【手話ダンス甲子園チームレポート Vol.2】
Vol.2 sign(広島) 編
このレポートは、手話ダンス甲子園に出場し入賞したチームのメンバーや指導者など、また、関係の深い人物にチームと手話ダンス甲子園に関する話、また、手話ダンスにまつわる事柄についてインタビューした内容をレポートとして発信するwebコンテンツです。
第2回目のチームレポートは第1回全国手話ダンス甲子園優勝チームのsign(広島県)です。
【sign 手話ダンス甲子園実績(令和6年5月27日現在)】
・2023年 第1回手話ダンス甲子園 西日本大会優勝
・2023年 第1回手話ダンス甲子園 全国大会 優勝
◆第一回手話ダンス甲子園優勝おめでとうございます。
ありがとうございます。
◆優勝に関して率直な感想を聞かせてください。
リーダーとしての感想ですが、素直に感動しましたし、うれしかったですね。
もう一つはsignに課されていたミッションを達成できたというホッとした思いです。この優勝を足掛かりに、手話ダンスがさらに広まって、マーケットができて手話ダンスをやっているみんなの就労、特に障がい者のメンバーの就労につなげたいと思っています。
◆障がい者への就労に繋げるということとは具体的にはどういうことですか。
singを例にすると、チームをプロ化できればろう者だけではなく、他の障がいを持っているメンバーもいるので、そういった意味で、ろう者以外の障がい者の就労につながると考えていてそれがロールモデルとなるのではないかと考えています。
僕は、障がい者と健常者は社会において、つねに共同関係にあると考えているのですが、signはまさにそのミニマムモデルだと考えています。
また、signもいつかは、自走しなければならないので、今のメンバーがそれぞれリーダーになって、さらにその輪を広げていく事も大事で、そのためにもプロ化を目指しています。
手話ダンス甲子園はメディアの関心も高いので、これから広く一般の方に手話ダンスやsignを広めていきたいです。
◆KIKUさんはダンサーとしても長く活動されてきて色々なダンスパフォーマンスをみてきていらっしゃると思いますが、そのダンスと手話ダンスの違いはなんだと思いますか。
sing の特徴でいうと、ファミリー感が強いですね。
メンバー間だけでなく、メンバーの家族などを含めて、練習以外にも集まる事が多いのが特徴だと思います。
プライベートな話もよくしたりしますしね。家族というと、日本では、ともすれば希薄化した集合体といった意見もありますが、もしかすると、そういった一面は今もあるとは思いますが、僕たちのチーム関係をみてもらうと、確かに血はつながっていない他人なのですが、人間同士の関係は、自分たちの家族のような繋がりがあってこれからの新しい家族像といってもいいくらいの関係になっています。
家族の在り方は、多様であって、緩急があってもよいのではないかと思っていて、それがパフォーマンスに現れているチームがsign ですね。
◆その家族的な関係のチームの中で、特にパフォーマンスをする上で気をつけた点はありますか。
これも家族を例に言いますが、昔の日本の家族でいう「お父さん的役割」に自分がならなかったところかもしれないですね。
ところどころはリーダー的な役割は果たしたのかもしれないですが、決してボス的な立場はとらなかったのが特徴だと思います。
僕は一番年長者だし、ダンス歴も長いから、必然的にボスや強いリーダーになってほしいという期待はメンバーにはあったのかもわからないですが、僕は作品づくりに関しては、構成なども一切口を出さなかったです。メンバーや参加者の親御さんも最初は戸惑っていたのですが、それでも僕は口出ししなかったですね。
◆よく我慢できましたね。
そうですね。
それは、一つのかけでもあったんですが、そのあたりはメンバーのKEITAがうまく緩衝材の役目を果たしてくれました。僕の伝えたいことを柔らかい言葉でみんなに伝えてくれていました。
◆それでは、signの成り立ちから教えてください。
signは6年前(2018年)に立ち上げたけチームなんですが、先ほどお話ししたチームの運営方針は、手話ダンス甲子園に挑んだ時のチームの話になります。
このチームはそれぞれが個性を生かしながら、未来に備えてリーダースキルを身に着けてほしいといった思いで僕はみんなと接していました。
この考えのなかでチームを創っていきました。おこがましいですが、共生社会も同じように人が育っていく環境が必要だと思います。signも共生社会の実現を目指して活動をしていますが、共生社会の実現を誰かに求めずにまずは自分たちからやろう!!というのがチームの運営方針です。実はこれは、私が経営する就労継続支援B型事業所ポレポレファクトリーの経営方針でもあります。
◆チーム運営は最初からうまくいきましたか。不満や不安はなかったのですか。
不安はありましたが、チームでもめ事はなかったですね。
◆もともとのチーム結成のきっかけを教えてください。
僕は、元々ストリートダンスをやっているのですが、仕事で障がい者福祉に関わるようになったのもあって、誰でもダンスには参加できるということは常に考えていて、現場でもスポット的にダンスを取り入れていたりしたので、実際に自分でダンスの場を作って障がい者対象のダンスレッスンを定期的に開催していたんです。この活動は、2015年にスタートしてから、だんだんと参加者が増えていき、ある時、そのワークショップの見学者にろうの夫婦がいらして、レッスン中に鏡越しに、手話で会話しているのがみえていたんです。
僕の第一印象は、その夫婦が喧嘩しているように激しくぶつかりあったようにみえていて、レッスン後にダンスをサポートしてくれる仲間に、そのご夫婦の事を聞いてみたところ、あれは手話だったと知ったんです。手話の事はおぼろげにわかっていたつもりなのですが、テレビでみたのとは全く違って、僕がテレビでみたのはデフォルトしたようなものだったようで、本当の手話は、そのご夫婦が話していたものだと分かったのです。
とにかくすごく興味深く、そのご夫婦の手話をレッスン中もしばらくみていました。激しく感情をぶつけ合い、まるで手の動きがダンスの技のように映りました。
この時に、この会話がダンスバトルのようにみえましたね。
今考えても、感情と技のぶつかり合いという部分は、まさにヒップホップのそのもので、こういった表現は適切ではないかもしれませんが、見た感じも「格好いい」と感じていました。それが手話ダンスをやってみようと思ったきっかけで、とにかく初めてライヴでみた手話に感動したのを覚えています。それからさっそく手話にチャレンジするのですが、当時は手話が全くわからず、ちょうど、パプリカという唄が流行っていて、この楽曲の振り付けに手話の要素が入っているということを知ったので、ろうの方に、さらに手を加えてもらって、所属していたダンスチームでそれをやってみたらとても楽しかったんです。
それが最初にやった手話ダンスです。
◆いきなりチームとして動き出してうまくいったのですか。
全然うまくいかなかったです。
チームを結成した頃は、取引のある事業者のオーナーさんがろうの方だったので、手話を教えてもらっていたんです。手話を教えてもらうにあたっては、僕たちも真剣に習いたいという思いがありましたし、仕事としてお願いしたいとの思いもあったので、謝金をお支払いして習っておりました。
最初は、手話訳だけを学んでから、それを振り付けにていこうとしていたのですが、実際には、手話が振り付けそのものになってしまっていて、習った次の週に先生にみてもらったら、「うーん、まあわからなくはないけど」という感じでした。
それでも自分達なりには手ごたえがあったので、これでいこうとなったんです。
そして2019年に開催された障がい者ダンスバトルイベント「ART FUNK HIROSHIMA」で手話ダンスを初披露することとなりました。
◆パフォーマンスをしてみてからの展開はどのようなものでしたか。
そこから、新たにチームメンバーを組みなおしました。
メンバーには障がいのあるメンバーも加入しました。
さらに、そこにポレポレファクトリーの利用者さんを含めて3人チームでのスタートになりました。前回のパフォーマンスもあってか、色々声がかかって色々なステージにあがりました。
そんな中、障がいのあるメンバーが、都合で急に出演をキャンセルしたんです。急にパフォーマンスができないとなって、代わりのメンバーが必要となり知り合いのダンサーに声をかけて加入してもらいました。
新しいメンバーは、ダンサーだからとにかく表現もダンスも上手で、それでチームとしてもダンスに力をいれようという欲が出てしまったのか、この作品ならヒップホップのダンスコンテストでも勝てるのではと、みんなで盛り上がってましたね。
そこで、さらにダンス力に磨きをかけようと、新たにダンサーでもあるKEITAがメンバーとして加入することになったんです。
そうしているうちに、障がい者メンバーの仕事が忙しくなり、チームから抜けていきました。
結局、三代目となるsignのメンバー構成は、ダンサーのみのチームとなっていました。そうなるとやはり作品づくりも余計にダンサー目線になってしまいます。
結果、作品からは手話の良さがなくなっていました。
この時に、2作品作ったのですが、お客さんの前で披露しても全然うけないし、動画をウェブにアップしたら炎上したりもしました。
「手話がまったくわからない」、「こんなパフォーマンスをアップされたら困る」といったコメントが書かれたりしました。
◆そんな困難があったのですね。そこから方向性は変わるのですか。
そんなことがあったので、作品として、この方向性ではないとは思っていたのですが、ダンス力を追求することを止めれずに作品づくりを進めていました。
そこで二回目の大きな間違いをしてしまうんです。
◆いったいどんな事がおこるのですか。
姫路で開催された障がい者ダンスバトルの全国大会「ART FUNK JAPAN」でのパフォーマンスを披露した時の事です。
3人で出演する予定でしたが、コロナ過もあり直前でダンサーの一人が出演できないとなってしまって、急遽、KEITA と僕の二人になってしまったのです。どうせ振り付けが変わるなら、二人の得意なPOPPIN を主体に作品を創り変えて出演したんです。
ところが、その作品を披露した後の来場者のリアクションは、拍手もまばらで、僕たち自身も何か違和感があって、ものすごく落ち込みました。
そこで、これは本当に何かを正していかなければならないと自覚しました。
そうなんです、一番ダメな点は、手話の良さを打ち消すようなパフォーマンスをしていたことだと気づきました。
しっかり手話と向き合って作品に取り入れないと、今のままでは、手話で目立とうとしているだけに映っていると気づいたんです。
〔ART FUNK HIMEJIでのパフォーマンス〕
◆ダンス化することで手話ダンスではなくなっていたという事ですね。そこからどうやって立て直したのですか。
まず、手話を教えてくれる人を探したんです。
最初に教えてもらっていたろう者の事業所に声をかけましたが、以前の作品をみせたところ、ものすごくダメ出しされ、手話を教えたくないと言われました。それからは、途方に迷いながら知り合いを伝って、色々な方に声かけをしました。KEITA とともに、障がい者を対象としたダンスイベントを見つけては出かけていました。もちろん出会いを求めてです。
◆どこで誰に出会うようになったんですか。
そうしているうちに、とあるダンスワークショップで手話通訳を見ながら参加しているダンサーがいたんです。しばらく様子を見ていると、ダンスインストラクターの横に立った手話通訳者と手話で話しながら受講している子がいて、しかもダンスも上手いんですよ。ジャズダンスをやっているのがすぐにわかるほど、シュッと姿勢も良いし、上半身や指先まで意識した動きをしているので、速攻で声をかけたんです。手話通訳者にも手伝ってもらい、私たちの拙い手話も使って必死に説明して、やっと仲間入りしてくれたのが現メンバーのTOMOEちゃんです。
彼女の加入で、毎週やっているダンスレッスンの日は必ず手話教室『シュワッチ』を開講してもらい、みんな受講していました。そうするうちに手話力が向上しましたし、自然とチームのメンバーたちの自信も湧いて出てくる。コロナ明けということもあり、そうしているうちにメンバーもどんどん増えていき、今のチームの原型ができました。
◆手話ダンスをするにあたって、以前のチームとの決定的な違いはなんだと思いますか。
手話への取り組む姿勢が全く違いますね。
TOMOE ちゃんの加入で手話の取り入れ方も全く違っていきました。
これまでは、ダンスのツールとして手話を捉えていましたが、手話に魂を込める必要性が実感できました。そのようにすると手話力が上がってくるのですが、そうすると不思議と感情もついてくるんです。
それらを総合するとひとり一人のパフォーマンスが豊かになってきます。
僕たちは、個性を大事にするのでそれぞれの異なる表現方法を生かしながら全体でパフォーマンスしていくというスタンスをとっていますが、これも手話というものへの姿勢やアプローチが変わったからできたスタイルと言えます。よくよく考えればこれって、ストリートダンスでも同じくパフォーマンスにはとても大事な要素だと思っています。
チームづくりでもコミュニケーションづくりを重視していて、そういったこともパフォーマンスにおいて相乗効果を生んでいる一つだと思います。
◆では、同じ作品でも表現的には毎回変わることも前提としているということですね。
そうです。毎回その時々で感情表現は変わります。
これもヒップホップとまさに同じですよね。
〔約400万再生となったTV出演(TikTok)〕
◆signのパフォーマンスのプロトタイプが出来上がった中で、手話ダンス甲子園を迎えるわけですが、大会に向けての皆さんのモチベーションなどいかがでしたか。
ダンス経験がない人がほとんどなので、自分が人前で踊ることもそうですし、予選や決勝でもまさか入賞できるとは思っていませんでした。特に、西日本大会の時は、メンバーみんな入賞しないと思っていました。
◆前評判の高いsignさんでもそんな心境になっていたんですね。
はい、特に結果発表までの間は余計にそういった雰囲気になっていましたね。
チームのほとんどが、他の手話ダンサーやチームを目の当たりにしたのが初めてだったので、どのチームもパフォーマンスが素晴らしく、その中で自分たちのダンスがどう思われているのか不安になっていました。
◆実際には一位通過しましたが、結果発表後はどうでしたか。
不安な中でも予選で結果がでて、自分たちの強みであった多様な個性による表現力が自信に変わりました。
ただ、自信もつきましたけど、普段からダンスのコンテスト出場経験がないメンバーが多かったので、今回コンテストで上位になったことで、うぬぼれ的な雰囲気にもなっていました。
◆東日本大会でもショーケースでsignは出場されましたが、東日本大会の予選をご覧になっていかがでしたか。
東日本大会は、西日本大会の時と違った緊張感が走りました。レベルが高いのはもちろんですが、皆さん感動的なパフォーマンスで、決勝に向けて不安もありましたが、西日本大会を勝ち抜いたチームとしていいパフォーマンスをしなければならないと、改めて気合が入りました。
◆兵庫県福崎町で行われた決勝はどのような感じで迎えられましたか。
決勝当日は、このメンバーで踊るのは最後かもしれない。どのような結果になろうとも、他のチームを意識せずに、この思いを自分にぶつけてみんなでsignで表現しようと声掛けしました。僕としては、感情は外ではなく自分に向けようということを伝えたかったんです。
思いは、自分を出していくために自分の中で燃やしていこいということを再三伝えました。
◆決勝の結果を受けてどうでしたか。
他のチームの作品が非常に仕上がっていましたので、結果を聞いた時は、みんな喜びの涙を流していました。僕はリーダーとしての緊張感もあったし、勝手にsignとしての社会へのミッションなども抱えていましたので、やっとスタートラインに立ったという感じで意外と冷静でしたね(笑)
◆他のメンバーの皆さんもsignの一員 として共生社会に向けて何らかのプレッシャーはあったのですか。
僕だけでなく全員にプレッシャーがあったし、それは僕も感じていましたよ。けっこう苦しかったですね。背負わなくてもよいのかもしれないのですが、何かチーム全体で共生社会を創っていくんだっていうようなものを背負っていました。
◆signのメンバー構成は、本当に多様でしたが、そんなメンバーをまとめる工夫はありましたか。
一時期はとても大変でした。それでも根気よくコミュニケーションをよくとるようにしました。例えば、練習会場で食事会やパーティをよくやりました。それを何回もやっていくうちに人間関係が深まっていきました。そういった事が多様な個性に対応できた大きな要因だと思います。
練習中にメンバーの個性が一つでもみえると、それを作品のどこかのパートに生かそうという話になるんです。
その結果、僕も自分のセンターポジションを下ろされた箇所がありましたけど。(苦笑)
そういった思考のサイクルがチーム全体で回りだしてからメンバーの多様性が、パフォーマンスに生かせるようになりました。
◆signの今後について教えてください。
第2回手話ダンス甲子園にむけて、僕以外のメンバーでKEITAがリーダーシップをとりながらチームづくりと作品づくりをしています。
KEITAには人を引っ張るところがあるので、僕とは違うやり方でチームを引っ張っていますね。僕と比べるとリーダーシップを発揮する範囲が広いタイプだと感じています。
僕の立場としては、彼を中心としたチームの動きを注視して見守っているといったところでしょうか。
◆新生signの見どころはどこですか。
KEITAの色がすごく出ていて盛り上がっていると思いますよ。
新しいリーダーのもとでのチームなので、僕としては心配している点もありますが、最後はパフォーマンスをみたお客さんの反応であったり、ご意見を聴いてみないとわからないので、不安と期待の両方を抱きながら、新生signのパフォーマンスを、いちオーディエンスとして楽しみにしています。
◆菊田さんの今後の動向としては何かありますか。
は今、signとは別に新しいチームづくりに取り組んでいます。
ただ、基本的にはsignでやってきたことをやるだけですね。
◆菊田さんにとって手話ダンス甲子園とはどんな大会でしたか。
手話ダンス甲子園で披露された手話ダンスは、一言でいうと「共生社会を可視化できる数少ないアート」だと思っています。
共生社会といった言葉を聞いてなんとなく頭ではわかっていても、よくわからないと思うのですが、手話ダンスを観てもらえばわかってもらえるので、手話ダンス甲子園という大会は本当に新しい発見があり、新しい価値が生まれたと感じています。
◆今後の菊田さん個人の展望を教えてください。
若者が夢や希望を語れる社会、それを実現していきたいです。
仕事では、子どもの支援に力を入れたいと思っていて、放課後デイサービスの立ち上げを検討しています。
◆手話ダンスへの在り方はどう感じてらっしゃいますか。
手話ダンス甲子園や手話ダンスが共生社会への道しるべの一つとなってほしいですね。
◆地元広島での活動については、どういった思いをお持ちですか。
広島には、県にも市にも手話言語条例がないので、兵庫県福崎町で学んだノウハウや人脈などを広島県や広島市に繋いで、県市での手話言語条例の制定に繋げることに役立てるようにしていきたいです。
●signリーダー KIKUさんの運営する就労継続支援B型事業所「ポレポレファクトリー」
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