高校時代のウラ話
最近大分トリニータがJ2降格になり、僕のフォロワーもたいそうな落ち込んでいる。またJ1に戻ってくれるといいなといち大分県民として願うばかりである。
さて本日は、僕の高校時代について少しだけウラ話をしようと思う。
実は、僕は部活を引退してから、単発バイトを月に3回ペースで行っていた。もちろん、高校側の許可など取っていない。
何のバイトをしていたのかというと、大分トリニータの試合が昭和電工ドームで定期的に開催されていたが、そこの出店に立って唐揚げと焼きそばをひたすら売るというバイトをしていた。知らなかった人もいるのではないだろうか。
観戦に行ったことのある人は分かると思うが、ドームの円形状の構造故に1か所ではなく様々な場所に出店は構えられている。その中で、僕は必ずアウェー側の売店にいた。ホームだとばれるからである。
アウェーということもあり、様々なチームのサポーターを相手に商売をしていたわけであるが、特に態度が悪かったのは浦和レッズのサポーターである。今でも覚えているが、むちゃくちゃ店員への態度が悪かった。嫌いである。
そもそもなぜバイトをしていたのかというと、別にお金に困っていたわけでもなく、社会勉強の一環として行った。当時は労働してお金を稼ぐ喜びなんてものを知らなかったから、それを知りたくて働いていたわけであるが、やはり自分でお金を稼ぐことでお金のありがたみや大切さが改めて分かった。受験勉強の時間はある程度削っていたが、いい経験になったと思う。
ちなみに日給は8時間勤務で7000円ほど。トリニータの試合の他にラグビーワールドカップの時も売店があり、その売店で働いたときは同時間で9000円ほどだった。大分にしてはまあまあなのかもしれない。
ちなみに、稼いだお金は大学入学後に使う分として貯めていた。
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