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飯田国大 渋谷で報道陣100人以上呼んでプレス発表

Sphere(球体)家は24時間で創る

「インターネットの写真屋さん」

2000年4月渋谷で報道陣100人以上呼んでプレス発表を行った。
当時はまだ27歳だった。

その1年前の1999年のある日
若い起業家の集まりである玄南荘の「夢かなう九州」の中心メンバー高木正利からデジカメプリントのビジネスに関していい人を紹介できると提案があった。

紹介されたのはベスト電器社長 北田葆光社長だった。
当時ベスト電器は家電では17年連続日本一の家電販売店だった。また福岡出身のソフトバンクの孫さんが福岡のベスト電器と家電をインターネットで販売する「イーベスト」を合弁会社を設立した時だった。

飯田はいきなり担当も何もすべて飛ばして北田葆光社長との2人だけの面談の時間だった。
飯田の会社は社員3名 北田葆光社長は当時家電売上では日本一だった。

飯田
デジタルカメラはフィルムカメラのように必ず写真プリントする時代がきます。
そしてその注文はインターネットを通してプリント注文を行います。
ぜひ!ベスト電器でデジカメを販売するときデジカメプリントの注文ソフトを
無償配布に協力して欲しい

「んんんーーー」

「面白そうだね」

「担当の〇〇を呼びなさい」

「このサービスを試してみなさい」

飯田は爺殺しである
なぜか?年配の経営者にいつも可愛がってもらえた。
だんだん飯田自身が爺に近づいていく今はその手が使えない、、、

ソフトバンクと合弁でイーベストを設立したばかりだったのでインターネットそして当時ではじめのデジタルカメラの連携サービスなので強く興味を持っていただいた。

しかし飯田の会社はデジタルカメラのプリント注文をハードで行う発想だったのでプレゼンをした時はまだ注文ソフトの完成はしていなかった。
インターネットの黎明期 チャンスに対してスピードが重要だった。

デジタルカメラのプリントソフトを探した。
プリントソフトをインターネットのダウンロードする会社があった。
日本で最初にインターネットのデジカメプリントを行った有名なベンチャー企業だった。

ベスト電器でデジタルカメラの販売時に注文ソフトを無償配布する協業の提案がある
ぜひ一緒にやりませんか?

すぐに快諾を得た。

ビジネスモデルとしては
1、ベスト電器でデジカメを販売する
2、インターネットでデジカメプリントするCDを無償配布
3、すべてのCDには店舗コードがありデジカメプリントの売上の1部がマージンとしてベスト電器各店舗に配布される仕組みだった。

最初はベスト電器の大分別府店他50店舗からのスタートだった。
基本料金500円+送料500円 L版1枚40円

協業を行いながらデジカメプリントの次世代のシステム
デジカメプリントの会社なのに自社プリントラボをもたないインターネットデジカメプリントサービスのシステムの開発と特許出願の準備を水面下で進めていた。

通信ネットワークを用いたデジタル物流システム
画像データ転送システムおよび画像データー転送方法
2つの特許である。

デジカメプリントの画像データーをサーバーに送ると住所情報から最寄りのプリントセンターに自動配信するシステムだった。

デジカメプリントの会社なのに自社プリントラボがもたずにプラットホームとして提携する最寄りのプリントラボへ配信する仕組みだった。

理論的には全世界にプリントラボ設置が可能なので全世界にプリント配達することが可能だった。

このシステムは日本全国、韓国、香港、フランスまでプリントラボと提携することができた。

多分20年たった今も飯田が作ったシステムの方が今のデジカメプリントより進化していると思っている。

そしてプリントラボを「もたない」ことにより
基本料金0円 
最寄りのプリントラボより配送することにより

基本料金0円+送料0円+L版40円
そしてデジカメプリント100万枚無償プリントキャンペーンを行う計画だった。

20年前に考えた次世代システムはここ2-3年ベンチャー企業のトレンドなる「プラットホーム」の概念だった。

to be continud.....

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