ロシアの庶民文化(アネクドート)
Давно не виделись!
こんにちは、大阪大学ロシアサークル【Рассвет】のなーたそです!
先日、当サークルで講師の方をお招きし「アネクドート」について学ぶ機会がありました。
個人的に面白かったので、今回はそれをテーマに書いてみたいと思います!
アネクドートとは
みなさん、そもそも「アネクドート」とはどのようなものかご存知でしょうか?
英語では「逸話」という意味が広く知られていますが、実は語源はギリシャ語の「アネクドトス」。
「地下出版」や「公にされなかったもの」という意味があるようです。
アネクドートは、政府や政治に関する憂さ晴らしのために、公には言いにくい不満や皮肉を小話にして共有するという、帝政ロシアからの庶民の文化のひとつです。
…そう言われても、アネクドートの文化を持たない私たち。全然想像つかないですよね (;´∀`)
ということで、ここでひとつ、講演会で教えていただいたものをご紹介したいと思います!
市民とお巡りさん
__『お巡りさん、この通りは、一人で歩いても危なくないでしょうか?』
__『もし危ない通りだったらね、私がここに立ってるわけないでしょう。』
さて、このアネクドートの意味がわかるでしょうか?
これは警察の意識の低さに対するお話です。
普通だと、「危なくないですか?」と尋ねた市民は、お巡りさんが「私がここに立ってるんだから安心しなさい」と答えてくれることを期待しますよね。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
治安を維持するためにいるはずの警察が、その役割を果たしていないのです。
これは、そんな警察や政府に対する市民の不満が反映されたアネクドートなのですね。
解釈のカギ
こういったアネクドートは、調べれば無数に出てきます。
講演会では他にも紹介していただいたのですが、私にはなかなか難しく、解説してもらわないと理解できないものばかりでした....(´・ω・`)ショボン
というのもアネクドートには、多くの場合知っていないとわからない「解釈のカギ」があるのです!
例えば「金髪の女は〜」とか、「チュクチャ人は〜」とか。
※失礼な偏見でここには書けないので「〜」で省略しておきます💦
正確か否かは問題ではなく、共通認識としてある偏見のようなものを前提として使っているものが多く、そしてこの共通認識の偏見は、ロシアに暮らしロシア文化に身近に触れている者でないと、なかなか感覚としてつかみにくいのです。
まあ日本人でも「京都の人は〜」とか、「島の人は〜」とか、そういうのがありますよね。
そしてそういったものは、日本に暮らしているからこそ知らぬ間に身についた、日本人ならではの共通認識と言えるでしょう。
ただ、よく考えてみれば、私たちは日常生活でも似たようなことをやっていますよね。
例えば、「あなたドラえもんみたいだね!」って言ったら「ドラえもん」を知っている人たちだけが「なんでも持ってるね」「役に立つね」といった意味を理解することができるようになっているのです。
他にも流行りのネットミームなど、知っている人にしか通用しない庶民の隠喩文化は、実は日本にも存在しているのですね。
日常での使われ方
ではアネクドートは実際どのように使われているのでしょうか?
ちなみにロシアには引用文化もあって、
例えば友達を慰めるときに、プーシキンの詩の一部を暗唱することも頻繁です。
日本人のことわざも引用文化のひとつですよね。(決まったフレーズがあるので。)
しかしアネクドートは、話の引用だけに留まりまりません。
アネクドートには、広く知られている定番のものもありますが、あくまで基盤となるのは、先ほどお話しした偏見などの「共通認識」だけです。そしてそれを元に、その都度会話の流れに合ったアネクドートが生み出されていくのです。
例えばコロナウイルスが流行した時には、「チュクチャ人はコロナにかかったら〜」「コロナ禍で金髪の女は〜」というように、その状況に合わせて新しいアネクドートが生まれたのだろうと考えられるわけです。
あまりうまく伝えられた気がしませんが、ご理解いただけたでしょうか、、(´∀`; )
自虐のアネクドート
ちなみに講師の方からは、こんなお話もありました。
ユダヤ人とお話しされていたときに『ユダヤ人とサンタクロースの違いはなんだと思う?』と訊かれたのだそうです。
みなさんはわかりますか?
答えは…「煙突の入り方」。
サンタクロースはプレゼントを届けるために煙突に上から入ってくると言われていますよね。
一方でユダヤ人は、かつて強制収容の時に、焼かれて煙になって煙突から天に昇って行ったという、ユダヤ人なりのジョークなのだそう。
でもこれ、正直「笑っていいの?」と思ってしまいますよね。不謹慎だと感じてしまう人がいても仕方ありません、、
そう思った先生が質問してみると、そのユダヤ人の方からは「笑ってくれ」と言われたそうです。完全に自虐ネタにしてしまっているのですね。
講師の先生はこれについて、興味深い見方をされていました。
『私たち日本人は、広島の原爆投下や福島の原発事故について、決してこのようにネタにすることはありませんよね。そんなことをするのは不謹慎。犠牲者や被害者の方が可哀想です。
…でも、可哀想?
それって少し、他人事な感じもしませんか?
一方で自分たちの悲劇を、アネクドートとしてジョークにしてしまっているユダヤ人。
彼らにとって、強制収容は決して「可哀想」で済ませられる歴史ではありません。
むしろ他人事ではなく、自分ごととして身近に捉えており、だからこそネタにできる、、とも考えられないでしょうか、、?』
他人の失敗はネタにできないけど、自分の黒歴史は自虐ネタにして笑ってほしい。そんな気持ちはわからなくもない気がします、、
飽くまで、これはアネクドート文化から考えられる解釈の一つでしかありません。
個人的には、決してネタにするのが良いことだとは思いませんし、笑って済ませて良いようなことでもないと思います。
しかし、今回講師の先生のお話を聞いていて、なんだか新しい視点を得られたような気がして、私はとても興味深いと感じました。
「こういうことこそが異文化理解なんだなぁ…」と、なんとなく思いました。
何が正しい、何が良い、というわけではありませんが、こういう見方もあるのだということですね。
みなさんにも「興味深いナァ〜」と思っていただけたら、こちらとしては幸いでございます (´∀`*)
さいごに
ここまで、アネクドートという庶民文化について、断片的にではありますがご紹介させていただきました!
アネクドートはロシアの暗黙の前提を理解していないと攻略できない、「ロシア文化のラスボス」とも言える難解な文化。
逆にアネクドートを学べば、教科書ではなかなか触れる機会がないような、ニッチな庶民文化にも触れることができる、魅力的な文化のひとつなのであります。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!なお、このブログはあくまで筆者の見解にすぎませんので、ご了承ください。
また、ご感想やお気づきの点などございましたら、お気軽にコメントしていただけると有難いです!
おまけ
以下に、2つのアネクドートをご紹介しておきます。何を皮肉っているのか、みなさんも是非考えてみてください〜
◯ 二人の兵士が話しています。
- 聞いてください、中尉をからかいましょう。
- でも、すでに学部長をからかっただろう。
〈解説〉
ここでポイントとなる前提は、「やらかした学生が兵士になる」ということ。
この二人の学生は、学部長をからかった罰として軍隊に送られ、兵士になっているのです。
それなのに、「さらに中尉をからかったら、俺たちは次はどこに送られるんだろうな?」という、ジョークを言っているのですね。
◯ 政治風刺のアネクドートを作っている人物が逮捕され、フルシチョフのもとに連行された。
フルシチョフ:「すべての人が満足しているのに、どうしてアネクドートなんかを考えることができるのですか?」
市民:「そのアネクドートは私が作ったのではないですよ!」
〈解説〉
これは、指導者が社会の状況を把握していないことを批判するアネクドートです。
フルシチョフはかつてのソビエト連邦の最高指導者。「すべての人が満足しているのに...」という彼の発言は、現実の社会情勢とはかけ離れたものであります。
最高指導者がそのように社会の状況を把握していないということ自体がすでにアネクドートであり、笑いの対象になる、という皮肉を表したものなのです。
参考文献
・『ジョークで読む 世界裏事情』名越 健郎
・wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8D%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%88 ほか
お詫び
公開時の本記事に一部誤りがありました。
ユダヤ人の煙突の入り方について訂正させていただきました。申し訳ありませんでした。(2024年9月1日)
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