不妊治療を考える②エゴイズムと信仰
前回は『セックスとは大いなる神の行うスクリーニングである』という主張のもとにセックス最高!不妊治療にはセックスしましょう!と主張してきました。
しかし、不妊に悩む多くの人たちが、そのセックスとやらを散々したにもかかわらず、授かれないから悩んでいる。それも事実だと思います。
ではその事について私が不妊治療に反対する二番目の理由
②エゴイズムや生命倫理の問題に直結するから
これを踏まえて考えていきたいと思います。
さんざんセックスしまくったけど妊娠しない場合はどうすればいいのか?
それは、諦めればいいのです。
ちょっと残酷な言い方ですが、諦めれば解決します。
そもそも子供が欲しいという感情は、突き詰めるとエゴです。
子供が欲しい。彼氏が欲しい。ヴィトンのバックが欲しい。最新のアイフォンが欲しい。etc...
自己注射がどうのとか、採卵がどうのとか、痛いし怖いんだろうけど、嫌ならやめればいいじゃん。と思ってしまいます。自分がやりたくてやってるんだから。(こんな事言ってると、授かりたくても授かれない女性の気持ちがわからないのか!?ふざけるな!?とか言われそうですが…)
海外の事情を考えると、宗教や信仰が行き過ぎた生殖医療の防波堤になっているんだろうと思います。
例えば、トランプ大統領の支持層としてお馴染みのキリスト教福音派、いわゆるEvangelicalの皆さんは体外受精どころか人工妊娠中絶も認めていません。(福音派はダーウィンの進化論とかも認めていない結構アレな人達なのだが…)カトリックでも体外受精などは認められていないんではないだろうか。
それは、人間の命が自分自身の所有物ではなく、神から与えられたものだという基本的な考えがあるからだろう。ゆえに自殺もご法度である。神が与えたもうた命を人間が勝手に終わらせるというのは言語道断であり、重大な神への冒涜となるわけです。よって、生殖医療も神の領域に医師が勝手に踏み込む行為に他ならないわけで、”創造主”として神が存在する一神教の世界観の中では認められないケースが多いだろうと思う。
私はそれでいいと思うのです。これは一種の思考停止です。実際に体外受精で産まれた子供が健康で幸せに過ごし、何事もなく子孫を残すということもあると思います。体外受精がなければその命は生まれてこなかったし、その両親にとってはかけがえのない愛すべき子供なわけです。つまり、体外受精によって、子供を授かる幸せを享受できた夫婦がいるというのも事実。
しかし、それでも私は思考停止をすべきだと思います。手を出してはいけないと思っています。
現代の日本人は葬式こそ坊主を呼んでお経をあげてもらいますが、ほとんどが無宗教。信仰がない。体外受精は一回60万円位らしいのですが、日本において歯止めになるのは経済的理由くらいです。でも裏を返すと金で解決できるってことで、金欲が肥大化する結果になるんだと思います。。
つまり、無宗教国家日本にはお金の心配はあれど、行き過ぎた生殖医療に対する恐れがない。
タイミング法でダメなら人工授精、それでだめなら体外受精、さらにダメなら顕微授精、最終的には代理母で。いざ授かって、染色体異常とか先天性の疾患が怖いから羊水検査をして問題があれば人工妊娠中絶。どんどんエスカレートしていきます。
果たしてこれは進歩なのだろうか??
私はそうは思いません。
法律で禁止されていない以上、体外受精をするな!と主張することはできませんし、他人のププライベートな話なのでどうぞご勝手にと思うのですが、神に触れている実感はあるのか?報いを受ける覚悟はあるのか?ということは強く主張したいですね。
ダウン症とか染色体異常とか不育症とか、私に言わせれば当たり前だと思うんですよ。なぜなら神の領域に土足で踏み入れているんだから。
この覚悟があるなら別に文句はないのですが、不妊治療が困難に打ち勝つ美談として現代の女性に受け入れられていくとしたらやっぱりそれは違うと思います。
体外受精は打ち勝つべき困難ではなく、神に背きこっそりと行う越権行為です。報いがなければラッキーといったものです。それを忘れてはいけない。
最後にブラックジャックからの引用をどうぞ。
ブラックジャック先生はもぐりの天才的外科医で奇跡のようなメスさばきでどんな病気も治してしまうというキャラ設定なのですが、そんなブラックジャック先生にも手塚治虫はフリーハンドを与えず、能力の天井を示していました。漫画の神様手塚治虫のメッセージ。現代人は重く受け止めるべきだと思います。
人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね……
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