noteを自分のためにやるか、人のためにやるか #9
noteの毎日投稿を始めてから九日目になります。
衝動的に始めたのもあり、
なんのためにノートをやっているのか
具体的なものがありません。
そこで一つ問いが生まれました。
僕は誰のためにノートをやっているのだろう、、
僕は自己中心な人生を歩みたくない
という思いが強くあります。
それはつまらない人生になってしまいそうだからです。
なので、このノートをやる際も、
自分の中で完結するのはどうなのかと
思うようになりました。
ノートには色々なライターがいます。
心理学を教えるライター
日記のようにノートを使うライター
物語を描くライター、、、
こういったライターたちは「誰」のために
ノートを書いているでしょうか。
そこで気付かされたのが、
誰しも絶対少しは「自分のため」
にノートをしているということです。
自分の知見を整理するためであったり、
お金のためであったり、
きっと誰しも「自分のため」は必ず
入っています。
けれど「自分のため」と「他人のため」は両立できます
なので、その両立の仕方を考えなければなりません。
僕はこのノートには
自分の体験したことや知見を
書き留めたいと思っています。
それは自分が後で見返すためや、
自分の頭の中を整理するといった
「自分のため」があります。
けどそれと同時にそもそもノートというのは
外部の人間がいつでも見れる状況にあるので
「自分のため」だけに収めるのはとても
もったいありません。
もしかすると誰かこのノートを読んだ人が
したことなかった体験やもし僕のノートを
読んで考え方が変わったりするかもしれません。
そしたらそれは「他人のため」になりえます。
これからノートで僕は
自分のレンズからみた世界観だったり
自分の価値観を意識したいと思います。
上質な「自分のため」になる「他人のため」、
はその人の経験からくる価値観にあると思うからです。
「僕はこう思う」、よりも世界を観測して
「僕の経験から言ったらここはこうなんじゃないかな」
と言った、あくまでも客観的な論理を提供するのが
他人のためにもなる自分のためなのではないかと
思います。
少しわかりにくくなってしまいましたが、
noteを書く際は色々な手法を通じて、
「自分のため」だけではない、
「他人のため」を模索していきたいです。