【読書日記】『タルト・タタンの夢』

『タルト・タタンの夢』近藤史恵

 友人は少なくない方だと思う。
 とはいえそのほとんどが大学以降に知り合った人たちではあるし、多いや少ないというはなしにしたって何を基準に、ではあるのだけれど、そこはシンプルにわたしの感覚において出逢うべき人たちに出逢い素敵な友人がたくさんいるということです。だから結局はとても狭い世界のはなし。
 そのなかに音楽を通じてできた友人がいる。
 あの頃、人と交流するSNSといえばmixiだった。当時のmixiがわかる人は同世代かもうすこし上の方たちが多いのではないかな。そのmixiのコミュニティ機能をたいへん愛用していた。

 むかしからひとりで行動することが珍しくなかった。
 買い物や食事はもちろん、旅行だっていまも基本的にはひとりだ。旅先で友人と会う、というスタイルの旅行は好きだけれど、はじまりとおわりはひとりが基本になっている。海外旅行だってひとりで行くわよ、でもそれは留学していた人間にとっては珍しくないかもしれない。だって、楽だもの。単純に楽だし、言葉もそれほど困らない、となればスケジュールをきつきつに決めるような旅程ではなく行き当たりばったりの気楽な旅を好んでしまうのだった。
 でも、例外もある。
 フェスは人といるのが楽しい。
 いわゆるフェスというものに学生時代は毎年行っていた。サマソニ、ラッシュボール、ラジオクレイジー。あれはほんまにわたしか? よくあんなに全力で楽しめたものだと思う。それにフェスだけじゃない、そもそもライブハウスに出入りしていた。音楽は自分も長くしていたから楽器を触らなくなってもずっとずっと大切で、好きなバンドのライブのために東京まで、なんて当たり前、学生時代のアルバイト代は本と旅行とライブのチケットに消えていった。
 ライブハウスであればひとりでふらっと行って気楽に見て、顔見知りがいれば飲んで帰る、もできた。でもフェスは空き時間ができる。見たいバンドとバンドの隙間、自分でどう移動するかスケジュールを決めて動くあれは一日がかりのイベントだ。そうなると途中で一緒に喋ったり飲んだりする人がいれば嬉しくなる。そこで助かったのがmixiのコミュニティだった。
 参加予定のフェスのコミュニティに入り掲示板へ書き込みをする。ひとりで参戦(参加ではなく参戦と言っていたのはなぜかしらね、あれは戦なのか?)する人が、まわるタイムスケジュールが似ている人を募集するスレッドが必ずと言っていいほどあり、そこで音楽の趣味が合う人を探すのだった。
 わたしの好みはポストロックやエレクトロニカのような少々マニアックなものだから、気になるバンドが数個被っていれば音楽の趣味は高確率で合う。そして音楽の趣味が合うと他にもいろいろなところで気が合うことが多いのだった。
 長くなってしまったけれどこの『タルト・タタンの夢』はそうして出逢った友人から借りた本である。

 あの夏、あの夏ってもう何年前だろう、サマソニで一緒にシガー・ロスを見ましょう! と待ち合わせた友人とは、スパングル・コール・リリ・ラインが好きというので一気に仲良くなった、と思うけど、どうだったかな。いろんな要素があった気がする、けれど時間が経ちすぎてもうわからん。
 スパングル・コール・リリ・ライン。大好きなバンドですがこの人生で知っている! という人とリアルで出逢ったのは二度だけです。そのうちのひとり。
 この友人とは旅のスタイルだったりカフェの好みが似ている、と思う。一方的に思っていたら申し訳ないけれど、とにかくこの人のおすすめなら信じられる、というくらい信用している人。その友人と先日会ったときだった。
「荷物増やしちゃうけど、よかったら読む?」
 差し出された『タルト・タタンの夢』は、きっと本屋で見かけても気にも留めないで素通りしてしまっていただろう。だって世界には本が多すぎる。いつも今日はこの本だけ、と決めて書店へ行っても違う本までどんどん買ってしまうわたしにとって、書店は戦いの場、あ、まさに参戦ですねこれこそが。
 そんなわけで予定にない本を極力見ないようにしているため(しかしその努力は虚しいのだった)これまで知る機会のない一冊だった。
 でも、不思議。
 友人が差し出してくれただけでそれはもう宝物の一冊、書店で見かけても気がつかなかったかもしれないその本は、読む前からすでにどうしようもなく大切な本となったのだった。
 こんなのって、ほとんど魔法だ。
 同じ本でもどうやって出逢うか、それだけで変わってしまう。本を貸してくれた友人をはじめわたしのまわりには言葉に魔法をかけてしまう人がたくさんいて、それはとても幸せなことで、わたしは一体どうすれば彼らにこの感謝を伝えられるのかと途方に暮れる。
 なんだかんだで人が嫌いではないのでしょう。
 ではそろそろ、本の内容について。

 タルト・タタン、ロニョン・ド・ヴォー、ガレット・デ・ロワ、ヴァン・ショー。そのほかたくさんのメニューが登場する、ビストロを舞台とした一冊。
 フランスというよりそもそもヨーロッパにお洒落なイメージを持っていないわたしにとって、だって住めばわかるよ道とかふつうに汚いし、や、それは国に寄るけども、とにかく気取らないビストロは好ましい。そこが居心地のいい素敵な店であれば何料理でもいいなと思う。おいしいって、だってそれだけで最強だから!
 これは以前から思っていることだけど、なにも気にせず食べられるってそれだけでもう人生の幸せの多くを占めているのではないかな。
 だって、毎日食べるから。
 食べないと生きてはゆかれない。わたしはその痛みを知っている、食べられない時期があったからあの頃とてもしんどかったから、食べるというその行為ができないだけでなにもかもが脆く壊れてゆくのを知っているもの。
 おいしいものは簡単に人を幸せにするけれど、おいしいものを作ったりおいしく食べたりすることは時に難しい。だからこそ、ここへ行けばおいしいものが食べられると手放しに信用できる場所と出会えたらそれは大きな喜びでしょう。『タルト・タタンの夢』の舞台、ビストロ・パ・マルもそのうちのひとつ、あの世界で一体どれだけの人を幸せにしているのだろう。
 おいしいだけでなくちょっとした謎解きの要素が加えられ、それが読む人を楽しませる一冊なのでしょう。わたしはでも、みんながパ・マルを気に入り何度も食べにくるという描写がたまらなく好きだった。わかるかも、という気持ち。気に入った店にばかり通いたくなるってわかるかも。

 誰かと食事をする人だけでなく、ひとりで食べにくる人も書かれていたのがなお好ましい一冊だった。
 だって、ひとりでおいしいものをゆっくり食べるってたいへんたいへん幸せなことよね。こんな店があればいいなときっと多くの人が思うことでしょう、おいしいものがたくさん登場する小説ってそういうところがある。
 そして素晴らしいのはこれが小説だということ。本を開けばいつだってパ・マルへ行けてしまう!
 この本の最大の魅力はここだろう。
 本を開くだけでパ・マルへ行ける。
 それってもうほとんどお守りみたいじゃない?
 しかもわたしはこの本を大切な友人から教えてもらったわけです。ねえ、このすごさがわかる? こんなのはほとんど奇跡だ。
 大切だと思える人がいること、その人が自分の大切なものを教えてくれること。好きな本を差し出すって自分自身を差し出すようなものだとわたしは思っている。だから相手を選んでしか好きな本の話をできないのも事実、なのに、教えてもらったの友人の大切な本を!
 読み終わったとき、友人の大切な本を教えてもらったのと同時に、お気に入りのお店を教えてもらったのだということに気がついたのだった。なるほどここは友人がときおりおいしいものを食べにゆくビストロなのだろう。
 教えてくれてありがとう。今度一緒にパ・マルへ、ヴァン・ショーを飲みにゆきましょう。

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