#beat16 仕事が暇すぎてバンド名を決めるのが精一杯です
仕事があまりにも暇なのでバンドをはじめました
「ロックスターになりてえなぁ」プロジェクト
【登場人物】
部長:ひろし ※別名「怪鳥」
課長:たつお(憑依霊:兄のかずや)
中堅社員:のぞみ(n.nozomi)
中堅社員:トシ(j.yabuki)
フィッシャーズの方々:高須部長、ひかる、アツシ、ジュン
◇ ◇ ◇
あの、社内ライブに出る……。トシはひそかに高揚していた。
かずやさんという強烈なキャラクターに流されるまま、申込用紙を社内便に出したものの、何のプランも算段もない。かずやさんのなかには何かしらの考えがあるのだろうが、ほぼ、「おれ、ベース」だけの指示で後を託されたトシにすれば、白紙同然の状態だ。
すべてはこれからという、恐るべき見切り発車。その後の苦労が目に見える。だけど踏み出してしまった。
トシは、以前に一度だけ参加した、あの社内座談会を思い出す。同時に寂しい思いが蘇った。
参加者は全員がバンド経験者。ライブをどう盛り上げるか、どんなコンセプトにするべきか、どんなステージで演奏したいのか、そんな話題が続いた。
トシは、女性ものの洋服店にそれと気づかずに入ってしまったような、場違いな気恥ずかしさを感じた。しかも洋服店とは違い、すぐに立ち去ることはできない。
参加者の発言はつづく。自分は彼らと、同じラインにすら立っていない。遠い異国の話を聞いているようだった。
そのとき、トシの斜め向かいにいたのが、もうひとつの〈業推〉のひかるだった。目が大きくて、夏の花のような女の子。あのときの赤い衣装が脳裏に焼き付いている。
可憐な赤、まぶしい赤、憧憬の赤――。
会の終わり際に、彼女は手を挙げ、少し幼稚で可愛らしい発言をした。
最初に参加した社内ライブでは、ステージにいる彼女を目で追っていた。次のライブでもそう。食堂でも、無意識に彼女を探している。ひかるは常に人の輪の中にいる。ときに高須部長の輪に、ときに同年代くらいの男子社員のなかに混じり、楽しそうに話をしていた。
その様子をトシはただ見ていた。
心のどこかで、自分には話しかける資格がないと思っていた。座談会での無力な自分の姿が、ちらついた。
「失敗して、挫折した。だけど、繰り返すうちに、ようやく自分に自信が持てたんだよ」
かずやさんの言葉だ。
自分に自信を持つ、か。
まくしたてられた台詞のなかで、やけにこの言葉がひっかかっていた。
今日を、かずやさんと初めて出会った日だとする。
その第一印象。暑苦しい、せっかち、マイペース、猪突猛進型。
どれも、あまりいい言葉ではない。
だけどひょっとしたら……、嫌いじゃないかもしれないな。
◇ ◇ ◇
二度にわたる妖怪戦争に勝利し、無敵となった怪鳥ひろし。
逆らう部下は誰もいない。彼の存在の前で、部下はただ沈黙する。決して仕事をしない、させない、持ち込ませない。ひろしこそが絶対ルール。
そのポジションは、永遠不滅のものに思われたが、盛者必衰とはよく言ったもの、長くは続かなかった。
配られた給与明細を見ながら、かずやが言う。「たつおにこんな高給いらねえよ! アホな会社だな。よくこんなやつに給料払うよな」でっかい声で言う。
ひろしは顔面に、ありったけの力を込めて仕事をしているふりをしている。
かずやは、まあ多くの人にとってみればたつおだ。
そのたつおは、上司がすぐ横にいる位置で、会社の悪口を言いながら、「こんなに給料いらねえよ」と大声で言っているのだ。
上司の評価などどうでもいい。なんならリストラも辞さない勢いだ。
部長ひろしの最大の武器である、評価権限が無効化される。
怪鳥VSかずや。
怪鳥はかずやに対して、認知を捻じ曲げ、無視を決め込むことしかできない。一方のかずやは遺憾なく無敵っぷりを発揮する。今日はたつおからバトンを受ける形で、午前10時の時点で現われた。「さすがに朝からだとしんどいからな。こいつ、午前中に必ず一回は寝るじゃん。今からなら、定時まで持つ。そうとう支配できるようになってきたんだ」
怖いことを平気で言う。
勝敗は明白である。
今、最強の座が、怪鳥からかずやに移ろうとしている。
トシものぞみも、どちらにつくか言うまでもない。力関係が明らかなこともあるが、言葉の通じない人間よりは、通じる幽霊、目的を持たない魂よりは、強い指向性のある魂、暇をもたらす者よりは、それを破壊する者。
もはや三人は、怪鳥が席にいようがいまいが関係ない。いないものとして話す。向こうは向こうで認知を捻じ曲げて対抗する。むずかしい顔をして、必死にパソコンにしがみついている。
「バンド名どうしますか? さっそく実行委員からメールで問い合わせがきたんですよ。社内ライブのチラシをつくるみたいで、正式なのがほしいそうです」
トシはそれが仕事であるかのように話す。ここが会社である以上、最低限の仕事をしている体は必要である。
「そうだな……」かずやもそれを承知しているようで、無駄に声を荒げるようなことはしない。会社勤めの経験があるだけある。
「どう書いて出したの?」のぞみが画面に目をやったまま、絶妙な声量で声で話す。さすがにうまい。
「えっと、ベースたつお、ギターのぞみ、ドラムが俺で、ボーカルがひろし。バンド名は特に思いつかなかったんで、『怪鳥』にしておいた。ボーカルのひろしと、バンド名の怪鳥の横に、(仮)ってつけておいたんだよ。だから問い合わせがきたってわけ」
「怪鳥ってなんだ」かずやが訊く。
「この人、鳥っぽくないですか」トシは、ひろしを見ずに言う。
その人はちょうどうまい具合に、首をカクカク左右にふった。
「ホントだ。ひゃっはっは」
「課長、静かに」のぞみが冷静な声で言った。
「じゃあ、怪鳥を英語にしようぜ。たつおに訊いてみろよ。こいつ三年くらい海外勤務してたからな。一回代わるわ」
「器用っスね……」
「んあ……」たつおが、大きく胸を逸らして、目覚めのポーズをとる。本人いわく、気合いのポーズである。
「もうこんな時間か。最近、やけに時間経つの早いんだよな」
そう言って、たつおの笑顔がテカった。
「楽でいいじゃないですか」のぞみが答える。
「うらやましい」トシは感情を込めずに言った。
「そお?」
「――会長? チェアマンじゃねえの」たつおはまだ眠そうだ。
「そういう、役職の会長じゃなくて、ほら、課長もいつも呼んでるでしょ。鳥、バードのほうです。えっと……、クレイジー・バード?」
「ひゃっはっは」たつおは顔を真っ赤にして笑った。
「怪鳥って英語でなんて言うんですか」
「知らね。クレイジー・バードでいいんじゃねえの」
「……ですね」
かずやは、お昼を挟んで三時間ものあいだ、たつおが眠りに落ちるまで戻ってこられなかった。
「――こいつ、つかえねーな」
「さっき思ったんですけど」とトシが言う。「お二人の笑い方ってそっくりですよね」
「んな、下品じゃねーだろ!」
「仕事中です。声を落としてください」のぞみが姿勢を崩さずに言った。
その顔はポーカーフェイスだが、トシには分かる。状況を楽しんでやがる。
のぞみは面倒事を傍観しているのが好きなのだ。怪鳥が、妖怪戦争の後も、のぞみになお寄りかかろうとしていたのは、当時彼が、もっとも傍観者のスタンスに寄っていたからである。
かずやさんの相手は、どうも俺がしなきゃいけないみたいだな。
弟のたつおとは、トシよりも、のぞみのほうが馬が合っていた。たつおの性格を反転させると、トシ、のぞみの立ち位置も逆になるのかもしれない。
ふとトシの頭に疑問が持ち上がる。
「かずやさんは、普段どこにいるんですか」
「ん、おまえらの近くにいるよ。なんかこの辺、居心地がいいんだよ」
さすが業推、異空間だけある……。
「おまえらは気づかなかっただろうが、俺はずっと見てたんだ。すごい状況だよな」
「えっ、いつから見てたんですか」
「たつおが異動してきてからずっとだよ。だから大体の事情は分かる。ほんと、このオッサンすげえよな」
かずやは完全に顔をそのオッサンに向けている。ひろしはそこに誰もいないかのようにキーボードをがちゃがちゃさせる。
「そこまで知ってるんでしたら、この人がどんだけ使えないか分かりますよね。僕ら、『百害あって一利なし』のキャッチコピーまでつけているんですよ」
「ひゃっはっは」
爆笑するときは口も一緒に動くようだ。このときだけは、姿かたちが完全にたつおと一致する。
「怪鳥は、なんのパートやるんですか? というか、大会の趣旨からしてメインですよ」
ひろしがピクっと反応した。聞いてやがる。どうも、自分が怪鳥と呼ばれている自覚があるような気がする。
「とりあえずボーカルって書きましたけど、正直、あんまり気が進みませんね」
「この顔でボーカルはねえだろ。ひゃっはっは」
かずやさん、指差しちゃだめ!
ひろしは必死にキーボードを叩く。かずやもすごいが、この状態でも知らんふりを決め込む怪鳥もやはりすごい。
「あくまで参考ですよ」トシは、ひろしの与太話が最高潮だったころの記憶を呼び起こす。「昔はエレキギターをやってて、バリバリ弾けたって自慢してました。嘘だと思いますけど」
ひろしが、またぴくりと動く。
「バイオリンの神童と呼ばれていたって、僕は聞きました」のぞみがぼそりと言う。
「ひゃー、ひゃー」かずやは、声にならない笑い声を上げる。
「課長、仕事中です」落ち着いた声でのぞみ。こいつぜったい遊んでるよな。
「どう使うかなあ。なんにも仕事できねえんだから、こういうときくらい役に立てよな」
「かずやさん、ぶっちゃっけ過ぎですよ」
そう言いながらもトシは、かずやの言葉に強くうなずいた。妖怪戦争での屈辱を思い出す。
実際、ひろしは、上司にこう報告していた。
「へっへっへ、彼ら、社会人経験がなくて、わたしの指示を理解できないみたいなんですよぉ。何度言ってもだめです。さすがのわたしも頭にきて、怒鳴ってやったりました。せいぜい、使えるのは、新しくきたたつお君くらいです、へっへっへ」
「そうか」
呆ける、忘れる、嘘をつく。無敵の怪鳥に、本当に悔しい思いをしてきたのだ。
見れば、のぞみは笑いを堪えている。もらってる給料の、せめて十分の一でも役に立てよな。そんなことを考えているのだろう。
「どうすっかな、こいついねーと、そもそも出れねえしな」かずやが言う。
「どんだけ見切り発車なんですか」
「入場切符の扱いですね」のぞみがうまいことを言う。
「よし、案を書き出してみようぜ」
かずやのこの掛け声とともに、新生業推は活動を開始した。
【作者コメント】
個人的には、トシのストーカー気質が怖かったです。