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なーんとなく
先日、友人から相談がありました。
質問の内容はこうです。
「年を重ねて色々なストレスを、様々な経験則からコントロールできるようになったと思っていたのに、それがうまくできない歯痒さがある。寧ろ、実際には、益々制御不能な感覚があるが、心身共に調子が悪い時、どのように対処しているか?」
要点をまとめるとこのような相談でした。
僕も似たような状況に陥ることがよくあるので、友人の気持ちがよく分かります。
先日、文筆家・俳優である、リリーフランキーさんが
「鬱は大人のたしなみですよ。それぐらいの感受性を持ってる人じゃないと俺は友達になりたくない。こんな腐った世の中では少々気が滅入らないと。社会はおかしい、政治は腐ってる、人間の信頼関係は崩壊してる、不安になる。正常でいるほうが難しい」
と発言されていて、話題になっていましたが、実際、方々から反響を呼んでいた事を考えると、このテーマは多くの大人が抱えている問題であり、結局のところ、大人は子供が憧れるような安定感のある存在ではなく、ただ図体の大きくなった子供にすぎないと。
寧ろ、逆に子どもは喜怒哀楽を比較的自由に表現できるが、大人にはそれができない。何故なら、大人は理性を保ち、社会的な行動を、原則として求められる。ある意味では、無邪気な後ろ盾、余白が無い分、大人の方が弱く脆いというのが、僕の持論です。
友人はある種の「特効薬」を僕に求めている様子でしたが、僕はきっぱりと言いました。
「がっかりされるかもしれないが、そもそも人間は感情が制御できなくなったときに、すぐにコントロールできるほど強くはない。あるという人がいたら、感受性が乏しいか見栄っ張りのどちらかじゃないか」と。
僕自身の話をすると、マイナスの感情に襲われたら、時が過ぎるのを待ちます。部屋にこもって、出来るだけ睡眠を取るようにします。長い時では1週間以上、気持ちが安定することはありませんが、不思議と、あるタイミングから、振り子のようにプラスの感情が戻ってきます。
幼少の頃から感受性が強く、時々部屋にこもってうずくまっている僕の姿を見て、母はいつも心配していました。大人になっても、根本は変わらず、僕自身の日常はこの繰り返しなので、落ち込むことはあっても絶望することはありません。
雨が降れば、必ず晴れ間が広がり、暗闇が続くように思えても、朝日は必ずやってくる。少なくともこれまでの人生では幸いなことに、このサイクルで過ごすことができました。
一方で、僕は一定の歯痒さを感じつつも、感情を振り子のようなものと考えるようになりました。例えば、お酒をたくさん飲めば、一時的に幸福感を感じ、まるで「地上の楽園」にいるような気分になります。
しかし、翌日激しい二日酔いに襲われると、まったく逆の感情が湧き上がり、自己嫌悪や無力感といった負の感情に苛まれます。
「お酒は幸せの前借り」と言いますが、その分のツケは後から払わされるということですね。結局、感情のプラスとマイナスが相殺されて、結果は「ゼロ」になります。
一方、お酒など感情が振れる機会を減らし、日々、淡々と暮らしていれば、大きな感情の波はそれほど立ちません。振り子の振れ幅は小さくなりますが、その範疇で感情は揺れ動き、最後は同じようにプラス・マイナスゼロで着地しています。
大きな災害が起これば、悲劇に見舞われる人が増える一方で、結婚や出産が増えるというデータもあります。闇があるから光を感じられるように、悲しみや絶望の果てには希望がある。この世の中は上手く出来ているようにも感じるし、欠陥だらけのプログラムにも感じる。
僕は友人にこのように伝えました。
「あなたが苦しんでいるとき、どこの国や地域でも、あなたと同じように苦しんでいる人たちがいます。金持ちも貧しい人も、大人も子どもも。だから大丈夫。あなたは一人じゃない、それが人間というものです」と。
もう若くはないとは言え、老人になったわけでもないですが、もっと年を重ねれば、耳が遠くなり、目がかすんだり、遅かれ早かれ、五感はどんどん鈍るでしょう。最後には、呂律が回らなくなり、赤ちゃんのようにオムツをしなければならない日が来るかもしれない。
生きている以上、「老い」とは避けて通れないものですが、不謹慎かもしれませんが、僕はここにある種の「面白さ」も感じます。
この世に産まれ、言葉を覚え、僕たちは成長し、大人になり、いつの頃からか、自分の身の周りのことは自分でできるようになりますが、最後には赤ちゃんのようになり、土に還っていく。
まるで、風船が膨らんで萎んでいくように。
この先、感覚は鈍り、できないことは増えていくかもしれませんが、若い時のように鋭い棘が突き刺さるような痛みは感じ辛くなるでしょう。
得るものがあれば、失うものがあると考えるか。失うものがあれば得るものがあると考えるか。
表裏一体の人生の間(はざま)に答えを出さぬまま、長生きするのも悪くはないのかもしれません。
祖母が生前よく言っていました。
生きるコツは?と聞いたら「なーんとなく」と。
その時はピンとこなかったけど、その意味が今はとてもよくわかります。
みなさん、「なーんとなく」生きていきましょうね。