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#beat13 仕事が忙しすぎてスタジオでも絶好調です

これは草食系ブラック企業(職場)のリアルなドキュメンタリーだ。草食系ブラックは社員の能力・やる気・成長機会を根こそぎ奪い、廃人同然にしてしまう。まるでこの世の果てのような理外の空間には、様々な怪現象が現れる。

【登場人物】ひろし:部長(※別名「怪鳥」)、仕事をしない。たつお:課長、仕事をしない。のぞみ:中堅社員(n.nozomi)。トシ:中堅社員(j.yabuki)。

◇ ◇ ◇
のぞみは、日に日にダメになっていく自分を歯がゆく思っている。
今ではデスクの上で、平気で鼻をほじる。むしろ他の連中に見せつける。インターネットに飽きると、今度はテトリスもどきのゲームをはじめ、画面のなかで、赤、青、黄と、原色のブロックをチカチカ光らせる。

こういうときの彼は、半ば自暴自棄。他部署に見えても構わない。いっそ、業推に仕事がないことがばれてしまえばいい。
そんなことをしているうちに、
……またはじまった。
横のおっさんが、ため息を連発しているのか、体調の悪さをアピールしているのか、とにかく、はあはあうるさい。
甘えてんじゃねえよ、気持ちわりいな。つーか、なんでやや俺のほうに向いてんだよ。たつおのほうを見ろって。仲良しだろ。
腹いせに、怪鳥の席のほうに向けて、鼻くそを見えないように飛ばした。

小さな行為だと分かっている。無力な反抗だとも。好き放題やっているように見えて、本当に無敵なのは怪鳥のほうなのである。真に怖いのも怪鳥。おっさんは、強力な認知の変換回路を備えており、発想も行動も、突飛過ぎてまるで読めない。分からない人間ほど怖いものはない。

――なんでこんな奴が俺より。
彼は、給与の圧倒的な格差を不満に思っている。
しかし現在の給与水準で、生活できないかと言われれば、そうでもない。贅沢や、衝動的な買い物さえ我慢すれば、生活は維持できる。

――手取りがあと数万低ければ、すっぱり辞められるのに。
この会社を辞めざるを得ない。そんな状況が欲しいとさえ思っている。

どこにも動けない、生殺しのような状態。転職活動をするにも相応のエネルギーがいる。日々少量ではあるが、しかし確実にやる気を削がれていったのぞみは、気がつけば、転職に必要なエネルギーもなくなっていた。仕事がないのも楽でいいと、心のどこかで考えてしまったのがまずかった。いつの間にか岩穴から出られなくなってしまった山椒魚のようである。
 
机に座っているだけの時間が、耐え難くつらい。叫び出したい。彼女と過ごす週末、海で過ごす時間だけが、彼の精神をかろうじて支えている。

仕事は仕事、俺にはプライベートがある。彼は何度も自分に言い聞かせた。だがトシと同様、業推での時間は、彼のプライベートにまで影響を及ぼしていた。

家にいるときは、インターネット、テレビのニュースなどをまったく見なくなった。会社で暇つぶしのネタにするためだ。休みの日は、ついお金を遣ってしまう。ストレスのためだ。だがそれによって、給与の低さに目が行き、さらにストレスが溜まるという悪循環に陥っている。

そもそもこの悪循環の種は、業推のあの環境にもある。
暇だ。つらい。インターネットで物色をする。欲しくなる。あれもいい、これも……と、どんどん欲しいものがストックされていく。

のぞみには、このからくりが分かっている。だが、止められるかといえば、話は別だ。まず優先すべきは、自分の正気を保つことなのだから。巨大な暇がある限り、この輪を断つことはできない。

そして最近、よい暇つぶしのサイトを見つけた。ここで言う「よい」とは、とにかく長時間見ていられることを指し、役に立つだの、ためになるだの、どうでもいい。

が、このサイトはやばいと、直感的に分かる。物欲を刺激するのはもちろん、そのモノは、非常に値が張る……。それでもアクセスするのを止めれない。どうにも不思議な魔力がある。

ある日のぞむは気がついた。このサイト、リアルタイムで更新されているのか! ますます「よい」サイトである。ついつい更新ボタンを押してしまう。
今、アップされたやつ、これ、よくないか――。のぞみの物欲ゲージが上がる。
やばい! たまらず視線を外す。意識を逸らすため、周囲を見回した。
気になっていることがあるのだ。
他のやつらはいったい何をしてるのだろう。どうやって暇をつぶしている?

他のやつらといっても、怪鳥は別格である。なにもしないに特化した化け物。のぞみは、首を左に回すことができない。そのあたりには、普段ただでさえ視線を感じるのだ。やつは与太話をふっかける機会を常にうかがっている。

まずは、右斜めのトシを見ることにした。うつろな目をして、いつものように指で机をトントン叩いている。
動作のストロークは小さく、連打しているわりに音はしない。部分的に見れば、苛立っている仕草のようで、以前の職場の上司も、よくそうやって机を鳴らしていたことを思い出した。

しかしトシの場合は両手を使う。ストレスが常人のダブルということだろうか。のぞみは、その状態のときのトシを、席に戻る途中、斜め後ろの角度から見たことがある。今は机の下に隠れているが、そのときの彼は、同時に両足で貧乏ゆすりまでしていた。どういうストレス状態だ?

とにかく挙動不審だ。それでも同じ境遇ののぞみからすれば、そうでもしないと時間をやり過ごせない事情も分かる。特にトシは、他部署に背を向けるノーガード戦法を強いられている。インターネット環境は、他の三人に比べて格段に不利だ。

俺も人のことは言えないしな。こんな場所にいたら、変にならないほうがどうかしてるさ。
のぞみはそう考え、そこで思考を切った。
他人に対する関心がどんどん薄まってきている。
トシの謎の動きは、怪鳥の鳥人的な動作と同じく、業推の日常となっている。
人は慣れる。トシの刻むリズムパターンが日々複雑化していることに、のぞみは気づかない。

のぞみの大好物は、なんと言ってもたつおである。
のぞみの正面、マウスに置かれているたつおの指先を見ると、彼はまた瞑想状態に入っているようだった。まだ、午前中だろ。こいつどんだけ寝るんだ。怪鳥が席にいるため、写真を撮りたい衝動をぐっと抑えた。

たつおは給湯室でよく、怪鳥を完全に馬鹿にした小話をのぞみに披露した。
「怪鳥がな、くく、エキスパンダーを、ぷぷっ」話す前から自分で笑っている。「一階に、百円ショップで買ったエキスパンダーが置いてあったんだよ。それをあの人、みんなの前で、『引きちぎってしまいそうです』とか自慢げに。あっはっは」

もはや課長ではない。友達だ。仕事ゼロの組織において上下関係など存在しない。のぞみは今でこそ、たつおのことをヒマトモ(暇つぶしのための友達)として認めているが、完全に心を開いているわけではない。これだけフラットな関係にもかかわらず、給与の格差だけが歴然とあることを、快く思っていないのだ。

彼は彼で、たつおを小馬鹿にしているところがある。撮影会もそのひとつであるし、トシによく、たつおをネタにしたメッセージを送った。
h.nozomu《さっき給湯室でたつおに会ったよ。真剣な顔で、なにを言うのかと思ったらさ、「俺、病気なのかなあ。会社でこんな寝てるのに、家でも普通に寝れるんだよ」だって。終わってんなwww》

不満、苦しみ、苛立ち……、業推のあの場には、多くの負の感情が渦巻いている。人間関係が良いはずがない。

前回、時計を見たときから、ようやく三十分が経過した。その間、テトリスもどきで、これ以上の最高点は出ないだろうという自己ベストを叩き出した。
己の限界に打ち勝ち、またひとつやることを失ったのぞみは、再びたつおの指先を見ていた。例の居眠りチェックである。

たつおの手がようやくマウスから離れる。そして、そばにあったペンをつかんだ。
やっと起きたか。のぞみはあきれる。
が、直後に気づく。様子がおかしい。ペンを持ったたつおの手が、デスクの表面からわずかに浮いたところで、ぷるぷると震えている。
なんだ、これ? 
のぞみは身体を斜めにしてのぞきこんだ。
キリっとした眉、前を見据えた強い眼差し。かずやさんだ。

◇ ◇ ◇
社内のスタジオに、四人はいる。
遊びでやってみた――ように見せて、高須のなかにはある目論見があった。

フィッシャーズ初のスタジオ入り。他の三人には彼の計画を話していない。普段どおりの彼らが見たかったからだ。『気づいてないのかい? 人生はすべてオーディションなんだ』高須の持つ哲学のひとつである。

事前にリストアップしたストーンズのナンバーを、何曲かやってみた。腕は衰えていない。それどころか、若い頃よりも、自分のイメージする演奏に近づけている気がする。

高須は満足して、壁の端にある丸椅子に腰を下ろした。肩からストラップを外し、愛用のテレキャスターを壁に立てかける。
「部長、もうへばっちゃったんですかあ?」
部下の女の子が、明るい声で、からかうように言う。
「はは」高須は笑顔で返す。
彼が目を細めたのは、照明の加減のためだけではない。彼女は、普段とは違った輝きを見せている。

高須は、それからしばらくの間、三人の様子を眺めている。
演奏されるのは、知らない曲ばかりだ。だが彼らは、まるでジャズのスタンダードを演奏するかのように、事前に示し合わせたかのように楽器を操る。もちろん完全なコピーではないのだろうが、その演奏は、止まることがない。不思議な光景だ。一定のレベルに達した者同士が見せる、「現象」と言っていい。
「アツシー、次は『✕✕✕』やろうよ」
「ひかるは、△△△が好きだよな。ジュン、いけるー?」
端のほうで、ベースのジュンが親指を立てている。
ドラムのアツシがカウントを取った。

高須はこの曲もこのアーティストも知らない。だが、難易度は分かる。
難易度S――そう判断した。それを彼らは、なんでもないようにこなしている。演奏は聴きやすく、楽曲本来の複雑さを感じさせない。

予想以上だ――。「いける」高須の目が鋭く光った。
テクニックだけではない。高須の指揮のもと、業推で培ったチームワークが生きている。お互いに対する、信頼感がある。さらには、自信と経験と華やかさ――高須が求める要件のすべてが揃っている。
彼は結論づけた。これこそが全国優勝を狙える布陣であると。

彼はこれまで、強い信念のもと、いかなるプロジェクトをも成功させてきた。そもそもがペンタに留まっている器ではない。ヘッドハンティングの話も何度もあった。
「君にできることは本当に残ってないのかい?」
この台詞は、高須が、常々部下に言ってきたものでもあるし、自分自身への問いかけでもある。
この会社で、まだできることがある――。
答えは、三十年間同じだった。

しかしここ数年は、それにも終わりが近づいているのを感じている。業務改革推進室の立ち上げと、プロジェクトの成功。それはペンタでの仕事の、総仕上げと言うべきものであった。若手を多く起用したのも、自分の信念やこれまで培ったものを、新しい世代に残したいという思いがあったからだ。

君にできることは本当に残ってないのかい? 高須はふたたび自分に問う。

ある。なにも「仕事」だけが会社への貢献ではない。既存の発想にとらわれるべきではないのだ。
そしてここに、新たなる伝説が生まれようとしていた――。

◇ ◇ ◇
フィッシャーズが、完璧な時計だとする。四つの歯車による、強固で精緻な時計だ。
もしそれに打ち勝てるものがあるとすれば、歯車と歯車の間に打ち込まれる、硬くするどい、楔(くさび)のようなものであろう。
バンドはケミストリーである。なにがどう化けるかなど誰にも分かりはしない。

すでに、おそろしい化学反応のための分子が、社内の片隅に揃っている。今この瞬間にも、強力なライバルが生まれつつあることを、高須は知らない。
爆発のきっかけとなるのは、瞑想を続けるあの男――。

【作者コメント】
舞台は整った! なんで13話も必要とするん?

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