夢にまつわる話をしようと思う。



或る処に一人の男の子が生まれた。彼は健やかに育ち、二歳を迎え言葉を少しずつ覚え始めたころにテレビで見た「アンパンマン」に憧れた。当時の彼の夢はアンパンマンになることであった。

二年がたち、彼は四歳を迎え、それまでより大きく言語習得が進んだ。その頃の彼の夢は「ウルトラマン」や「仮面ライダー」のような、正義のスーパーヒーローになることであった。

子供とは飽き性なもので、次の年には彼はパイロットになりたいと言っていたそうだ。

彼が小学生になり、野球を始めると研究のために見始めたプロスポーツ選手や学年が大きく上の高校野球の選手に憧れた。この選手のようにプレーがしたい、こんな球場でプレーがしたいと思ううちに、彼の夢は「プロ野球選手」になった。

小学校を卒業して、彼はけがの影響で野球を辞めた。けがをしたときに診察を受けた経験から、彼は医者を目指すようになった。またテレビドラマの影響を強く受けて、彼は麻酔科医になりたいと考えていた。
彼はある程度勉強はしていたから、それほど成績は悪くなかった。このまま努力を続けることが出来れば、医者になることも恐らくできたのだ。数学を除いては。
彼は数学が苦手だった。どのように勉強しても数学だけはうまく点が取れない。学年が上がるにつれて理科の成績も落ちてきた。数字を使った学問が苦手だったのである。苦手意識が一度ついてしまうと克服の努力をする気は起らない。努力しても点が伸びないからだ。結局彼は中学二年生の時に医者になる夢を諦めた。

高校生になってから、彼のもとにある提案が転がり込んでくる。親戚からの伝手で企業の経営者を引き継がないかというものであった。当初は乗り気だったが、起業するなら自分が会社を興したいと思ったから断った。
この思いもあったから彼は経営学部のある大学に進学した。

そこで起業についてのさまざまな現実を知り、また一般企業勤務の大変さを学んだ。彼の「起業したい」という夢は、それまでにかかる労苦を知ってしまったために消え去ってしまった。

大学を卒業したら、働く必要がある。金がないと食っていけないからだ。
しかしどの仕事を選んでも、きっと仕事なんて好きになれないだろうからと考えた彼は土日休みがあって解雇されることがほぼない公務員を目指そうと思った。大学生の彼の夢は「公務員になる」ことであるのか。

違う。彼に「夢」などないのだ。今の彼には追うべき目標など存在しないのである。彼の「なりたいもの」など、もう一つも残っていない。

しかし「やりたいこと」はある。死ぬまでに全ての「やりたいこと」を達成すること。それが彼の夢である。


彼とは僕のことである。僕が思い描いていた「夢」はすべてどこかで実現に望みが薄いなと思ったときに諦めてしまったものばかりである。そのきっかけは様々な要因があって、例えば大人が「将来性がない」とか「非現実的である」という心無い言葉を放ってしまったとか、テストの点のような数字で可能性が可視化できてしまったとか、このようなものが挙げられる。
僕は個人の見解として夢や目標を語らせる風潮がよくないと思っている。義務教育と高校の中で進路にかかわるという事情からよく「あなたの夢は何ですか」と聞かれて答えたり発表したりする時間があったが、そんなものたかだか十数年生きていただけで定まるわけがない、と思っている。

更に言えば、夢をどこかで笑ったり否定したりする人もいる。
同年代の子供もそうだし、現実を知っている大人もそう。

こうしたほうがいいとかああしたほうがいいとか、馬鹿げているだとか。

そのような夢に対して現実を見てしまうリアルな世界は息苦しく感じる。
はっきり言おう。何が夢であって目標であっても本人次第で良いし、無理にそれを固定しないで良いし、強制的に目指すものでもないと思うのだ。

そして夢と目標は違うと思う。
僕の「夢」は悔いを残さず死ぬことで、目標は「公務員になること」だ。
夢=仕事という風潮は大変良くないと思う、僕の場合は仕事は夢を達成するための手段でしかないからだ。この二つをよく結びつけて考えてしまう人が未来ある若者の希望を潰してしまうと思う。

思い描く夢や目標は人それぞれあっていい。だから僕は否定せずにどうやったらそれらが達成されるのかを考えてあげられる大人になりたい。仮面ライダーになりたいという少年に「そんなものはいない、フィクションだ」と言い放つリアリストにはなりたくない。そんな少年に理解を示し、出演するという形や制作側になるという形でも携わることが出来るんだよと、そっと後押しするような大人になれればよいなと思った。

最近霜降り明星の粗品さんがYouTubeでやっている「おまだれ選手権」を見て思った、夢についての私見でした。

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