好き嫌いをほんの少し克服
今日の夕食に豚肉のタラコマヨネーズ焼きというのが出た。
私はタラコなどの魚卵系の食べ物が嫌いだ。あのプチっとする食感が気持ち悪いからだ。
それでもメインでぃっシュが食べられないのは悲しすぎるし、全く手をつけないのも作ってくれた食堂の調理師さんたちに申し訳ないというか失礼だろうと思ったので、がんばって少し食べてみた。
すると意外にもいけることが分かったのだ。たぶん豚肉のマヨネーズ焼きだったのが良かったのかもしれない。
このマヨネーズはちょっぴり生臭くて、何となくプチっとするような食感があるマヨネーズなのだと思えば、全部は食べられなかったけれど、5切れあった内の3切れ食べることができた。
これは豚肉のタラコマヨネーズ焼きであるという前情報が無ければすんなり食べられたかもしれない。
タラコが食べられたことで、ほんの少し大人になったような気がする。
ところで私がタラコを食べられなくなった理由の一つに、盲学校の寄宿舎でのトラウマ体験がある。
私は小学6年生の頃から、自立のためにと、親や盲学校の先生たちから半ば強制的に寄宿舎に入らされた。とは言ったものの、今思うと結果的には自立のためになったので、先生たちの巧みな言葉に丸め込まれて、娘を寄宿舎に入れる決心をしてしまった親にはとても感謝している。
私が寄宿舎生活をするようになった20数年前は、嫌いな物でも出された物は残さず全部食べなければならないという暗黙の了解的な物がまだ残っていた時代だった。
その日の朝食に焼きタラコが出た。しかも運が悪いことに、その時に宿直だった先生がとても厳しい先生だったのだ。
その先生から焼きタラコを無理やり食べさせられたのだ。全部食べ終わるまで先生は私を解放してくれなかった。
言う間でもないが、吐きそうになりながら味噌汁やお茶でどうにか焼きタラコを流し込んだりしながら食べさせられたのは本当に苦しかった。
きっと私がタラコが嫌いなのは、あのプチプチ感よりも、盲学校の寄宿舎で先生から無理やり焼きタラコを食べさせられたトラウマが、今でも強く残っているからかもしれない。
あれから時は流れて、私が今居る施設でも、嫌いな物は無理に食べなくても良いという流れに変わってきている。ほんと良い時代になったものである。