きれいごとをのべる
こう生きようと思う、生き方の指標というものが誰もにあるはずであり、僕にも当然ある。だが時々、その指標は揺らいでしまうことがある。記事にして公表することで、多少は記憶に刻み付けられるのではないかと考え、この記事を執筆する。
僕が生きていくうえで大切にしていることが二つある。
一つは「自分の意見を可能な限り主張して貫く」ことである。
こんな経験はないだろうか。
小学生の頃に、1時限ほど自由な時間が得られたため、何をして遊ぶかをクラスで考えるという時間があり、自分はキックベースがしたかったが、クラスで仲がいい友達は「ドッジボールがしたい」と言う。自分は彼らとの友情を崩壊させたくはないから、多数決をとる時にドッジボールを選択した。
あるあるではないだろうか。こうやって、自分の本当にやりたいことという意見を捻じ曲げてしまうことがもったいないと思うし、嫌なのである。
自身の意見を述べるということが重要であって、採用されるかどうかは肝心ではない。こういう時に意見を持たないのがダメなのだと思う。ますみ(高1の担任)はこの点、いいことを言っていたと今になって思う。
二つ目は、「好きなものにはなぜそれが好きなのか明確な理由をつける」ことである。
裏を返せば、ミーハーにはならないという生き方を心掛けている。
例えばだが、何か新しい音楽が聴きたくて最近のヒットチャートを聴いたとして、あるバンドにハマったとする。そしてある日、誰かに音楽の好みを聞かれたときにそのバンドの名前を出すと、相手から「何でそのバンドが好きなの?」と聞かれたとしよう。
この問いに、「流行っているから」と答えるような人生を歩みたくはないのだ。まるで世間に流されて、時代が変われば好みも変化してしまうようでは自己の確立は不可能であると思う。「このバンドのメロディーがきれいだから」「歌詞に共感できるから」「今までの苦労を知ったから応援したくなった」とか、必ずここが好きだという理由を持つようにしている。他人と会話をするうえでも「ああこの人はこんな考えを根幹に持った人なんだな」と相手に理解してもらえることが多い。
逆に言えば、嫌いなものにも明確に理由をつけるべきだとも思う。
かなり前にも述べたと思うが、僕は流行っているものを嫌ってしまう傾向にある。ゆえに、何かを嫌いになる理由が同じように「流行っているから」になることがしばしばある。最近は公平な観点から批判をするために流行っているものでも頭ごなしに嫌わずに吟味してみようということを心掛けてはいる。
二つの生き方に共通する点は、いい意味合いの「自己中心的」な生き方なのだと思う。綺麗事に聞こえるかもしれないが、僕がみている世界は僕にしか分からないから、傲慢ではなく、自分を中心とした考えを根幹に持って生きることをこれからも大切にしたい。
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