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beat29 仕事が暇すぎて伝説のギターバトルがはじまりました

仕事があまりにも暇なのでバンドをはじめました

「ロックスターになりてえなぁ」プロジェクト

【登場人物】
部長:ひろし ※別名「怪鳥」
課長:たつお(憑依霊:兄のかずや)
中堅社員:のぞみ(n.nozomi)
中堅社員:トシ(j.yabuki)
フィッシャーズの方々:高須部長、ひかる、アツシ、ジュン

◇ ◇ ◇
さあ、総仕上げだ。

トシは集中する。昨晩から煩わされてきたすべての心配事から、心を切り離す。今の彼にはそれができる。

トシは、イントロの複雑なリズムを、DTMに打ち込んだ完成形そのままの形で叩くと決めている。

(確実に叩けるところまで音数を減らす)
かつてのトシだ。その考えこそが、彼のドラムプレイを殺してきたものに他ならない。

今、彼は、完璧に叩いた上で、即興的にペダルハイハットを二発入れた。そして歌いだす。

トシは、イントロの間に、自分の前を人影が通り過ぎたことに気づいていた。

――大丈夫。ギターの音もベースの音も聴こえている。構いやしない。

歌いはじめてすぐに、ギターの音が一瞬ずれた。のぞみにしては珍しいミス。

――すぐに回復した。問題ない。

複雑なプレイをこなす間にも、周りの音がはっきりと聞こえている。研ぎ澄ませた集中力がそれを可能にする。

――自分以外のボーカルの声がない。

今のかずやさんには荷が重いのだと思う。ベースだけに集中してくれればいい。

のぞみの声がない理由は分からないが、そもそもが形だけのボーカルだ。ボーカルは、俺ひとりが引き受ければいい。

一番のBメロに突入する。

これまでで最高の出来ではないかと思える、かずやとのぞみのプレイ。その音があるからこそ、安心して目の前のプレイに集中していられる。

それどころか――、

すごい、なんだ、このギター。このベース。尻上がりにどんどん迫力が増す。

グルーヴ感なんて生易しいものじゃない。まるで、戦っているかのようだ。ギターとベースが、その言葉のとおりにバトルをしている。

どうしてしまったんだ……。

そしてサビに入る直前のこと、これまでステージに満遍なく散っていたスポットライトが、ひとつをひろしに残し、残りのすべてがトシに集まった。

なぜ――。

◇ ◇ ◇
トシがカウントをとった直後のこと、クレイジーバードの陣形である三角形の右端でベースをキャッチしたかずやは、強い衝動に駆られ、再び走り出していた。

弦は、ミスなく弾いている。だけどかずやは、腰から下を制御できていない。その部分は、完全にたつおの優位となったのだ。

愛人との逢引を中断され、たつおの魂が荒れ狂っている。

その矛先となったのは、三角形の左端――、のぞみである。正確には、のぞみの持つレスポールだ。

ギターは女だというのぞみの主張は正しかった。かずやに心身の多くを奪われ、不完全な、いわば意識の混濁したたつおの魂には、のぞみのレスポールが女性の身体にしか見えなかった。

しかも入念に手入れをされ、磨かれた、魅惑的な声で囁きかけるナイスバディ。絶世の美女だ。

たつおは、目の色を変えて襲いかかった。

驚いたのはのぞみである。演奏開始の直後に、暴漢が突進してきた。トランクスの上に贅肉がはみ出した中年親父。完全なる変態が、マリーを狙っている。

「おおおお」必死にサイドステップしてかわす。

ベースを弾くたつおの両腕は、かずやの魂ががっちりと支配している。懸命に指をフレット上に這わせているため、たつおが掴みかかってくることはないが、腰から下が別の生き物のようであり、怪しいガニ股の動きが、忙しなくマリーを狙った。

のぞみも必死だ。相手の動きに対応するため、かずやに向き合ったまま、同じくガニ股の姿勢で動き回る。

マリーを渡してなるものか。手元では、彼女は俺のものだと、技巧の限りを尽くして愛撫を続ける。

二人は、間に五十センチの距離を保ったまま、激しく牽制し合った。攻めるたつお。かわすのぞみ。

彼らの演奏は、戦いそのものなのであった。

たつおの卑猥な腰の動き。それよりも、なぜに裸。これはとてもではないが、テレビで放送できる画ではない。

「まずい、まずい」ディレクターから指示が飛んだ。「照明をドラムの彼に集めろ」
「ひろしさんはどうします」

車椅子のひろしは、天井を見つめたまま、まったく動かない。これはこれで怖いが、いちおう彼は、先ほどのVTRで大きな感動を呼んだ主役なのである。
「ライト、一個だけ残せ」

照明が切り替わった。観客の視線は否応やくトシに集まる。ドラムボーカルとしてのパフォーマンスに、歌そのものに意識が向く。

これまでも、彼の歌ははっきりと聴こえていた。

(ぼくらは競ってー、時間を削るから)Aメロの途中、最初のフレーズの反復から小節の数が変化し、(振り返ってたら、置いてかーれるよ)Bメロに向かって加速する。面白い展開だ。

(なーーーあ)声がぐっと伸びる。(ちょっとだーけ、待ってくれないかー)
芯のある声。変化をつけた歌いまわし。
(なーんか、早いんじゃないかーー)

サビの手前、ここだ! ここで照明が切り替わったことは、サビに向かって盛り上げるための、ちょっとした効果をもたらした。多くの照明に照らされ、トシのフィルインも映える。

正面から見て、トシと客席の間には、ひろしがいる。ハリボテモードのひろしだ。彼は舞台と完全に同化してしまっている。よってトシは、ステージの中央で、スポットライトを一身に浴びていると言っていい。

異例だ。大人のバンド賞がはじまって以来のこと。これはドラムソロではないのだ。プロのライブにしたって通常はあり得ない。

彼は、舞台の上、身動きのとれないドラムセットのなかで、バンドの重責すべてを負わされてしまったかのように見える。

500人の観客と審査員の目。大人のバンドの頂点を争う場。

こんな状況になれば、どれだけ場慣れした人間でも身がすくむ。これまでのトシであれば、動転して演奏どころではない。

だが、彼は変わらない。それどころか嬉しくさえ思う。今の自分に、だ。

スポットライトが集まった理由は分からない。ただ、俺にはバンドの音が聞こえている。のぞみもかずやさんも、たしかにいる。

絶好調じゃないか。他のマイクに、トラブルがあったのかもしれない。ならばその分、俺が歌えばいい。

テレビの前で、十月の社内コンテストを観ていた者がこれを聴いたなら、別の曲に聞こえたことだろう。

当たり前だ。トシの歌いまわしでしか、この曲はこの曲たり得ない。詞もメロディも、はじめはほんの断片だった。トシは、ギターを手に、何度も何度も繰り返し口ずさんだ。

たとえるなら、それは刃。口ずさんでは曲の輪郭を、刻んでいった。それが思い描いた形になるまで何度でも。

だから他の誰が歌ったとしても、違って聞こえてしまう。
「――はじめて聴かせるけど、これが、本当のオリジナルだ」
間奏に入り、拍手が起きた。

二コーラス目は、トシの安定したパフォーマンスに加え、ステージ端の闇のなかで、ギターとベースがさらに迫力を増していった。

彼らはいったいどこまでいく? 今現在どうなってしまっているのか、明かりを当てるのが怖い。

彼らに比べれば、トシのドラムは面白みがないかもしれない。だけど、揺らぎがない。荒れ狂う海原から見える、灯台の光ようなドラムが、彼らを支えていた。

悪くなかった。

流行の音楽を聴く人間には、すぐにでも合唱できそうな、印象的なメロディラインが耳に残り、コアなロックファンには、今日という日でしか起こり得ない奇跡的な化学反応が、ツェッペリンの伝説のライブを彷彿とさせた。

だが――、肝心のシニアが、まるで機能していない。審査員からフィッシャーズに対して辛辣なコメントがあったばかりだ。

車椅子のひろしは、トライアングルを一度鳴らしたきり、天井を見つめたまま微動だに動かない。

口をぽかりと開けたうつろな表情を、白い、細い光が、そこだけが宗教的な儀式の最中であるかのように、厳かに照らしていた。

容態が悪いとはいえ、さすがに……。
二コーラス目が終わる。

落ちた。
選考対象外――。

誰もがそう思ったとき、メンバーの三人さえ予想し得なかった現象が起きた。

◇ ◇ ◇
ひろしは、暗い、暗い、河のほとりのような場所にいる。

黒と灰色だけで構成されたモノトーンの世界。殺風景な、寂しい場所だ。やけに強い風が吹く。ゴォゴォ、ゴォゴォ。それ以外は何も聞こえない。

そこは、ひろしの内なる世界である。かつては、空が見え、光が射し、緑のひとつもあったのかもしれない。

いつからだろう、彼の世界は、本人も気づかないくらいのスピードで、ゆっくりと収縮をはじめた。十代からか、二十代か、いずれにせよ、何十年もの歳月をかけて。

今回のバンド騒動は、そのスピードをわずかに早めたにすぎない。

とうに終わりは近づいていたのだ。ひろしはすでに河のほとりにいた。そこしか残されていなかった。何も見えない。聞こえない。どこにも足を動かせない。そしてその場所ももうすぐ消えようとしている。

ひろしはまだ、ぼんやりと思考を続けていた。

「俺、仕事してるよな」「だってよ、仕方ねえじゃん」「ほら、あいつらが馬鹿だからさ」

言い訳のオンパレード。もはや聞かせる相手もいないというのに、最後の思考がそれ。救えない……。そして意識が心の奥底に完全に消えようとしたとき、誰かが囁いた。

『……』
ゴォゴォ、ゴォゴォ。
「んあ、なんだ」聞こえない。ひろしは訝しく思う。

『…………』
ゴォゴォ、ゴォゴォ。
また声がする。「だれだよ」

声の主は、最後の力を、最後の声を、絞りだす。
頼む、頼むから聞いてくれよ。

まるで嗚咽のようだ。ゴォゴォ、ゴォゴォ、ずっと前から……、ゴォゴォ、ゴォゴォ、ずっと前からだよ。何度も何度も言ったじゃねえか。

彼は、泣き叫んだ。『俺……、なにもしてねえよ!』

「これ……、俺だ」

◇ ◇ ◇
会場がざわついた。そして驚きのあと、喝采に変わる。
ひろしが立ち上がったのだ。踊り出した。

のぞみは、かずやの肩越しにその光景を見た。「ひろしが立ったー!」思わず叫ぶ。

かずやも振り返った。虚を衝かれ、たつおの魂がふっと静まる。

ライトが慌ただしく移動をはじめ、ステージの中央、トシとひろしを結ぶラインが眩しく照らされた。

トシは、間奏のドラムを叩きながら、ひろしの復活劇を見ていた。まさかの出来事。

やはりキレがない。ヨタヨタとしたあの動きだ。何の目的も持たない独特の動き。

だが徐々に両手が持ち上がってゆく。指が動いている?
あれは、指パッチン。

トシはドラムスティックを投げ捨てた。会場から別のどよめきが起こる。バンドがドラムを放棄した? いったい何故? 彼は絶好調だったはずじゃないのか?

トシは口元に固定されていたマイクを外し、手に持って、ドラムセットから駆け出した。

バンドは、ギターとベースの音だけになる。理性の制御を取り戻したかずやが、リズムをキープする。

すぐに最後のサビに入った。トシはマイクを手に、歌いながら走る。

ひろしのもとに駆け寄った。そして膝をつき、マイクをひろしのそばに伸ばす。楽曲のクライマックスというべき場面でボーカルまでが消えた。

代わりにマイクが指パッチンの音を拾う。
「パチパチパチパチ」

でたらめだ。リズムなんてあったものじゃない。ひらすら抜けのいい、指パッチンの連打が響き渡る。

ひろしは、目を見開き、口を開け、両手を頭上に振りかざし、指をパチパチいわせながら、がむしゃらに踊っている。見たことのないひろしがそこにいた。

オオーっ! 会場が沸いた。

のぞみとかずやも、ひろしの周りに集まる。ひろしの左に立ったのぞみは、憑き物がとれたような、穏やかな顔をしていた。

ひろしの後ろのかずやも、表情からいつもの強張りが取れているように見えた。トシもなんだか嬉しくなる。エンディングが近い。

ひろしの横で膝をついていたトシは、立ち上がり、正面に向き直る。

つま先でリズムをとり、曲の、最後のフレーズに向けて呼吸を合わせる。自分をここまで導いてくれた、すべての出来事に感謝を込めて。

のぞみが腕を振るだけのシンプルなギターに合わせ、
「必ず君といるー、いつでも君といるー」
最後は上体を前かがみにして、息を吐ききった。

今、ステージ上には、ギターの残響が残るのみ。

トシはゆっくりと歩き出し、マイクを、ひろしの後ろ、カメラからは隠れてしまったかずやのところへ持ってゆく。

そしてリーダーが、最後を締めくくった。「サンキュ」

そのときのかずやの声を、トシは忘れない。

Interview with クレイジーバード

《ギター》のぞみ。「仕事があまりにも暇なので、ギターを溺愛するようになりました」
《ドラム》トシ。「仕事があまりにも暇なので、やたらリズム感が身につきました」
《ベース》たつお。「仕事があまりにも暇なので、兄が憑依するようになりました」
《パフォーマー》ひろし。「工数がぜんぜん足りねえよ」


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