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虹をつかもう ――暗――

仙人と天女の浮き方は、西の横綱、東の横綱とでも呼ぼうか。
仙人は、霞に隠れるように気配を消し、天女は、鮮烈な炎の壁を築くことで、周囲を隔絶する。ぼくやビリーの浮き方なんて微笑ましいものだ。
 
読経のような授業もようやく後半。さすがにつらくなってくる。
そういうときは、天女、木原愛の方角に目を向けることにしている。
彼女は、休み時間はたいてい頬杖をつき、イヤホンで音楽(だと思う)を聴いているのだが、授業では比較的まじめにノートをとっている。今日もそうだ。こんな話、面白いのだろうか。

と、思っていると、「それでは、今日はきりがいいのでここまで」
そう言うと教師は、すぐにドアを開けた。素早い動作。終了時刻まで十分あるというのに出て行った。
おい! 残されるこっちの身にもなってくれ。不良一軍が暴れだすだろう。
まず、教師がしっかりすべきじゃないのか――。

いちおう記しておくと、頼りない大人たちが自分たちの役割を託した代替品と言うべきか、この学校には生徒同士をつなぐコミュニケーションツールが用意されている。学校の考えが、いかに世間離れしているかがわかる。

ぼくが一年のときに、とても中途半端なSNSが導入されたのだ。学校公認のSNS。ひとりひとりにフルネームのIDが与えられ、匿名の誹謗中傷ができないようになっている。当初、学校にあるコンピューター室の端末のみで利用可能だったが、あまりに利用者がいないため、学外からアクセス可能になった。モバイルには対応していない。

……誰も使わないよ。
皆すでに、大手のSNSを使っている。
それでもあえてぼくは、学校SNSで日記を書き、それと分からないように教師を皮肉ったり、漫画やお笑い番組の感想を書いたり、ちょっとしたネタを書いている。クラスの上位メンバーや、ときには女子から反応があることも。

ぼくが〈愛嬌〉を遺憾なく発揮し、存在感を示せる恰好のツールなので、意外とありがたい。今日は、一瞬笑いが起きた仙人のネタでも書くか。……いや、弱いな。

教師が去り、火を切ったように、クラスが騒がしくなった。椅子が倒れる。ビリーが叫ぶ。笑い声なのか、叫び声なのか、漫画雑誌に目を落としたぼくには、狂乱にしか聞こえない。

――この一年を、なんとか乗り切るしかない。
そのためには、ちょっと面白いやつを演じてみせるし、これは修行というか、なんだろう……、ぼくの進むべき道とも、一致している。

『三田隆 くんの日記(5月10日)
 件名:コーヒーVS紅茶
 XXXXXXXXXXXXXX。
 コーヒーは俺が淹れてあげるもの。紅茶は淹れてもらうもの。
 おかあさんから。』

『今日のメモ。X年X月X日
気には、内気と外気がある。自分の内側にある気の流れが内気で、外側にあるものが外気。とにかく感じること。
よくわからない。それがぼくの治療とどう関係するんだろう。
師匠からセイシュとタントウ法を教わった。
とても簡単なものに見えたのに、たくさん注意された。
光栄なことだ。
もしもまっとうな人生が送れるのなら、ぼくはなんでもする。この人の期待に応えたい』


五限目の終わりを告げる鐘が鳴る。ぼくにとってそれは、昼夜が逆転する合図のようでもある。本当はすぐにでも駆け出したいくらいの気持ちがあるが、慎重に間をとる。ちょっと騒がしくなってきたくらいにクラスを抜け出すのがベスト。

前のドアに一番近い、天女――木原が教室を出た。相変わらず早い。耳には、外界のものすべてをシャットアウトしたいという、彼女の意思を具現化したかのようなイヤホン。いったい何の曲が流れているのだろう。その可憐な後ろ姿を見送る。

次いで、窓側の仙人がゆっくり席を立つ。こいつら、マイペースで本当にうらやましい。

仙人は悠然とした動作で前の通路を歩きはじめる。背丈は170前半くらい。細身の体型ため、筋肉質という感じはしない。〈腕力〉は、1とか2ではないかと思う。

ぼくが彼の動きを注目するのには理由がある。座席上、教室の前を、端から端まで歩かなければならない。中央付近は、不良一軍たちが陣取っている。彼らは机の上に座り、足を組み、仲間と乱暴に話しながら、獲物を狙うような目で辺りをうかがっている。

仙人の行くルートは、猛獣の群れの前を歩くようなもの。ぼくにはそう見える。

不良一軍のトップ、「ワン」は一見して強そうな、大型の狼。チャートのバランスがいい。さすがトップと言うべきか、〈オーラ〉のポイントもついている。

ツーは、狡猾なハイエナ。〈頭脳〉〈イカレ〉に強みあり。多くのしょうもない企みは、こいつが考えているようだ。スリー藤沢は、命令されれば動く、愚鈍なグリスリーといったところか。

仙人は、そこには何もないかのように歩く。他人を相手にしないというより、はなから何も見えていないかのようだ。これが、たとえば、山中で熊に遭遇したときの正しい対応なのか……。

実際、不良一軍は、なんら反応できていない。隙だらけのようで、隙がないとも言える。正体不明というのは、なかなか強いのだと思う。

ただ、それも時間の問題という気がしないでもない。まさか、終業式までこの状態ということはあるまい。端正な横顔をのぞかせ、仙人が教室から出て行った。

本当に不思議な現象だ。彼の見ている世界と、ぼくらの見ているこの世界は、つながっているのだろうか。仙人、七瀬隆志。その名は生徒名簿にたしかにある。ぼく以外の人間にも見えているんだよな? 名簿を持って、他の生徒に確認してまわりたくなる。

ここで、ビリーがダッシュしようとして、タイミングを計っていたツーにつかまった。「木村くん、そんな急ぐなよ。遊ぼうぜ」
これはダメの見本。刺激が欲しくてたまらない連中を、楽しませてどうする。

さて、ぼくは――。今日は無難に、舟木に混じって教室を出ることにする。
スポーツ連中は、そろそろ動く。


学校を出て、ぼくが向かう先は、最寄り駅から徒歩5分の距離にある、進学塾だ。自宅、学校、塾は、ちょうど地図に三角形を描くような位置関係にあり、学校のあとはそのまま塾に向かう。

ぼくが帰宅部であるのには、れっきとした理由があるのだ。それに、これから向かう先は、学校のどんなクラブに入るよりも楽しい場所だろう。
多くの気の合う友達がいて、実は……、なんと彼女もいる。
自分で言ってみて、先ほどまで置かれていた状況とのギャップに驚く。

坂道の多い、住宅街のなかを進んでいる。道がうねり、見通しが悪い。この辺りは旧式の家が多く、塀ばかりが目に付く。どの家もこじんまりとしている割に、庭に木を植えていることが多く、塀の上からは濃い緑がのぞいている。

駅の栄えている側――といっても、郊外の街にふさわしいような、ちょっとしたアーケードがあるくらいだが――とは逆の方向になるため、この道を歩いていてクラスメイトに会ったことは、今まで一度もない。

道を何度もカーブし、坂道のアップダウンを繰り返しているうちに、ひとつの日常からもうひとつの日常へと、気持ちが切り替わっていく。


一階と二階の間に、「学習塾」の看板のある建物へと着いた。みんなはもう集まっているだろうか。駅の反対側の学校から歩いてくる者もいれば、もう少し離れた場所から、バスで来る者もいる。

中学から通っているこの塾では、ぼくは意外と人気者だ。中学から付き合っている彼女ともここで会うことができる。今は、一時的な谷のようなもので、ぼくの学校生活は基本的には充実しているのだ。

高校生用の教室には、すでに四人いた。
「あっ、みっちゃん」顔馴染みの女の子から、いつもの渾名で呼ばれ、気持ちがすっと楽になる。けど、ここでぼくは、眉間に力を込め、怒の表情をつくる。無言のまま歩き、いつもの窓側の席へと座る。

「めっちゃ怒ってる、ははは」
気心の知れた四人は笑う。ぼくはあえて窓を向いたまま。
今日の登場の仕方は悪くないな。
だてに、お笑いを研究していない。学校でギャグ漫画を読んだり、バラエティ番組のネタを話すのは、防衛のためだけではない。順番が逆。元々お笑いが好きなのだ。

自慢じゃないが、ぼくが笑いをとる打率は高いと思う。シングルヒット狙い。大きいのは狙わない。その逆の、大振りというべき、一発ギャクや物まねの類はやらない。好きではないし、そんなの、遅かれ早かれ飽きられる。

窓の外に、ブレザー姿の、小柄な女の子が見えた。彼女の奈々ちゃんだ。おかっぱのような髪型に、細いフレームの眼鏡、見た目は少々幼いが、目も口元もきれいだと思う。なにより、一緒にいてほっとする。

そろそろ頃合いだ。ぼくはさっきの四人に、「怒ってないし」と、向き直る。
「うそー、めっちゃ怒ってたじゃん」
そうして自然に会話に入る。すぐ奈々ちゃんも加わるだろう。

しかし……、学校とはひどい差だ。ぼくのお笑いもここではずっと冴える。
学校のやつらは、ノリでふざけているだけ。ぼくはあくまでもアイディア勝負をする。

『三田隆 くんの日記
 件名:恋文の技術

普段のメールの書き出し。
「こんにちは、三田です。(なにげない会話)」
ある日、書き出しをさりげなく変化させる。
「つきあってください、三田です。(なにげない会話)」
意外とOKが出るかもしれない。特許出願中。』

『メモ。XX年XX月XX日
気功の考え方。戻る原理。
ぼくは、身体の内側の気の流れ、「内気」の状態が混乱してしまっている。
だから、元のいい状態に戻す。それが、戻る原理。
何歳の状態にも戻すことができるし、生まれた瞬間、生まれる前の状態にだって戻せるらしい。イメージがむずかしい。
師匠に子供みたいなところがあるのは、そうやって戻してしまったからかもしれない。
方法は、イメージと感覚による気のコントロール。
XX歳のころを目指そう。
あのときのように、どうか笑えますように』

ここは、進学塾といっても、夜遅くまで明かりがついているような場所じゃない。個人経営で、先生のキャラクターがよく反映されている。先生は人柄も、体型も丸い。

生徒の自主性を重んじる反面、ゆるくもあり、だからぼくでも通えている。親には申し訳ないが、ぼくにとってここはクラブ活動のようなもの。みんな、小学生や中学生からの仲間である。

そして、講義がはじまる前や休憩時間が、クラブ活動のメイン。ぼくは他の高校へ行った友人と雑談をしたり、情報交換をする。世界が広がるというか、自分の状況を客観視できるのがいい。ひとりだったら、今よりずっと悩んでいたと思う。

みんなの話を聞いていると、ぼくはまだマシのような気がしてくる。もっとひどい学校もあるようだ。日常的な暴力行為、器物の破壊、陰湿なイジメ。みんな明るそうに見えているけど、実は、ぼくと同じような悩みを抱えているのかも。

一瞬、教室の景色が、モノクロームに映った。

「今日は、『諸子百家』のところからなあ」先生が声を張る。「孔子とか孟子とか、ちょっととっつきにくいかもしれんが」
へえ、と思う。学校の授業とかぶった。なかなか珍しいことだ。テキストを見ると、儒家、孔子、道家、老子、荘子……、不可解な漢字の羅列に目を背けたくなる。

ぼくら生徒の気持ちを汲み取ったように、「暗記ばかりで、うんざりするよな」と先生は言い、「けど、それらの思想は、みんなにまったく馴染みがないわけじゃないんだ。陰陽って聞いたことあるだろ。陰陽師の」

塾の先生は、生徒に興味をもたせるために、よくこういった脇道へ行く。
「陰陽の世界観は、中国のどの思想にも通じているんだ。すべての物事は、陰と陽からできているってやつな。男女もそうだし、昼と夜もそう。そして陰と陽は、変化する。今は五月だろ。これからどんどん暑くなっていく。陽の力が増していくわけだ。八月がピークで今度は陰の力が――」

けれど、妖怪退治の話が出てくるわけでもないので、ぼくの注意はまた逸れてしまうのであった。

しかし不思議なものだ。暴力行為、重度のイジメに犯罪行為……。みんな他人事のように話すが、それらをすべて事実だとすると、この界隈は、とんでもない危険区域になる。

いつか流行った集団風邪を思い出した。自分のクラスにしたって、一部の人間に感化されて、クラス全体が悪い方向に流れている。それがもっと広い区域で起こったら。大げさに考え過ぎだろうか。

だが、昨年、この想像に、暗いリアリティを与える事件があった。
ある学校で、生徒の変死体が出た。その死体は見るに堪えない姿だったようで、さまざまなグロテスクな噂が飛び交った。首から上がなかったとか、トラックに撥ねられた死体が遺棄されたのではないかとか。

生徒が死亡したこと自体は、噂ではない。新聞にも載った。情報の少ないこの事件は、他殺の線もあるようだったが、結局、事件は迷宮入り。

その学校は、事件以前から荒んでいて、相当ひどい状況であったようだ。
それを物語るかのように、当初、この塾にも来ていた問題の高校の生徒は、ひとり来なくなり、またひとり来なくなった。世の中には想像を超えた環境がある。自分なんて、ぜんぜんマシなほうだ。

この頃のぼくは、他人事のように考えていた。


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