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ジブリマインドの注入

個性なんて幻想だ。オリジナリティなんてものもない。われわれはしょせん他人のマインドの集合体だ。自分は自分だと思っているかもしれないが、幼少のころからいろんな人の思考が注入され、ブレンドされ続けている。

両親や学校の先生、同級生や、読んだ本。なんとなく他人の行動や考え方を真似しながら、社会にアジャストさせたものが自分だ。個性なんてものはせいぜいそのブレンド具合でしかない。その辺の話は村田沙耶香氏の「コンビニ人間」に詳しく描写されている。

本を読めば、新しいマインドを取り込める。自分の一部にしてしまうことができる。

先日わたしが読んだ本は、ジブリのプロデューサー、鈴木氏の書いた「仕事道楽」。冒頭の個性の話は「個性なんていくらでも強化できる」というポジティブなメッセージでもあるのだけど、どうにも変なマインドを取り込んでしまったものだ。

ジブリは、宮崎駿、高畑勲の2人の天才が、その天才性を遺憾なく発揮して、当然の結果として成功し続けたイメージがあったのだが、実際は、変人たちが七転八倒しながらなんとか転がしてきたというのが実情のようだ。

エピソードがことごとく奇想天外。「風の谷のナウシカ」は、「原作がないものは映画にできない」と上層部に言われたから、あのマンガが制作されたらしい。てっきりマンガが先にあって、映画化されていたものと思っていた。

ラストシーンも当初は違った。ナウシカがオームの大群に跳ね飛ばされ、そこで映画は終わる予定だった。今のような感動的なラストは、鈴木氏や高畑氏の説得の結果だとか。宮崎駿は意外と他人の意見も聞く。というか、細部にこだわりたい人で、ストーリーの流れは関心の外という傾向もあるようだ。

「トトロ」は、「火垂るの墓」との2本だったことで宮崎氏がはじめてリラックスして作れた作品だったのだとか。最初の案ではトトロが冒頭から全開で出ていた。監督のサービス精神によるものだ。「こういうキャラって、普通はちょっとずつ姿を現すんじゃないですか」の声に耳を貸したのは、二本立てだったから。

二本の時間を合計して考えれば、もう少し後半の登場でいいかと納得できたらしい。結果、ジブリ史上に残るヒット作に(興行収入はイマイチだが、賞を総なめ&キャラクタービジネスの成功)。

「紅の豚」以降は、「ラストは作りながら考える」がデフォルトになってしまったようだ。慎重派のわたしからすると驚異的。モチーフの質量さえあれば、ストーリーの末節はなんとでもなるもかもしれない。

「千と千尋の神隠し」の逸話も面白い。あれは、キャバクラの話に着想を得たのだとか。キャバクラに勤める女の子は基本コミュ障で、接客を通じて徐々にコミュニケーション能力を高めていく。

キャバクラに来る客もコミュ障。たとえるなら、キャバクラはコミュニケーション教室。なるほど、あの湯屋はキャバクラだったのか。たしかに千尋も最初コミュニケーションがだめだめだったのに、働いているうちに鍛えられた。

というふうに、エピソードだけでも十分に面白い本だが、

「けっきょく、悩みながらやっていくしかない!」
「いくつになっても、新人のような気持ちで新しいことに挑戦することが大事!」
「細部の『これを表現してみたい』もけっこう大事!」

これらがわたしの個性に追加されたマインドだ。

追加というよりは「強化」だ。やっぱり、そうやって地道にやっていくしかないみたい。ジブリマインドは夢がない


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