽう、Xがダメダメな理由もまた然り。デザイン思考の雰囲気が漏れてしまっていて、だれもそんなものは望んでいない。

Xはきっと感情の交換の場なんでしょうね。「わたしはこう感じた」「それいいじゃん」「いえーい」。馬鹿にしてないです。みんな感情の交流を楽しんでるんだろうなと思います。マーケティング的にいえば、noteが「機能的価値」重視なのに対し、Xは「情緒的価値」重視ですね。

わたしも感情がないわけではないです。ただ、大っぴらに表現するのが苦手なところはありますね。リアルの世界のわたしが、バーチャルの世界にも完全に反映されている。

完全に匿名でやっているのに、ハメを外せない。というか、見えない場所で態度が変わる人間が苦手なんですよね。家庭では別人のように横暴に振る舞うとか、車に乗ると大声で他人を罵り出すとか、ネットの中だと別人のように他人の悪口をまき散らすとか。書いてるだけで嫌悪感がすごい……。

豹変する必要はないですが、もう少し感情表現が多めでもいいのかもしれませんね。うれしい、かなしい、さみしい……ひとこと必ず感情表現を使うとか。

人間なので、合う合わないがあると思いますが、いつもの記事の感じが嫌いでなければ、ぜひXのほうでも「それいいじゃん」「いえーい」をお願いします!

ずっとクリエイターであり続けたいです。よろしければ、サポートをお願いします。かならず面白い記事にしてお返しします!