ミスターサンシャイン
ヤオハンで28,000人の社員教育をしていた「土屋高徳」さんが亡くなった。
享年96歳だった。
まだヤオハンが「八百屋」だった小さな時から社員教育の全てを任された方だった。
ヤオハン一筋、いや和田一夫代表をサポートした側近中の側近で和田一夫代表が亡くなるまで一緒に側近としてヤオハンがなくなったあとも最後までサポートしていた方だった。
残念ながら飯田にはそんな側近はいない
しかし会社が変わっても黙って支えてくれる人は何人かいる。
いつも感謝のこころを感じている。
土屋さんはいわゆる「特攻帰り」で終戦時に海軍航空隊特攻隊に所属していた
「特攻帰り」の方は心の奥底で常に「友の分も一生懸命生きよう」と考え方を持っていた。
土屋さんは終戦後、法務教官として戦後の少年犯罪者の教育を担っていた方だった。
しかし少し張り切りすぎて「鉄拳制裁」で法務教官を退職した所をヤオハンの創業者「和田カツ夫人」に拾われた。土屋さんに取って最初は「食い扶持」を探すための仕事だったそうだ。
入社後、土屋さんは和田一夫代表の母である和田カツさん(おしんのモデル)から
「一夫の相談役になってくれ」とお願いされ、その後、和田一夫代表が亡くなるまで(63年間)ずっと和田一夫代表を支えてこられた方だった。
1つの約束を一生守り通した男気のある方だった。
土屋さんの思い出はいろいろある。
1つはミスターサンシャインと呼ばれた通りいつも、いつも笑顔で、そしてよく褒められた記憶がある。
ヤオハンが初めての海外進出を決めた時、土屋さんは40代だった
初の海外進出先ブラジルでの社員教育を行う為、英語を勉強したそうです。
その事は土屋さんは書籍を出版してある。
「私は48歳から英語をモノにした―新しいことへの挑戦に、遅すぎることはない」
その後、ヤオハンが進出した15ヶ国全ての言語を学びながら社員教育を行っていた。
「Thanks」
「obrugado」
「Gracias」
「謝謝」
「コップンカー」
「Terima Kasih」
「Salamat po」
社員教育の時いろんな言語で「ありがとう」を話されてあった。
土屋さんといえば社員教育でシェイクハンドセレモニーといって
隣の人と手を繋ぎ、そして
「隣の人はいい人だ。前の人もいい人だ。後ろの人もいい人だ。みんな、みんないい人だ。」と大きな声で唱和した事を思い出す。
そしていつも和田一夫代表の横でA4のノートにたくさんのメモを書いていたのを思い出す。
会議が終わるとそのメモを読み上げてくれて少し大げさな表現で「褒めて褒めて褒めて」くれたのを思い出す。
あんまり褒めるからもしかして、、、自分は特別な凄い人なのか?と勘違いしそうになったこともある。
土屋さんに怒られた記憶は全くない
和田一夫代表は烈火のように怒ると人づてで聞いたことが有るが飯田は怒られた記憶は全くない。
和田一夫代表からも褒められた記憶しかない。
土屋さんは本当に「ミスターサンシャイン」だった。
最後に土屋さんのお別れ会で配られた紙にはこんなことが書いてあった。
私はいいことだけを考える。
今日はすばらしい日です。
今日はきっと良い事があります。
私には無限の力があります。
やればできる
自信をもち
勇気をもって
私はやる!!
今日も明るい心で
笑顔で力一杯
頑張ります。
何が起きても「だから良くなる」
to be continud.....
土屋さん ありがとうございました。
そしてお疲れさまでした。