【読書日記】『スロウハイツの神様』

『スロウハイツの神様』辻村深月

 この人生で出逢うべき人には、大学から大学院までの間にもうみんな出逢うことができたと、実はずっと思っている。もちろん働き始めてからできた大切な友人もいるからその考えは正しくないのだけれど、要するに大学という場所はわたしにとってそのくらい大きな意味を持つところなのだった。
 あの場所で、出逢った友人たち。
 劇的な出逢いもあればごく平凡に知り合った人もいればそれはもちろん様々なのだけれど、でも、わたしはあの大学という場所で自分のことをとても好きになれた。それまで大嫌いだった自分を、だけど受け入れ、これからはいろんなことに絶望しながらも自分で生きてゆこうと思えたのだ。それはあの時期に出逢った友人たちのおかげである、と書くとまるで青春ドラマのような何かがあったような印象を与えるかもしれないがそんなことはない。
 部活なんて、途中で辞めてしまったし。それからはサークルにさえ入らなかったのだし。
 ただみんなのことが大好きなだけ。人間なんて嫌いだったのに、好きになってしまったのだった。
 だからだろうか、大学時代の友人からすすめられた本はとくべつな光を放つ。そして大切に読みたくてなかなか手を出せないまま何年も過ぎてしまい、ようやく読んで、この前教えてくれた本を読んだよ、と言うと、この前って何年も前でしょうと言われてしまうのだった。わたしにとっては五年前でも十年前でもぜんぶこの前、なのだけれど。
 そんなふうにして教えてもらったうちのひとつが『スロウハイツの神様』。きっと好きだよ、と教えてくれた友人のことがわたしはとてもとても好き、ということを書き出すと終わらないので『スロウハイツの神様』の話をしよう。

 簡単にあらすじを説明すれば、様々な分野のクリエイターたちが共同生活をするアパート、それがスロウハイツ。この本はそこでの日々を綴ったもの。
 それでは早速始めましょう、世界との関わり方について。
 小説や漫画や脚本や絵や映画、とにかく自分で見つけた自分の武器で世界と関わってゆく苦しみ。思い描いた夢が叶うか叶わないかではなく、もちろん叶った方がいいのだけれど、でも叶えるためではなくそうしなくてはいけないと知っている人たち。創作とはそういうことなのだと、痛いほど知っている環ちゃんの言葉。
 終盤、わたしはほとんどずっと泣きながら読んでいた。
 もちろん物語としてもとても面白く、辻村さんらしいミステリ要素もあり展開が気になって気になってページをめくってしまったのだけれど、でもわたしは内容よりもスロウハイツのみんなの、創作への想いで涙が止まらなかった。
 自分で見つけた自分だけの方法で自分と世界を繋げること。それは楽しいだけではなく苦しみも伴うけれど、でもそんなのは問題じゃない、だって、義務感ではなく自分の内側から溢れる、純粋な書かなくちゃという気持ちに駆り立てられて小説を書くことをわたしはもう知っている。だからわかる。わかって、とても苦しくて、でもそうだよねと安心して、もう涙が止まらなかった。

 実は小説を止めようかとここしばらくずっと考えていました。
 結果がまったく出ないわけじゃない、書きたいものがある、でも書いて書いて、その先は? と考えたときにとても怖くなった。そしてしばらくの間、小説を書くことを止めた自分ごっこをしていた。悪趣味にもほどがある。
 夏にひどく体調を崩した影響か気持ちが沈みがちであることも大きかった。なかなか意欲的にはなれず、朝も起きられない。日中も時間があるとすぐ横になってしまいぎりぎり仕事をするだけの生活。
 小説を止めたら楽になるのかな、という、これまで考えもしなかったことが頭を過ったのはそんなときだった。だから文章を書かないという生活を徹底した。
 なにかを見たり考えたりしたときに頭の中で描写しないというのはなかなかに難しく、気がつくとすぐ身のまわりの色や匂いを言葉にしようとしては慌てて窓の外を見たりする毎日。あ、風の音がもう秋だな、とか思ってその音を描写しそうになって慌てる。そして仕事だけをする、というのを繰り返していたら、もういい年をした大人なのに生きる意味はあるのかと真剣に考え始めてしまったのだ。これは相当に、よくない。
 そうだ、とそこで思い出す『スロウハイツの神様』のこと。今だと思った。今こそ読むべきだ。そしてそれは間違ってはいなかったのです。

 この作品のなかでわたしがいちばん好きなのは、環ちゃんと桃花ちゃんがふたりでハイツ・オブ・オズのケーキを食べるシーン。でもその前後も含めてぜんぶが大好き。本当に、大好きで大好きで、そしてとてもわかる気がする。
 自分にはこんなにも嬉しいことがある、こんなにも好きなことがある、そう思えることのうつくしさ。そしてその感情がいかに強いかということ。
 このシーンをいい話と読んで終わるのもまたひとつの読み方なのだけれど、この、なにか(この場合はハイツ・オブ・オズのケーキ)がとくべつでない人にとっては大した意味を持たないものが、それを愛する人にはなによりも大切な意味を持ち、時には今後の人生を左右することもあるという事実。わたしにもそんなものがある。そうだった、わたしにはそんな小説が何冊かあって、その小説を抱きしめながら生きてきたのだと思い出す。
 環ちゃんが憧れの人に会うため自分で努力して歩きつづけてきたこと。
 ああ、と思い出す。わたしもだった。この人に読んでもらいたい、認められたいと小説を書いてきたこと。その人に作品が届いたときどのくらい嬉しかったかという記憶。自分で自分を諦めなくてよかったと思ったあの日。
 そうだったと思い出す、わたしは多分これからも小説を書かないと生きてゆけないのだろう。

 スロウハイツに住むみんなが、わたしの場合は大学や大学院で出逢った人たちだと心から思う。
 顔を合わせれば時間を飛び越えてあの頃に戻れる、なんて、そんなにも人を大切に想える未来を昔のわたしは想像もしていなかった。もしかしたらこんなにもみんなが大好きなのはわたしだけで片想いなのかもしれないけれど、でも、いつも考えることがある。
 また会えるかどうかわからなくても、また会いたいと思える人がいるだけで結構なんでもできそうになる。
 実はわたしが割と強い気持ちで人を好きだということは、たぶんあまり伝わっていないだろう。いい加減なところがあるし。嫌いになったらとことん嫌いだし。潔癖なところもあってそれはそれは面倒くさい人間だし。
 だから片想いでも結構平気、ただあの頃の大切な友人たちがわたしの中のスロウハイツの住人なのです。

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