【読書日記】『ミーナの行進』
『ミーナの行進』小川洋子
人は誰もが忘れたくないことや覚えていたいこと、あるいは物語として残しておきたいと思うものを、たとえそうだと気がついてはいないにしても持っているのではないだろうか。
そう考えるようになったのは小川洋子さんの小説と出逢ってからだ。
初めて読んだ彼女の小説は『薬指の標本』だった。
いまはもうなくなってしまった京都市内の書店、雨の夕方、そこで買った本を電車が来るまでのあいだ、と駅のホームで開いたのだけれど、気がつくとわたしは表題作を読み終わり電車は何本も通り過ぎていたのだった。もうずっとずっと遠くの、雨の日の記憶。
以来、彼女の小説を祈るように読んでいる。
それらの本を、でも読書日記として書こうとしてもどんなふうに愛し読んできたかを考えるだけでなぜか泣きそうになってしまい、うまく書けずにいた。いたのだけれど、いまなら、と思う出来事があったのだった。
物語に出てくるような洋館、夢のようなディナー、コビトカバのポチ子、そしてクレープ・シュゼット。
『ミーナの行進』は芦屋に住む親戚の家で一年間を過ごすことになった少女、朋子ちゃんの物語だ。洋館には年の近い従姉妹のミーナちゃんがいてふたりは仲良しになり忘れられない時間を過ごす。
作品はふたりの少女と家族の物語と紹介されることが多いが、わたしに言わせればこれはふたりの少女の物語、家族は場所として描かれているように思う。
もちろん家族のひとりひとり、伯父さんも伯母さんも、ローザおばあさんも米田さんも、龍一さんもポチ子も小林さんだってみんなみんなひとりとして(あるいは一頭として)描かれそこにはそれぞれの物語があるのだけれど、それでも数歩下がって遠くから彼らを見つめるわたしにとってその家族はひとつの場所なのだった。ひとつの、朋子ちゃんとミーナちゃんを守る場所。
その安全な場所で彼女らは日々を生き、間違いなく生き、そうして生き抜いていった。こんなにもうつくしい生活、読み終わったとき幸せな気持ちになれる小説をすくなくともわたしは知りません。
『ミーナの行進』と出逢った頃、わたしは大学院で博士論文を書いていた。書いていたというか、正確には書こうともがいていたと言うのが正しいだろう。
学術論文というものには正解がない。もちろん分野にもよるだろうけれど、たとえばわたしの専門はラテンアメリカ文学であり、そうしたものを扱う以上絶対的な正解などはないのだった。数学の問題に対する解答のような、そういうものがない。
いまではなぜ自分が博士論文を書けると思ったのかが疑問だ。結果としてわたしはなんとか書き上げたのだけれど、なんとも無様で足りないところだらけの幼い論文に仕上がってしまった。当時は一生懸命取り組んでいたつもりでもいまになって振り返ればもっと頑張れたのではないかというところばかりが目につく。もっと本を読んでいれば、もっと考えていれば、もっと必死になっていれば。もっと、ばかりを求めて満足できないままきょうになってしまった。
こうすれば正解だとか完成だとかの定義がない論文は、期限までにできる精一杯のものを提出するしかない。それはもちろんわかっていたのだけれど、あの日々はまるで真っ暗ななかを手探りで進むようだった。それもゆっくり壁に手を伝わせて歩くのではなく駆け抜けてゆくかんじ。時間は自分の思うよりもずっとずっと早く過ぎてしまい気がつくといつも崖っぷちにいる、そんな日々だった。
とはいえ大学院で過ごした時間は間違いなくわたしの人生においてもっとも幸せな時間である。
またあの日々を生きたいかと問われればもちろん嫌だけれど。
そんななか出逢った『ミーナの行進』にはとてもすてきな図書館司書が登場する。その司書さんの台詞を読んだとき、わたしは博士論文を書けると確信したのだった。書けるって、決して立派なものが書けるだとかそういうことではなく、ただ言葉通り書けるということ。諦めることなく投げ出すことなく何度でも立ち上がれるだろう、ということ。
何の本を読んだかはどう生きたかの証明でもある。
そうしたことを司書さんが話す場面を初めて読んだとき、気がつくとわたしは泣いていた。自分を肯定してもらったような気になった。無駄ではないと、文学研究になんの意味があるのだと何度も何度も言われたけれど無駄ではなかったのだと思った。だってこれはわたしがどう生きたかの証明になるもの。
学術論文は最後に参考文献の一覧がある。
博士論文の参考文献は一体何冊だろう、数えていないけれどそれは数ページに渡る。そのすべてがわたしの読んできた本、つまりはすべてが、わたしがどう生きたかの証明なのだ。
決して自分を肯定するためだとか、生まれたからにはなにかを残したいだとか、そんな志があって大学院へ進学したわけではない。わけではないけれど、それでも、司書さんの言葉で勇気づけられたのは事実だ。
いいんだ、と思った。このまま勉強をつづけていいんだと思ったときの、あの、目の前が明るくなるかんじ。ずっとずっと真っ暗なところを手探りで進んでいたら、突然向こう側に明るい光が見えたようなかんじ。このまま進みつづけていいんだと思ったら、もうなにも怖くなんてなかった。
『ミーナの行進』の舞台は先ほど触れたように芦屋だ。関西に住むわたしにとってそれほど遠い場所ではなく、また学生時代によく神戸へ出かけていたこともあり、その街並みや風の匂いを想像するのはそこまで難しいものではなかった。そうした理由もあり特別に愛する『ミーナの行進』について、小川さんご本人が某新聞の記事でお話されているのを見つけたのはいまから十年ほど前のこと。その記事は切り抜き大切に持っている。
記事を読んだわたしは、え、と間抜けな声を出してしまった。作中に登場した洋菓子屋AやベーカリーBはモデルとなった店が実在するという。そして洋菓子屋A、ああ、憧れの洋菓子屋A! 朋子ちゃんがクレープ・シュゼットを食べた洋菓子屋Aはアンリ・シャルパンティエの本店なのだった。
え、と間抜けな声が出る。
アンリ・シャルパンティエといえば学生時代のアルバイト先だ。厳密には百貨店の地下にある洋菓子売り場でアルバイトをしており、いくつか担当していた店のひとつにアンリ・シャルパンティエがあったのだった。
なんてこと、これはとんでもないことです。
ミーナちゃんの大好物であるとは知らず、当時のわたしは洋菓子屋Aのマドレーヌを売っていたんですって!
クレープ・シュゼットは朋子ちゃんにとってとくべつなお菓子だ。それを一緒に食べた人も、その初めて見る本物の迫力も、そうして青い炎が切り開いてくれた未来への道も。
新聞記事を読みいつか行ってみたいと思ったものの、いつか、なんて言っているうちは実行に移さないのがわたしです。あっという間に十年。なんてこと。ぼんやり生きているつもりはないのですが、振り返ると数年、ということは珍しくない。
でもね、でも、理由があるの。言い訳だけれど理由があります。
そのお店が芦屋にあるアンリ・シャルパンティエ本店だと知った日から、いつか、いまだと思えるときに行きたかった。これはほんとうのこと、ただ行けばいいのではなく、いまだと思えるときにお店へ行き朋子ちゃんと同じようにクレープ・シュゼットを食べてみたかったのです。
わたしにはむかしから好きな本を繰り返し読むというところがあり、最も読み返している作家は小川洋子さんで間違いない。
昨年の春にはとうとう思い立って家にある小川さんの本のリストをつくり、読み返しながらそれぞれ感想や気になるフレーズを記録してゆくということを始めたのだけれど、わたしが彼女の小説に注ぐ情熱を知る友人からはすこし引き気味に見られているようである。気にしません、だって好きだもの。
そうした理由で読み返し(とはいえリストに法則性はない。わたしのなかでのみ有効な、この本のとなりはこの本、というルールに基づいている)ついにリストは『ミーナの行進』までやってきた。すこし久しぶりに会う朋子ちゃんとミーナちゃん。初めてこの小説と出逢ったときより十年分年齢を重ねたわたし。彼女たちの生きている様子がまぶしい光へ向かう姿に見えて、物語のあちらこちらに散りばめられたやさしさが押し寄せて、クレープ・シュゼットのシーンで一度本を閉じた。だって、泣きたくなる。やさしくって泣きたくなる。
忘れたくないこと、覚えていたいこと。忘れてはならないこと。もしかしたらいつか物語として残すことになるかもしれないくらい大切な記憶。わたしにとってのそうした記憶。ずっとそれらに捉えられていると感じていたけれど、捉えられて身動きが取れなくなっているというよりも、そこから離れ過ぎたくはない自分がいると言う方が正しい気がしていた。
記憶の支柱。
『ミーナの行進』のなかで朋子ちゃんは芦屋で過ごした期間を記憶の支柱と表している。
ああ、と体から力が抜けるようだった。
そうだ、これは、記憶の支柱だ。
変わらないと信じていたものが変わることもあれば、変わると思っていたことがずっとそのままありつづけることだってあるのだろう。そうした変化や停滞は決して悪いことではなく、生きていれば当然のことなのだ。当然、いまを生きるわたしたちに降り注ぐ出来事。
そしてその出来事は記憶の支柱を取り巻くようにして起こるのかもしれない。
記憶の支柱はどんどん背が高くなってゆく。
生きているあいだにさまざまなことが起こりこれまで最も大切だったはずのことがそうでなくなったとき、ほんのすこし淋しさを感じていた。あんなに大切だったものを同じようにおもえなくなってしまったこと、まるで自分がもう戻れない方へ踏み出してしまったような感覚。それはでも、決して大切だったものを蔑ろにしているわけではなく、これまで自分のなかにあった記憶の支柱の上にまたひとつあたらしい支柱を建てたということなのだろう。
もしかしたら支柱は、時に折れてしまうかもしれない。
けれど折れてもそこからまた組み立てることだってできるだろう、再度つくるのが無理であればあたらしく用意したって構わない。生きるって、だって、きっと、そういうことだもの。
そんなこんなで『ミーナの行進』を読み返していたところ、神戸方面へ行く予定ができた。いまだと思った。十年越しで、いまだと思った。いま、いまのわたしでクレープ・シュゼットを食べにゆこう。バッグのなかには何度も読んだわたしの『ミーナの行進』を忍ばせてゆこう。
阪神電車の芦屋駅。道に迷いそうだったところを親切に案内してくれた女性。想像よりも小さく、けれどうつくしい店舗。ショウケースのきらきらしたケーキ、白くてきれいなテーブルと椅子。クレープ・シュゼット。落とされた照明、青く輝く炎。オレンジの香り。
夢のようだった。いや、夢じゃない。わたしは、だって夢をひとつ叶えたのだ。
自分のなかに記憶の支柱を持つこと。
その周囲をぐるぐるしながら生き抜くこと。
その目で見た本物の世界、ここにいれば安全だという絶対的な信頼。かけがえのない時を過ごした芦屋の洋館。
『ミーナの行進』は確かにそこに生きていた朋子ちゃんやミーナちゃんや、そして彼女たちの家族の、間違いなくそこで息をし生きていた、生き抜いてきた人たちの物語。
読み終わったとき、こんなにも幸せな気持ちになれる小説をわたしはほかに知らないのです。