愛すべき福岡
1,福岡市が主催する
「Global Challenge! STARTUP TEAM FUKUOKA」の予選10社の挑戦権を得た
5分間の英語のピッチを行う
勝てばアメリカで行われるピッチイベントの挑戦権を得る
2月は
2,大手企業との協業1次予選通過2次結果待ち
3,米ピッツバーグ「International Hardware Cup 2021 Finals」
への出場権をかけ決勝8社採択
https://mhc2021.peatix.com/
4,スタートアップイベント(TV番組とコラボ)
決勝5社に採択
5,スタートアップイベント
1次審査に通過2次審査待ち
6,国の研究支援の審査待ち
7,三菱UFJ銀行のスタートアップ支援審査待ち
8,香港の不動産DXスタートアップ支援審査待ち
9,大阪万博の2次公募開始
同時に9進んでいる
Global Challenge! STARTUP TEAM FUKUOKA
福岡市は、福岡市を拠点とする起業家やその候補者などを対象に、
グローバル展開を見据えたビジネスに必要な起業家マインドセットと
知識・スキルが身に付く研修プログラムを毎年開催している。
飯田は福岡で生まれた。
父は警察官だったので福岡県内の警察官舎を転勤のたびに福岡を転々とした。
生まれたのは南区桧原、中央区平和、筑後市羽犬塚、そして薬院には10年住んだ。
薬院では1階が交番で2階に住んでいた
交番がすぐ下だと治安がいいかと思いきや、一階に停めてた私の自転車は何度も盗まれたりした。
父は警察官だったので毎晩のように呼び出しの電話が自宅にかかってきていた。
朝起きて母に「父は?」と聞くと「もう出かけた」と言われた。
当時福岡は大変な時期であった。
毎晩、毎晩、仕事で本当に朝から晩、そして夜中まで父は仕事をしていた。
また当直と言って父が警察署に泊まる日もあった。
当時の薬院の官舎は3LDKで官舎としては広い方だった。
家賃は700円だったらしい。
目の前には九州エネルギー館という九電の電気を学ぶアミューズメント施設があった。
学校帰りに家に帰らずよく九州エネルギー館に遊びに行っていた。
そして浄水通りの山の上には福岡市動植物園があった。
子供の頃入場料は無料だったのでよく遊びに行っていた。
動植物園ではよく鬼ごっこをやった。
動植物園では広さが広大なので一度鬼になったらその日1日は鬼のままだった。
途中で鬼ごっこに飽きて鬼を一人残して家に帰ったりした。
鬼は知らずにずぅーと私を探したりしていることもあった。
薬院は子供の頃は気付かなかったが高級住宅街だった。
同級生が「飯田君遊ぼうよ!!」「いいよ」「どこにいったら?いい」
「山の上」「山の上って?」「山の上だよ」
自宅を尋ねたら浄水通りの「山の上」全てが彼の家だった。
中学の先輩の家に行った
教えられた場所に行ったが家がわからなかった、、、、
「どうしようわからない、、、」友人がやってきた教えてくれた「先輩の家そこだよ」
「違うよ!ここは植物園だよ」
合っていた、、、
先輩の家は植物園のようにデカかった。
薬院では友人の家は敷地の中にお手伝いさん専用の家やピアノ室がどこでもあった。
飯田は子供の頃に感じた。
警察官は仕事は大変だが、ピアノ室も持ってないなんて割に合わないと子供の頃、勘違いしていた。
大人になったら自分で会社を経営する。
大人になって
国をよくしたいと考え政治家の秘書についた。
政治家の秘書から起業家になった。
起業した最初の2年はボロボロで凄く大変だった。
福岡県のベンチャーマーケットや起業イベントでプレゼンをした。
ペンシルの覚田さんが福岡でD2Kという最初のイベントが開催されたとき
登壇者が既に決まっていたが覚田さんに飯田は「1分だけプレゼンさせて!!」
と飛び込みでプレゼンした。
1分のプレゼンで最初のスタートアップ資金1500万円をエンジェル投資家より
出資を頂いた。
起業して3年目に目が出始めた。
始まりは日経新聞だった。
1回目のプレスリリースを渋谷で行った。
提携先企業や出資者に来ていただいた。
翌日日経新聞の全国版に大きく掲載された。
日経新聞の力は凄く様々な企業やVCから連絡が来た。
恐ろしい勢いで提携先が増えた。
福岡で起業するとよく言われる
本社を東京にしないか?
東京は日本の中心だが
福岡は香港、上海、北京、ソウルそして東京に囲まれたアジアの中心だ
私は福岡を離れない
日経新聞のあとは新聞、テレビや雑誌に400誌以上に取り上げられた。
2億円をかけて叶姉妹のTVCMもやった
日経新聞のプレスの後
サービス開始4ヶ月でプリントシエア国内1位になった。
当時は福岡で知らない人はいないと感じた。
超!!大天狗だった(笑)
当時のビジネスはインターネットのデジカメプリントサービスだった。
ソフトを全国の家電量販でデジカメ無料プリント付を配布
ベスト電器やヤマダ電機、上新、デオデオ、エイデン家電量販店800店で配布
プリントは提携する全国のフジフィルム関連の店舗でプリント
そしてプリントしたものを顧客に配送
プリントセンターを韓国に設置して韓国から全世界写真プリント無料配送もやった。
デジカメプリントの会社なのに写真プリント機を最後まで所有しなかった。
今でいう顧客を仲介するSaaSのビジネスモデルだった。
残念なことに写真プリント市場5800億円あったがデジカメで写真の撮影枚数は増えたが
写真をプリントするニーズはなかった
今ではKODAKが消えKONICAは写真サービスを辞めフジフィルムは細々と行っているが
製薬や化粧品、コピー会社になった。
当時はこの急激なデジタルの変革を予想できなかった。
しかし飯田もフジフィルムと比較したら小さい企業だがその変革に対応し別の事業へシフトしていった。
液晶研究開発 当時の筆頭株主の液晶ライセンス販売で液晶50億円決まった。
飯田は文系だから最初は筆頭株主の社員から完全に無視された
飯田は将来その会社の社長になるんじゃないかと言われたこともあった。
携帯電話向けアパレル通販は楽天市場内で2番手まで行った
1番は夢展望だった。
当時はよく夢展望と広告枠の取り合いをしていた。
広告は1出稿400万円だった。
そして今から9年前
飯田は決意した。
飯田が日本で頑張る
しかし日本は人口が減ってマーケットが縮小し始めている
新興国で挑戦する
新興国で挑戦した会社は起ち上げは飯田と現地社員2名だったが2019年に株式上場をした。
そして2019年福岡に戻った。
福岡市が進めるFGNに遊びに行った。
誰も飯田を知らないから「けちょんけちょん」に無視された(笑)
でも僕は必ず登り詰める。
0から始めるとだいたい2-3年かかる
今2年目を突入したところだ
なにもないゼロから1を必ず創れる。
2月に国内向けにセレンディクスとして初めてリリースした。
そのリリースがフランスのAFP通信が球体の家として配信、その後イギリス、フランス、イタリア、カナダ、インドネシア、タイ、ウクライナ、ブルガリア、マレーシア、香港、スペイン、中国と世界12ヶ国に配信された。
世界は「Sphere」を待っている
英語のプレゼンを勉強する
その機会を与えてくれた福岡市には大きく感謝している。
愛すべき福岡
ロイター通信から連絡が来た
「Sphereプロジェクト」を密着取材したい
To Be continud....
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