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変わりつつあるハンドボール界への、僕の正直な気持ち。


いま、ハンドボールに大きな波が来ています。

1月の男子世界選手権で日本代表が活躍したのは、記憶に新しいですよね。ハンドボールファンの盛り上がりはもちろんのこと、地上波でもかなりの時間放送されて、ハンドボールとは無縁の人にも試合映像を観てもらうきっかけになりました。

2月には、日本ハンドボールリーグ(JHL)の新しいリーダーに、プロ野球やBリーグでも実績を残されている葦原一正さんを迎えました。スポーツビジネス界では一目置かれる、スーパーなお方です。これからが本当に楽しみです。

少しさかのぼると、一昨年には女子世界選手権が熊本県で開催されたり、JHLの試合が実況・解説付きのYouTubeで観られるようになったり、男子代表キャプテンの土井選手がTikTokで注目されたり。

色んなところで、色んな人が汗を垂らして、ハンドボールは少しずつ変わってきています。「ハンドボールを変えたい」「日本でも人気のスポーツにしたい」と願うハンドボールな人たちは、特に昔から関わっている方には多いと思います。


だけど、ここで僕の気持ちはモヤモヤしてきます。

「そもそも何で変えなきゃいけないんだっけ?」と、頭の中で19文字がグルグルと回り始めます。

いや、もちろん代表が強くなれば応援に熱が入るだろうし、リーグにエンタメ性が増せば試合観戦が楽しくなるだろうし、人気が出ればもっと注目されて嬉しいんだろうけど。

良い方向に変わればハンドボールというスポーツがもっと楽しくなるんだろうな、とは思うんだけど、何か煮え切らないというか、生焼けのホットケーキを食べているみたいというか、そんな気持ちになるわけです。


でもまぁ、ひとつは「死なないため」かなと思います。

現状維持では衰退するばかりである。

とか、

最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。

とか、過去のスゴイ人たちが言っているように、どうやら僕たちは変化していかないと死んでしまう生き物のようです。

よくよく考えてみれば単純な話で、暑い真夏に半袖短パンで過ごしていたからといって雪が降る冬も同じ姿で過ごせば、間違いなく死にます。気温(環境)に合わせて服を着たり暖房をつけたりして、僕たちは生きています。

組織もスポーツも、人が集まってこそですから、時代(環境)に合わせて変化しないと死んでしまいます。最悪、ハンドボールというスポーツがなくなるかもしれません。このあたりは何となく共通理解しているところだと思います。

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で、もうひとつは「得るため」かなと思います。これがモヤモヤの原因というか、難しいところだと思っています。

欲しいモノ・コトを手に入れるために変化する、というのは当たり前のことで、Nintendo Switchが欲しいなら、布団から飛び出してアルバイトをしてお金を稼がないといけません。

ハンドボールな人たちにも、「絶対欲しい!」とまで言わなくとも「あったらいいな」と思うものはそれなりにあると思います。

休みの日に気軽にハンドボールができる場所とか、自分の住む地域に根付いたJHLチームとか、豊田合成のエントリオみたいなアリーナとか。日本代表が強豪国を倒していく興奮とか、メディアに取り上げられて人気が出ることへの嬉しさみたいな、「感情」もそうかもしれません。


変わりつつあるハンドボール界では、こういう欲望が今後どんどん高まってくると思います。一人ひとりの期待もますます大きくなると思います。

欲しいものがあるからこそ変化していける、というのは間違いないと思います。その一方で「得るばかりでいいのか」、とも思うわけです。


何かが欲しければ時間やお金や人力が必要になりますが、それぞれ無限にあるわけではありません。得れるものがあれば、得られないものも出てきます。得られる人がいれば、失う人が現れます。

欲しいものも人それぞれです。「場所」が欲しい人がいれば、「つながり」が欲しい人もいるし、「感情」が欲しい人もいます。立場によってもまるで違います。正義の反対は違う正義、みたいな話です。

そんな中で欲しがり続けると、いずれ奪い合いが始まります。罵り合いが始まります。モノやコトには限りがありますから。肩を組めばいいはずの仲間同士が、いつの間にか刺し合う関係になる。このまま進むと、なんだかそんな風になる気がします。


何かを得ようとすることが悪いだなんて、1ミリも思っていないです。ただどうしても、得ようとしてばかりだと不毛な争いが始まって、窮屈で生きにくい世界になるんじゃないかな、と思うんです。

そうならないために、みんなが目指すドシッとした旗印があればいいんですが、それは「何を得るか」ではなくて「何を残すか」だと思うんです。

欲しいものを得るためだけじゃなく、10年後20年後の小さなハンドボーラーのために、いま僕たちが何を残せるかが、いま問われている気がします。それこそがハンドボールの価値になる気もします。

やっぱり自分が好きなハンドボールを、これから生まれてくる子どもたちにも、できれば好きになってほしいじゃないですか。

「得るために変わる」のではなく「残すために変わる」。こういうマインドが、変化真っ只中のハンドボールには多少なりとも必要なんじゃないかな、と思います。


そして今も、未来のために何かを残そうと頑張っている人がいます。

そんな人たちに向けて知らずのうちに石を投げていないか、無意味な批判をしていないか、もう一度自分と向き合う必要があります。

批判のない世界が健全だとは思いませんが、思いやりのない批判が飛び交う世界も、また健全ではありません。やっぱり「優しさ」が必要になってきます。

新しいことが始まりそうなこのタイミングで、今までイガイガしていた人たちも新しく来た人も関係なく、一緒に肩を組みたいもんです。面白い未来がつくれるはずなので。

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2月25日の夜0時半から書き始めて、只今深夜2時半です。なんだかまとまりのない抽象的な文章になっちゃいましたが、ハンドボールは誰かに任せていれば変わるものでもないし、欲しがり過ぎるとイガイガするよ、未来に残すことも考えようぜ、ということを伝えたかったわけです。

そういう僕も、「何を残せるか」を悶々と考えていたのですが、ひとつ形にできそうなことがありまして。たぶん3月に入ったら発表できると思います。お楽しみに。


まぁ、やっぱりみんなで楽しめることが一番だと思います。変わってから楽しむんじゃなくて、楽しみながら変えていきたいですね。ということで、明日も仕事なのでそろそろ寝ます。おやすみなさい。いい夢見ます。



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坂シュウキ
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