線、線、線、ひとを隔てる線
ふだん人を大きく分類するときに、どのような線を使って切り分けているだろうか。
マーケターならすぐに「デモグラ」が思い浮かぶだろう。デモグラとは性別や年齢などの情報で、ネットリサーチをするときの基本。他には趣味・趣向、行動パターンなどをクラスターとして分類することもある。ちなみに、ネットスラングとして使われる「株クラ」は、株式投資に関心がある人たちのクラスターという意味だ(たぶん)。
さて、このように人を分類するいろいろな線があるが、人と人のコミュニケーションを考えたときに、特にどの線が重要な意味を持つのだろうか? この人とは「話が通じる」「話しやすい」はどういう属性によって決まってくるのだろうか? コミュニケーションの専門家としてはなかなか興味のあるテーマだった(いろいろな専門家を名乗ってますが、深く考えずに流してください)。
たとえば、女性同士ならコミュニケーションがうまくいくのか? 特定の場面ではそういうこともあるだろうが、絶対にノーだろう。話が合わない人はいくらいでもいるはず。
同世代なら? 時代背景を共有できる強みはあるが、これも違う。クラスメイトはみんな仲良しだっただろうか。
趣味が同じなら? デモグラよりはマシな気がするが、これも違う。株クラは喧嘩ばかりしている。
わたしは、この問題を解くヒントになりそうな、これまで見えなかった「線」をあるとき偶然発見した。自分の父親とひさしぶりに会話をしていたときだ。
これまでも深い会話ができたと思ったころは一度もないが、そのときは特に話が通じなかった。父親は、なぜかはわからないが、「死刑制度は必要かどうか」という話題を持ち出した。わたしは「一番重い罪があるとして、社会として、それにどう向き合うかの考え方による」というような答え方をしたと思う。
「どう向き合うか」の部分について意見を交わせばいいのだが、父親は「一番重い罪ってなんだ?」と言って先に進まない。わたしは何度も「それは別に何でもいい。そのときの社会状況によっても違うので、とりあえず一番重い罪があると仮定してみればいい」と返すのだが、「一番重い罪ってなんだ?」を繰り返すばかり。
具体的な罪を置いてしまうと、「その罪に対して死刑は必要か」という問いにすり替わってしまう。わたしは話題を打ち切らざるを得なかった。
このときに気づいたのだ。この人は、ものごとを抽象化して考えることができない。親子なのに、抽象化の能力に差がある。実は、話が通じる通じないの根本にあるものは、抽象化能力の度合いなのではないか。
これは、なかなか衝撃的だった。本当に「抽象化能力の度合い」がコミュニケーションの大きな要素だとしたら、多くの人はいつまでたってもコミュニケーション不全の原因にたどり着けないのではないか。
なぜなら、デモクラしかり、趣味・趣向しかり、わたしが知る限り、人をわかりやすく分類する線(その人を定義する属性)に抽象化の話などないのだから。
なお、抽象化能力が高いから、優れているという話ではない。抽象化は考えすぎにつながり、身体に悪い。あまり深く考えないと言うと印象が悪いかもしれないが、即物的な人のほうが幸福度が高いという話もよく聞く。
つまり、抽象化は良い悪いではなく、これまで述べてきたような数ある線のひとつにすぎないのだ。
ただし、その線は見えない。
記事を少しでも気に入っていただけたら、ぜひフォローをお願いします!