私見:罪と罰

敬愛する椎名林檎女史の歌の中でもとりわけ罪と罰の存在は自分の中でも大きい。

あの甘ったるい毒が大好物なのだが、最近になって改めて歌詞の内容や、罪と罰を歌う人によってさまざまな変容を遂げているなと感じたため文章にしておきたいと思う。

前置きとして、この記事で述べることはすべて個人の勝手な解釈であり、勝手な考察が含まれる。とりわけ怖いことなどないが、批判は避けていただきたい。

彼女の歌に惹かれたきっかけは母の好みであるからということだが、その魅力は詩の美しさとオルタナティブロックやパンクを思わせるメロディー構成が多いなかで、繊細な等身大の心情をうまく表現しているところにあると僕は思っている。

さて「罪と罰」はアルバム「勝訴ストリップ」に収録されている。必聴レベルのアルバムであるため、ほかの曲も含めアルバム全体で聞くことを強く勧める。

来歴などはここまでにして、本題に入ろう。

僕は、罪と罰という曲が持つシナリオはかつて好きだった恋人が自分から離れていって、その甘い思い出の中に彷徨っている、というものだと捉えている。

相手が吸っていたセヴンスターを自分も吸い始め、その空き箱を朝の山手通りに投げ捨てる。愛してると一人泣き喚いても虚しいだけで、改札に姿を探す。そして重すぎる愛が故に相手が離れていったのだと捉えている。

罪とは重すぎる愛、罰とは自身の存在が希薄になったということ。
だから認めてほしいのだ、等身大の自分を愛してほしいのだ。

僕はこのように捉えている。正解がどうかは知らないし、不正解も正解もきっとないのだろう。

椎名林檎女史が歌う罪と罰には、自身の過ちを強く嘆く思いと、それでもまだ自分を愛してほしいという甘い未練の願いが込められているように思えるのだ。

しかし、歌い手が変わると曲の印象や感じ方は大きく変わる。

先日初めてAdoさんの罪と罰を聞いたが、同じキーで同じ歌詞なのにここまで感じ方が違うのかととても驚いた。

Adoさんの歌う罪と罰からは全く未練などない、激しく自分を責め立てる後悔と「なぜあの時ああしてくれなかったの?」と相手をも責めるような強力な怒りを感じ取った。

例えるとすると、毒リンゴが二つあって、オリジナルは見た目も何ら普通のリンゴと変わらないし、口にするとリンゴの甘い味がするのだが、結局は死に至るリンゴなのだが、Adoさんの罪と罰は見た目からして毒物であるように主張されていて、口にした瞬間に劇薬のような味がし、即座に苦しみ悶えて死ぬようなリンゴである、という感じである。

僕は両方とも違いが出ていて好みに思えた。

さてつらつらと私見を述べたが、ぜひ皆さんもこの罪と罰に限らず、音楽に限らず、自分の好きなものに対して考察を独自でしてみてはどうだろうか。きっと世界観が広くなると思う。





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