Marionette
もてあましてるFrustration You've got an easy day───
今回の記事はBOØWYの「MARIONETTE」とはそれほど関係がない。
ないんかい。
僕は今現在音楽教室で受付業務をするというアルバイトをしている。業務内容は、電話対応やお金関係の対応、資料作成などの事務的な仕事と教室の掃除をするというもので、今まで地獄バイトばかりを経験してきた僕にとっては楽な部類である。
生徒さんの内訳として、音楽教室ということもあり小さい子どもがそれなりに多くいる。夜遅くなってくるとさすがに中学生以上になるのだが、日中はどちらかというと保護者と子ども、この組み合わせが非常に多いわけである。先ほど書いたように主な仕事内容は事務作業がメインだが、時々レッスンが始まるまで、もしくはレッスンが終わり保護者の迎えを待つまで子どもたちを見守ることも行う場合がある。
そんな現代の4,5歳の子どもたちとやり取りしていて思うことが一つある。
彼らはとにかく「自分の意思を表現しない」ことが多いのだ。
例えば一人で帰ろうとしている子どもに「お父さんとかお母さん、迎えに来ないの?」なんて聞いても彼らは押し黙って僕の顔を見つめているだけ、そんな子が多い。そりゃ知らない人から話しかけられて緊張してると言われてしまえばそれまでなんだが。結局その後に僕には特に返事をするでもなくすたこら走って教室に戻り絵本を読み始めた。お迎えを待っていたのだろう。
また保護者と一緒に体験レッスンに来た子に感想を聞くと、これまた喋らない。曖昧な顔のまま保護者の方を向いて「なんていったらいいんですか?」みたいな顔をしている。そして返答がないことに痺れを切らして保護者が感想を話し始める。本当にこういう子、多いです。
それに対して僕は「困るからやめてほしい」「子どもは苦手」ということを思ったのではなくて、自分がいつか子育てとかをし始めたときに、自分の意志や感情をうまく表現させられるように育てたいなと思ったわけだ。人のふり見て我がふり直せではないが。
思えば僕は幼少期、知らない人に対しては少し萎縮してしまう性格だったが、自分に対して聞かれたことは母に頼らずに答えるようにしていたと記憶している。時代が時代なのか、はたまた見てきた子どもが自己表現しない子であることが多いのか。
巷では毒親関連の話題もよく聞く。親が子に「こうあってほしい」という願いが強すぎてその子から自由を奪ってしまう。それがいわゆる毒親である。こういう小さいころに自分の感情、思ったことや考えたことを親が代弁するのではなくて子どもに任せてあげる方が、その子の選択の自由につながると思うから自分が子育てをする時はこれを念頭に置いて毒親にならないようにしようと、現在のバイトを通じて思ったわけだ。
本題も終わり少し話はそれるけど、よく子を叱る親の台詞として「恥ずかしいからやめて!」とか「私が怒られるからやめて!」なんてものをちょくちょく聞く。しかしこの𠮟り方って「親が主体」となっている。子の振る舞いが親の社会的位置づけを左右するから叱っているとしか僕には思えない。つまりは操り人形である。子を自分のアピールやアイデンティティに使っている。こういう時は社会を構成する一員に育っていく子に対して社会の規範、道徳、または子自身の安全性の確保の必要性のために𠮟るべきであり、親の見栄のために叱るのは間違いであると僕は思うわけだ。
子どもは親の自己アピールの道具でも、操り人形でもない。
立派な一人の人間である。
21歳独身がこんなことを言うのもなんだが、世の中の親たちにはぜひ子ども主体の子育てを行ってもらいたいと思う。
marionette(日本語で操り人形)めちゃめちゃ関係あるやん。
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