わが母校よ、俺の話を聞け
舞鶴高校に文句を言おうの会、自称会長です。
今日は舞鶴のむかつくポイントを書いてみようと思う。
いの一番にこう言ってやろう。
くたばれ国公立大学至上主義の先生どもめ。
大変お口が悪くなってしまい申し訳ない。しかしながら、この風潮は必ずどこかで打ち破らなければならないのである。
ご存じの方も多いことだろうが、僕は進学が決まってから卒業するまでの間に某学年主任とひと悶着あった。具体的にはこうである。
僕は第一志望の大学を現在通っている青山学院大学に設定し、合格をすることが出来た。ということで国公立はそれほど真面目に勉強せず、一応国公立標準コースにいるわけだからまあ前期だけは受けて後期は受けないでおこうと思ったのである。まあ、受験もタダではないし、そもそも進路決まってるわけだから受験をする意味などもはやないのであるが。
後期に設定していた大分大学は、あまり記憶には残っていないが小論文の試験があったはずで、その添削指導が某学年主任だったわけである。幸い合格が決まったのが指導が始まる前であって、小論文を実際に書いて指導してもらうことはなかったわけであるが。後期を受けないことはもちろん指導が始まる前に某学年主任に言いに行った。怒るでもなく、受けようと諭すでもなく分かりましたとのこと。僕は勉強から解放された喜びでいっぱいだった。
後日、後期を受ける人の集会が学年全体であったみたいで、僕は受けないから参加はしなかった。と、この集会の場で某学年主任は次のように語ったのである。
とまあ、こんな発言をしたようなのである。僕はその集会にいなかったから正確な発言は分からないが、参加者からはこんな感じだと聞いている。
無論僕のことを指した発言である。添削指導を拒否した日時と某学年主任のこのお話の日時が完全に一致しているからである。あろうことか僕は学校の先生に、大の大人に陰口を、それも数百人いたであろう後期を受ける生徒の前で言われたのである。これで穏やかな顔して卒業できるものか。僕は某学年主任に文句を言いに行き、謝罪させようと考えたのである。
ここで当時僕が何に対して不満を感じたか、を少し書かせてもらう。まずは某学年主任は僕を怒りたかったと、もっと努力を重ねて後期まで頑張るように発破をかけたかったと語っていたが、果たしてそれを生徒数百名の前でいう必要があったのだろうか。この点に加え、僕が後期を受けないと報告に行ったあの時に僕一人に直接そのような言葉をかければよかったのに、直接ではなく僕のいないところで先ほどのような発言をしていた点も非常に不満を感じた。
担任のT先生も「それはあなたが国公立コースにいるからそのような発言をされても仕方のないことであり、学年主任の言うことは間違いではない」とどうやら味方についてはくれなそうだったから、僕は古典の担当の某怖い先生に相談し、上で書いた不満を、これらをすべて、実際に、直接某学年主任に言ってやったわけである。謝罪の一言をもらった。とまあ、こんなことがあったのである。
一つ補足であるが、僕の受験形態は一般入試である。国公立組と同程度の勉強は常にしてきた。悪く言うつもりはないが、指定校推薦でも、AOでもない。そして前期試験に関してはきちんと受験をしている。まあ落ちてたけど。
このエピソードは今考えても非常に腹立たしいことである。これをふまえ母校には、国公立大学に進学することを最上とせずに、第一志望の進路を生徒がとることを最優先する学校になってほしいものだと僕は思う。
また、今僕が痛感していることは大学に入ってからどんなことをするのかをもっと知りたかった、ということである。舞鶴は行きたい大学への勉強にだけ力を入れて指導をしていて、進学がゴールのような雰囲気があったが実際は入学してからが本番である。正直、自分でやれよそんなことと言われればぐうの音もパーの音も出ないが、入学してからどんなことをするのか、さらには大学卒業後にはどんな進路をとることになるのか、などこのような人生設計についてを考える時間がもっと多くあるべきだと思った。今の舞鶴の状況は全く分からないが、こんな高校になるといいなと思っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?