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起業家について

FGNで働いている頃から、そして大学に移ってからも会社が起こるということと、そこに関わる人のことをずっと考えている。

推測の域をまだ出ていないけれど、「超人」「努力家」「家系」という3つの要素が日本のスタートアップのプレーヤーにおいては重要なキーになっていると思う。個人の思考の整理がてらちょっと書いてみる。

データを見ると

https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je11/pdf/p03012_1.pdf

あらかじめ状況の推移をデータを通して見てみると、いわゆる会社勤めでない自営業者数はずっと下がり続けている。グラフの前の年代を想像するならば1970〜80年頃からずっと下がり続けているだろう。
私の祖父は昼は役場でその他は畑仕事をしながら自営的なことを行いつつ生計を立てていた人だった。周囲もそのような感じだったけれど、その子供、父親の世代になると企業に務めサラリーをもらうといった会社勤めが主であり、自営的な活動はほぼなくなっていた。
自営について触れたのは、その所作の中に起業に関するノウハウが含まれていると思うから。自分で社会との接点を形成し、維持していくという行為が少なくとも90年には4人に1人くらいがそうだったということ。1/4が起業家もしくはそれに類するようなものだと考えると身近だったんだと思う。

データから今現在は自営、起業というものが90年よりもぐっと下がり、2010年頃には5人に1人くらいになっている。
ちょっとずつ自分で稼ぐことから離れていっている。そういった社会。

ここからが推測が深まっていくところだけれど、年を追うごとに都市に集まる人は増え、会社は大きく膨らんでいき、今では個人のスペースに置いても就業できるリモートワーカーもいる。いくらでも会社は拡張できるようになった。地方であってもスキルのある人材は良いサラリーにアクセスできるし、会社も選択できる。会社で働くための条件が整っている。

そんな状況下において、起業をする。自分でやりたいことを形にしていく起業家は本当に稀有な存在だ。10人に1人いるかな、いや体感ではもっと少ない。スタートアップと呼べる領域なら1万人に1人くらいだろう。幸いにも色々な起業家の方の話を見聞きする中で分類していくと冒頭の3種類の人物像が見えてきた。

超人

そうせざるを得ないような経験の果てに起業を行っていく人。行動や言動には理解し難い部分もあるけれど、本人の中でやるべき理由が整っている。
使命に満ちた瞳は少し先の未来に起こることを、まだ起きていないことを雄弁に語る。一方で、そのシナリオの予期しない分岐には猛然と感情が顕になり、取り返しが難しいような溝を産んでしまうようなこともある。
けれど、意識する方向性と課題がマッチした時、支援者は自然と現れる。人を巻き込むことが出来る超人だ。

家系

実家が自営業や個人で取り扱うことが出来るスキルをもとに生計を立てている場合、その家業と関係深い領域で起業していく人たちがいる。
子供の頃から親の背を見て、そこから事業が成立する要件を呼吸し、そこから新しい可能性を見つけていく人たち。
事業とその事業が成立する裏側の物語を予習しており、そこから自身に置き換えて行動を行っていける、間接的な経験の長が起業へとつながっていく。

おそらく会社に入ったとしても、歯車的な働き方に違和感を感じ、異なる使命の存在に気づき、何かのきっかけを通じてはっきりと自身の進むべき方向性を社会経験を通じて獲得していく。

探検家(または変な人)

これまで上げてきたような背景を持ってはいないが、関係するヒト・モノ・コトに触発され、そこから関連情報を探索して自己認識を変容させていった人。好奇心が強く、飲み込みが早くスポンジのよう。
自分自身が人と異なっていることを認識し、その認識と周囲とのギャップを克服して、独自の人生を歩むことを始めた人たち。
経験を積むごとにどんどん自身を磨き、やるべきことに進んでいく。

相対的な平均を理解しつつも、そうじゃない方向性に強く惹かれていく。
強い意志を持った人に惹かれ、そうなりたいと思い日々探索の毎日。

今のところ、このどれかに当たる人たちが日本のスタートアップを盛りたてていると私は考えています。どの領域にいる人であっても新しい事業領域を開拓していこうとする人たちは、説得と批判にうっすらとぶつかっていくことになる。むき出しの自身を全面に表して生きるのは爽快でありながら、一方でわかりあえない可能性の方が多いでしょう。

私は支援者という立ち位置から量的、数的な表面上の数値をベースにして、簡単にスタートアップという単語が使われていることに嫌な気持ちはしません。むしろ、トレンドとしてもっとやれ、いいぞとも思います。
ただ、同時に、その主となる起業家について、そしてその起業家の探索については数値では図り得ないストーリーがそこにあると思うのです。
よくあるバラマキ的なやり方、ストーリーを読み解こうとしないままで表現される仕組みも施策も資金も魚のないところで釣り糸を垂らしているだけではないでしょうか。

やってみないとわからんし。しょうがないんだけどね。お金ないと困るし。
せっかくやるなら人とその背景を全部だきしめて。

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