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能力は存在しない(ノーエフォート思考その弐)

能力は存在しない。いやいや、本当に。以前、ノーエフォート思考の記事で努力は存在しないとう話をしたが、「能力」も存在しない。努力も能力も存在しないなんてとんでもない世界だ。

この考え方は以前もご紹介した「冒険の書」から引っ張ってくるのだが、少なくとも「能力」というのは、みんなが考えるような能力ではない。

「この人には能力がある」という評価がどう生まれるのかというと、「① ある人が行動する」⇒「② 成果が出る」⇒「③ あの人には能力がある(という評価が生まれる)」。この順番だ。この逆はない。

「成果が出る」は、偶然に左右されるところも大きいので、「AさんよりBさんのほうが能力があったから、Bさんのほうに成果が出た」とは限らない。だけど、人の脳は確率的なプロセスを考慮しないようにできているから、「成果が出る=あの人には能力がある」と考える。

両者がイコールで結ばれてしまうため、先ほどと逆の順番が成立してしまう。「③ あの人には能力がある」→「② 成果が出る」。能力があるから成果が出る。能力信仰のベースとなる考え方だ。

これは間違っている。サラリーマン経験のある人は、人事考課を思い出してほしい。人は他人の能力なんて評価できない。結果を見て能力を判断している。あるいは、雰囲気で判断をくだしているだけ。その人に能力があるかどうかなんてのは結果論、後知恵バイアスによるものに過ぎない。

「そんなことはない、あの作家を見ろ、どうみても能力(才能)があるから成功したんじゃないか」。こんな反論が出てきそうだ。わたしも普段はそう思ってしまうが、まさに結果が出たから、「能力」が生まれた典型例。能力という概念は「他人の頭のなか」に生まれる。「努力」のときと同じ構造だ。

仮に、能力という言葉を使わず、特性という言葉を使うと、成功した作家と同程度の特性があったにも関わらず成功しなかった人はいくらでもいるはずだ。だけど、そういう人は能力がなかったとされてしまう。残酷な言い方をすれば、気づかれてさえいない

世の中で言われている「能力」は、結果論であり、他人の頭の中にしか存在しない概念なのだから、あまり気にしなくてよいのではないかと思う。ありもしない「能力」のことを思い悩むくらいなら、「①ある人が行動する」の部分を、言い換えれば、試行回数を増やしたほうがいい

すると、成功する確率が高まる。成功すれば、世間から能力があると呼んでもらえる。だけど、ここまで書いてきて、幻の能力を追うってなんだか虚しい気もする。ノーエフォートで(努力しないで)好きなことを淡々とやっていくほうが楽しそうだ。

ただし、せっかくなら成功のおまけも欲しい。ノーエフォートにひとつ加えるなら、失敗することを恐れずに行動する。気に留めるべきはこれくらいかもしれない。

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